鉄道100年 | 元祖!ジェイク鈴木回想録

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私の記憶や記録とともに〝あの頃〟にレイドバックしてみませんか?

 
 きょうは鉄道記念日だ

 毎年、9月14日は永ちゃんのお誕生日、10月14日は鉄道記念日、
 11月は27日がマサカリ兆治のお誕生日だけど14日は特に何もなく、
 12月14日は討ち入り記念日・・ これくらいは覚えておきましょう
 ちなみに4月14日はリッチー・ブラックモアと桜田 淳子のお誕生日です

 1972年(昭和47年)、
 即ち、ぼくたちが小学校5年生だったときの10月14日は、
 日本に鉄道が開通してからちょうど100年経った記念日であり、
 地元横須賀駅では市内の小学生から鉄道の絵を募集した

 その情報自体、父親が当時の国鉄に勤めていた、
“みちる”からだったと思うけど、思えば小学校5年生のときに、
 この町内きっての神童と親しくなってから、勉学はもちろん、
 スポーツや趣味の分野でも競い合って成長していくことになる

 ぼくはブルー・トレインの絵を描いた

 確か、ブルー・トレインの中ではいちばん好きだった、
 赤いヘッドマークの“出雲”か何かを描きたかったんだけど、
 機関車か客車の仕様が既に好みと異なっていたため、
 特に好きでもなかった“瀬戸”か何かを描いたような気がする
(どれを描いたところで当然、素人目には判別不可能なはずだが、
 この程度の部分では、ぼくも当時から“鉄のひと”笑)

 それでも、EF65型(500番台)電気機関車に2本、
 20系寝台客車の横には3本あるクリームいろの線を、
 筆の先を丹念に使って、より真っ直ぐきれいに描いた

 実はこのブルー・トレインこそ、みちるが大好きな列車だったが、
 それを選んだ理由は思い出せナイ
 彼の出席番号は、当時ぼくが好きだった“4”であり、
 ぼくは彼が好きだった“9”だったけど、それも全く関係ないだろう

 学校の課題ではないから、お互いの自宅でこそこそ制作していたため、
 張り出されるまでは、お互いに何を描いているのかもワカラナイ・・
 ワカラナイが“やつには負けるまいっ”みたいな気概はたぶん、
 やつのほうにこそ多々あったと思われる
 ぼくは元々、そんなガッツに溢れた人間じゃないからねえ(笑)

 1972年10月14日、
 やつの作品もぼくの作品も横須賀駅構内に張り出された
 評価は確かふたりとも同等で“秀作”か何かだったと思う
 当時はまだ羽振りが良かった(?)日本国有鉄道からは、
 スケッチ・ブックやら何やら結構豪勢な賞品を頂いた憶えもある

 やつの作品は、ぼくが大好きだったキハ181系特急“つばさ”だった

 その絵を観たときの感動と凄さはいまでもひしひし身に染みている
 ぼくの絵は東京から宇野だか九州に向かう下りの夜行列車のため、
 走っている情景は夕方だし、列車もまだきれいで颯爽としていた

 だが、彼が描いた“つばさ”は上野駅に到着寸前の上り列車で、
 秋田だか盛岡だかからはるばる走って来たため、
 前面に雪がたくさん付いている
(特急列車の前面に付着する雪は列車の速度に依ってさらに冷やされるため、
 東京まで溶けないでくっ付いて来るのだ)

 その迫力ある絵は、大胆に力強く描かれていて、
 それが気動車特急の力感を見事に表現していた
 すごい!その力感!

 キハ181系特急型気動車は電気で動く云わゆる“電車”ではなく、
 ガソリン・エンジンで動く気動車(ディーゼル・カー)なので、
 もの凄い音と煙まで出してあえぎあえぎ走るイメージがあり、
 まるで、その息づかいが伝わってくるような素晴らしい絵だった
 当然、完敗だったね

 子どもを育てるのはまず親である

 だが、次は友だちだ
 ぼくには例えば水島 新司やジーン・シモンズがいたとしても、
 それを媒介する実質的な友だちであるIくんやみちるの存在が否めない
 この後、THE BEATLESやLED ZEPPELIN、バンド活動そのものになると、
 この当時からの友だちであるヒトシや高校時代のY、
 さらに大学ではさいとうくんという友だちに恵まれる

 彼らに育てられたとまでは思わないまでも、
 切磋琢磨したお陰で得たものは計り知れない

 
※文中敬称略