誤解されないよう先に書いておくと、例の都議会で野次をとばした都議会議員について、あの野次の内容はもちろんのこと(そもそも議会という場において人の発言をジャマする野次を飛ばす…という行為自体に品がない)、名乗り出るまで「自分では、ない」という嘘をついてたことも最低の行為だし、その釈明コメントもお粗末。
したがって彼を積極的に擁護する気も毛頭なく、世間から大バッシングをくらっていることに同情する気も、ありません。
ただ、今の雰囲気って、ちょっとズレてきてるんじゃないか…なんて違和感も感じます。
何に違和感を感じるかというと、
「とにかく野次ったヤツをあぶりだせ!叩け!辞めさせろ!」
みたいな雰囲気になりつつあること。
もちろんあんな無神経なヤジを飛ばしたヤツは誰か?を追及することも必要だとは思います。ですが、果たしてそれで問題の本質的な部分は解決するのかな…と。
あれって、野次った議員一人の資質の問題だけでは“ない”と、思うんです。
あの野次に同調して笑い、それどころかエスカレートした野次をかぶせた人がいる。あんな無礼な野次を公の場でぶつけられて、それでも苦笑し涙をこらえながら発言を続けた女性議員をリアルタイムで守ろうとする人がいなかった。問題が表面化し都議会に抗議が殺到した後でも、彼ら都議会は積極的に対応をしようとしなかった、あの現実。
あれって、実は女性の社会進出や少子化問題に対する反応の“実態”だったんじゃないか…と思うんですよね。本来それらの問題を率先して解決し、リーディングしていく役割を担う人たちの認識レベルがすごく低いというのは、野次以上に深刻な問題のような気がします。
それって「だから最近の政治家はダメなんだ!そういう認識レベルが低いヤツをあぶりだせ!叩け!辞めさせろ!」で、解決するのかな…なんて思うのですが、どうなんでしょう。
もう1つ。あれは「都議会独自の問題」だったのでしょうか?あの都議会の雰囲気、「我々の日常の縮図では“ない”」と、言い切れるのでしょうか…?
おそらく、あれに似たようなシチュエーションって多かれ少なかれ経験があるのでは?と思うのですが、そんなシチュエーションに自分がいたとして、「その雰囲気に同調しないでいられるか…」「一緒になって野次りはしなかっただろうか…」「あの女性議員が自分の同僚・友人だったとして、そんな野次をぶつけられてしまった彼女をリアルタイムで守れるか…」。
僕自身、どうだろう…?「同調しない」「野次らない」までは出来たとしても、リアルタイムで行動を起こせたか…となると、すんごく不安になる。
「あんな野次を言ったヤツをあぶりだせ!叩け!辞めさせろ!」と言うのは簡単なのですが、我々の行動や考えは、彼らを糾弾できるよなレベルにいるのでしょうか…?もし、世の中そういう人ばかりなら、女性の社会進出や少子化問題の原因などは政治にリーディングしてもらうことなく解決できる世の中に当の昔になっていると思うのですが…(これらの問題は今にはじまったことではないですから)、どうなんでしょう。
実は今日のブログ、あの野次や問題への対応が鈍かった都議会に対する怒りを書く気でいたのですが、「ところで、怒りを書くだけでいいのか?」なんて自問自答していくうちに、「あ、オレ自身も全然ダメじゃん。人のこと、とやかく言えないじゃん…」なんて反省に行きつき(^^;;)、何度も「あいつらおかしいぜ!辞めさせちまえ!」なんて書いた方が正論っぽいし、絶対楽だとは思ったのですが、だんだん「それじゃあ、あのヤジと同じレベルだよな…」なんて気がしてきまして、かれこれ2時間ほどブログを書いては直し…書いては直し…を繰り返しています。
それで完成したのがこの程度の文章?とか言われそうですけど(^^;)、あの都議会の問題で勉強になったことは、そういった“反省”に行きついたこと…かもしれません。
ところで。幸か不幸か(^^;)我がささやかなこのブログをご覧になった方にも、ぜひ一緒に考えていただきたいのですが、例の都議会の野次問題。
『野次った議員を、あぶりだせ!叩け!辞めさせろ!』で、解決すると思われますか?また、本来解決すべき問題は、何だと思われますか?