キック・ガム | 元祖!ジェイク鈴木回想録

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私の記憶や記録とともに〝あの頃〟にレイドバックしてみませんか?

 
 やがて、LED ZEPPELINのブートレッグ(海賊盤)収集などに辿り着く、
我々の世代特有の“コダワリの文化”は、モノと情報に溢れ始めた時代の産物でもあろう
 しかし、何故にコダワルのだろう?
 ぼくの場合は虚栄心にほかならなかったように思われるが・・

 カルビー・スナック“仮面ライダー”ほどの隆盛を極めたわけではないが、
その約3年ほど前の昭和44年(1969年)頃、ハリス(カネボウ)・キック・ガムという、
1包み\10売り3枚入りの板ガムが販売されていて、ひょっとしたら、
横須賀の片田舎の一部のクソバカなガキどもの間だけだったのかも知れないけど、
皆、こぞってそれを買い漁っていたことがあった
否、正確に云えば、皆、こぞってそのガムに付いていた点数券を集めていた
 沢村 忠というキック・ボクサーが一世を風し、
週刊『少年チャンピオン』が創刊された頃のことである

 点数券は3枚入りの1枚の外包みだけで、1点、2点、5点、10点などがあり、
点数に依って異なるいろで印刷されていたことは、京浜急行バスの回数券と同じ・・(笑)
ただし、発行されていたそのほとんどは1点とか2点の少額点数で、
10点だの15点(20点もあったかも)なんか当然、滅多に出やシナイ・・
 満点は確か50点で、50点集めてお店に持って行くと、
キック・ボクシングのチャンピオン・ベルトを象ったメダルだかバッジが貰えた
カルビー・スナック“仮面ライダー”のラッキー・カードのように、
100%運に頼る類ではなく、点数さえ集めれば“もれなく”貰えたわけである
 この“もれなく”がまず重要だった

 昭和44年は小学校2年生であり、初めてお小遣い制度が実施された年である
金額は確か\460で、毎月1日と16日に半額の\230ずつ支給されていた
この半端な支給日は小学校教諭という地方公務員だった父親の給料日に由来している

 最初は近所のガキども同様、ぼくも1包み買っては“ああ、残念!1点だあ”とか、
“わあ!やったあ!5点だあ!”などとやっていた、
如何にもお小遣いを貰えるようになったばっかしの小学校2年生らしい、
可愛気に溢れていたもんだったが(?笑)ある日、ふと気が付いた

 最小点数は1点なのである
1包み買えば“絶対に”1点は確保できるわけである
故に50包み買えば、そのメダルだかバッジだかを“もれなく”どころか、
“絶対に”貰えるわけである(ぼくはいまでもそーいう確実性のほうが好きだ)
 ただし駄菓子屋が仕入れるガムは1箱50包み入りであり、景品のメダルだかバッジは、
その1箱につき2つ3つ、卸問屋が駄菓子屋に置いていくのを観たことがあった
“50包み=50点じゃあなさそうだぞ”(笑)

 たまたま、前月の繰越金があったのか、或いは母方の祖母から臨時収入を得ていたのか、
大隈 重信だかだれだかが描かれていた青っぽい\500札を持っていた
“よし!行ったれ!”

 \500でガムを50包み買い、すぐさま通学路か山道かどこかで全部開封し、
点数を計算し、メダルだかバッジを3コ(だか4コ)げっと!!!

 開封している最中から近所のガキどもはもちろん、近所でもねえガキどもとか、
年上年下の連中も数多く集まり、ぼくは当然、得意中の得意の大絶頂だった
 まさに花開く虚栄心の瞬間!(笑)

 だが、うちに帰ってからの母親の怒りと云うか悲しみは相当なもんだった
“何なのっ!?このガムはっ!?”

 彼女はまず万引きと早とちりしたらしい
“んー、買ったんですけど・・”
“買った!?お金はっ!?”
“んー、先月のお小遣いがいくらいくら、オバーチャンからいくらいくら、
 あと、今月のお小遣い前半ぶんがいくらいくらで云々かんぬん・・”
“もーーーーーーあなたには金輪際お小遣いをあげませんからねっ!
 おとなになって自分で働くようになってから、
 ガムでも何でも好きなものを買いなさいっ!”

 とは云うものの、小学校2年から大学4年(5回生)までの17年間、
そのような経済的な措置を採られたことは一度もナイ
教育方針として、与えないことよりも、与えたものの遣いかたを是正することに、
期待が込められていたことと思われる
 こんな神のような教育を受けてきたもんだから、世に云われる神や仏や、
或いは上っツラの教育なんかに動じないのも無理もないでしょ

 しかし、重要な問題はむしろこっちだった

“ねえ?何でこんなにたくさんガムを買ったの?”
“んー、ガムが好きだから”

 嘘を吐け!と云いたそうな顔をしている母親・・
“んー、キック・ボクシングが好きだから”
 だめだ、通用しそうもナイ
 キック・ボクシングなんか、好き嫌い以前にどんな競技なのかすら知らん・・

 景品のメダルだかバッジだかをげっとして、近所のガキどもや、
そーでもない連中の前で見栄を張りたい、情けない性根は最初から見抜かれてイル

“ふーん、ガムが好きなの?そんなに好きなの?
 じゃあ食べなさいっ!いますぐ全部食べなさいっ!!!”
 半ば押し込められるような感じで、たぶん10枚ぐらいいっぺんに口の中に入れられた
 んごんごんごんご・・
“んちがんごかない・・(口が動かナイ)”

 母親はごくたまにこのような体罰を処した
弟だか預けられていた赤ん坊だかが、何か好き嫌いしていた食べものを無理矢理、
大量に口に入れられて、やはり、んごんごんごんごやっていたこともある
 固形のキャット・フードが切れたため、さつまいもの煮転がしをいやいや食べていた、
故ウタエモン(飼っていたねこ)とはちょっち違う

“いーいっ!?”
 向かい合って正座した母親は、ぼくの両手首を両手でしっかりと握って、
しっかりとこちらを見つめながら諭し始めた
彼女は別にぼくだけではなく妹や弟、さらに預かった他人の赤ん坊などにも、
物事を教えると云うか、叩き込む際にはまずだいたいこうしてきた
昨今では姪や(特に)甥あたりがその災禍を被っていることだろう(笑)

“いーいっ!? ガムを50コ食べたいのなら50コ買ってもいいけど、
次からは1コ食べ終わったら、次の1コを買うようにしなさい”
“はあーい”

 すみません・・
いまでもときどきショート・ホープをまとめて50コ(1カートン)買ったりしています
ほんとうにすみません、一生懸命育ててくれたのに
 その力強くて熱かった手をよく憶えているのに

 しかし・・ あああ、バカだったね
50包み(1箱)まるごと買うんだったら、駄菓子屋などではなく問屋で買えばよかった
そーいう知識があったらいまごろ、村上某のように、
阪神タイガースの株主になれていたのかも知れないのに!(笑)

 これが小説なら、この事件を期にじぇいくは虚栄心というものの無意味さを知り、
その後いっさいの無駄遣いをしなくなるものなのだろうけど、
事実は小説よりも奇なり・・
 この後、ますますエスカレートしていく(笑)


※敬称略
※参照:“昭和の少年冒険日記-18”
→http://homepage2.nifty.com/zenmaitarow/sab18.htm