本日は読み終えた1冊から。
講談社まんが学術文庫『君主論』
表紙のイラストと帯のセリフが、なんとも挑発的かつ刺激的で、ぱっと見は架空の騎士物語っぽい印象を受けますが、マキャヴェッリが君主・リーダーとは何か?どうあるべきか?を論じた政治学の著作。
『君主論』は「どんな手段や非道徳的な行為であっても、結果として国家の利益を増進させるのであれば許される」「目的のためには手段を選ばない」という苛烈で冷酷な主張から“稀代の悪書”と謗られ、著者・マキャヴェッリの名から「マキャベリズム」なる言葉を生み出した書物なのだとか。
とはいえ、そこまで言いながらも、今なおこうして語り継がれ、議論の対象になっているのには、それなりの理由があるのでは…と思い、まずはざっくりその中身を知ろうと思い購入した次第。
原書は章立てした論文形式ですが本書では著者のマキャヴェッリが、「君主」として理想的な能力を備えている…と評していたチェーザレ・ボルジアとの交流・会話の中から、理想の君主像を見出していくという物語(漫画)仕立てになっているので、とても読みやすいのが特徴。
なにせ内容が内容なだけに、今からするとトンデモナイ!と感じるような刺激的で苛烈なセリフやシーンが並んでいるのですが、彼らが活躍した当時のイタリアは統一国家ではなく小さな都市国家が乱立し、その利権を奪い合う戦国時代。
加えてフランスやスペインといった大国からも虎視眈々と領地を狙われている…という超不安定な時代であったことを考えると「どんな手段や非道徳的な行為であっても、結果として国家の利益を増進させるのであれば許される」「目的のためには手段を選ばない」という苛烈な思考と圧倒的なカリスマ性を持つ者に、理想のリーダー像を求めたくなるのも不思議ではないように思います。
日本史でいえば戦国乱世の平定と天下統一を目指した織田信長なんかは「目的のためには手段を選ばない」という面を持っていたとされていますし、現代の各国首脳にも、そういうタイプは少なからずいますから、混沌とした時代の特徴的な傾向なのかもしれませんね…。
本書の終盤に出てくる、チェーザレが裏切った部下を粛正した「シニガッリア事件」の最中に
チェーザレがマキャヴェッリに対し「慈悲深さゆえに臣下に反乱を許し国を混乱させる君主と、残酷さゆえに国を平穏に保つ君主 … 真に慈悲深いのはどちらだね?」と問いかけており、この問いに対するマキャヴェッリの答えが「君主論」である…というカタチで本書はまとめられているのですが、カタチは違えども混沌とした現代を生きる我々がそう問われたとき、果たしてどのような回答・意見が世を制するのだろう…。
“稀代の悪書”と謗られながらも、今なお本書が生き残っている理由は「慈悲深さゆえに臣下に反乱を許し国を混乱させる君主と、残酷さゆえに国を平穏に保つ君主 … 真に慈悲深いのはどちらだね?」と、人々に問い続けるためなのかもしれないですね。