保育園入園拒否 | 元祖!ジェイク鈴木回想録

元祖!ジェイク鈴木回想録

私の記憶や記録とともに〝あの頃〟にレイドバックしてみませんか?

 
 何かさあ、いよいよ恥を忘れつつある民族になり下がりつつナイ?

 呼吸器に異常があり、喉に穴を開けて器具を取り付けて、
 1日に4回ほどの処置が必要な幼児の入園を拒否されたとのことで、
 どこやらの保育園がその幼児の親に訴えられるんだが何だか・・

 NHKのAMラジオ放送ではこのニュースを去る11月2日(水)に、
 ぼくが訊いた限りでは最低でも4回は流し、その締め括りには4回とも、
(その幼児が)“みんなと折り紙や粘土細工で遊びたいのに・・”
 と繰り返していたけど、コレおかしいんじゃないか?
 原告側への一方的な肩入れであり、しかも視聴者の同情を誘う、
 公正中立であるべき公共放送の模範となるべき放送局だけに、
 尚更あるまじき行為と云うか台本だと思う

 ぼくが被告側を代弁しておいてやろう
“責任が持てないことはしたくないのに・・”

 裁判になるのかどうか、4回も耳にしていて、
 実はよく訊いていなかったが、ことの善悪を何に依って裁くのか?
 大半の視聴者は圧倒的多数である購買側、
 つまり入園を拒否された幼児の親の立場に同情することだろう
 マスコミの扇動や啓蒙をもろに受けて、ね

 だが、保育園側の立場もわからなくないか?
 これもまた1%の可能性でも可能性は可能性としてあるからだ
 その可能性とは万が一の事故の可能性である
(万が一は0.01%だけど、それでも可能性は可能性だ)
 その保育園が国や地方自治体が経営している公共機関だったとしても、
 事故が起これば責任を負わされるのはいったいだれなんだ?
 いまの世の中、正義だけでは到底渡って行けず、
 名優、舘 ひろしが細木 数子の番組で語っていた、
 中学校時代の体験から悟った“正義なんか意味ねえ”は、
 たぶん絶対に正しい

 まして保育園の経営者だったら、さらに尚更である
 雇用している従業員(要するに保母さん)たちに向かって、
“今度、これこれこーいう子が入って来ます
 くれぐれも事故がないように注意してください”とは云えても、
 その負担に対する手当や代償となると大いに困ることだろう
 従業員の労務負担は経営者として当然避けるべき案件であり、
 結局、心ある従業員の善意に頼るしかない
 雇用者には被雇用者やその家族に対する責任もあるのだ

 正義なんか意味ないけど、カネには意味があり過ぎるからね
 カネがあれば、阪神電鉄でもTBSでも何でも買える(笑)

 こーいう問題には、何かネタはないか?と常に嗅ぎ廻っている、
 ハイエナのような連中が裏でうようよ徘徊しているもんである
 実際にぼくも経験があるからよくわかる(笑)

 そいつらが些細なことを大きく騒ぎ立てて、
 新聞や雑誌を売ったり、TVの報道系の番組の視聴率を上げて、
 CMそのものやその放映代金を得ようとしている
 それはそれでもちろん正当な商業行為ではあるのだが、
 世の中に正義なんか意味なくしている根本を辿れば、
 そー云った資本主義経済社会の根本理念に辿り着く

 じゃあ、やめてしまうか?そー云った社会を

 理想を云うのは簡単である
 交通事故を減らすには、公共交通機関や営業用車両を除く、
 一般の自家用車の販売や使用を一切禁止してしまうのが最適だ
 やってみろよ
 どれだけの失業者が増えることか
 どれだけの国税の減収を招くことか

 前にも云ったし、デューク東郷(ゴルゴ13)も云ってるけど、
 いまのこの社会は民主主義国家の国民が選んだ結果であり総論である
 自分たちで選んだんだから自分たちで責任を持てよ
 おまえたちはどうやら恥というものを知らないみたいだな

 では、その子の親の立場だったらいったいどうする?

 ぼくなら少なくても拒否された保育園を訴えるようなことはしないね、
 かっこわるいから
 マスコミで報道されて、他人の同情を買おうとしているように、
 観られてしまうのなんか、特にまっぴらごめんだ

 その子の親ではないし、だいたい親になったこと自体ない故に、
 こうして好き勝手をほざいていられるんだろうけど、
 とりあえず、一緒に折り紙や粘土細工で遊んでくれる友だちや、
 心ある保母さんや経営者がいそうな保育園を全国津々浦々まで探すね
 拒否された保育園を訴えているひまがあるなら

 将来その子に“お父さんはおまえを入れてくれなかった保育園を訴えて、
 勝訴したんだぞ”なんて云うよりも、
“あんな保育園でもな、お父さんが苦労して探したんだぞ”のほうが、
 断然かっこいい

 そんなに皆んなと折り紙や粘土細工で遊ばせてやりたいのなら、
 寒い北海道だろーが、ハロー・キティーじゃねえーよ、
 キティホークに代わる原子力航空母艦の母港化が予定されている、
 某神奈川県の某Y市だろーが、どこだっていいじゃねーか
 日本は狭いようで実は案外結構広い
 ひとの心も荒んでいるようで実は案外まだまだ結構暖かい
 恥を知っている連中も実は案外まだまだたくさんいる(と思う)
 だいたい、裁判で揉めて仮に勝訴して入園できたとしても、
 果たして、皆んなと気持ちよく折り紙や粘土細工で遊べるんだろーか?
 自分の子どもの1%の(不幸の)可能性も考えろよ 

 ぼくの母親は、英語のカリキュラムがある、なんて云う、
 幼児にとってはどーだっていい理由で、近所のガキどもとは異なる、
 ややセレブな幼稚園にぼくを入園させた
 そのお陰(だけじゃないけど・笑)で、ぼくは小学校4年ぐらいまで、
 近所のガキどもの仲間になかなか溶け込めず、
 何ちゅうことをしてくれたんだっ!とさえ思っていたものの、
 それでも、意味不明な英語のカリキュラムだろーが何だろーが、
 親が子どものために“考えてくれた”ことだけは確かである
(お陰で英語のカリキュラムはともかく、新教系のお陰で、
 ぼくには“神”や宗教の概念がややある)

 世の中いいわるいを語るのは、理想を語るのと同じくらい簡単だけど、
 その世の中をかたち造る根本は親子にほかならないと思うね
 これまたまるっきり無責任ながら