努力は必ず報われる…か? | jakeのブログ 

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夫・父親・会社員・社労士有資格者・アマチュアミュージシャン・・・

いろんなキャラをこなしながら日々思ったこと・感じたことなんかを書いてみます。

先日、出勤前に朝の情報番組を見ていたら「努力は必ず報われる」という言葉に関する話題が出ていたので、便乗して(^^;)。

仮に、息子から「お父さん、努力は必ず報われるの?」と聞かれたら…?

『努力は報われることもあるし、報われないときもある』

なんて答えますかね…今なら。(ヒューマン・ドラマの主人公を絶対に演れないタイプですね。もっとも、そもそも演る機会もその気もありませんが…^^;)。

少なくとも「そんなの報われね~よ!」は、ないかな。親としてその回答はちょっと…いや、かなり具合が悪い(^^;)。「努力?どうせ報われないんだよ…」なんて呟く可愛げのない子どもを育てるのは、いかがなものか…と(世間体を気にするわけじゃないですけど…^^;;)。

この手の格言・金言に対する考えというのは、そういう経験をしたことがあるか否か?で、共感できる・共感できないが決まってくるのだろうと思うのですが、幸いにして僕自身は「報われた」経験をそれなりにしているので、「報われることがある」は、ある程度自信を持って答えることができます。

一方で、残念ながら「そうじゃなかった」ケースも当然経験しています。もちろんそのうちのほとんどは自分の努力不足によるものですが…

それだけじゃない部分って、ありますよね。

例えば、第3者がその評価をするような事象は、本人の努力“だけ”で望むような結果が出るものではないし(極端な話、本人の努力とは無関係の部分で決まる…なんて理不尽なことは多々あります)、あることを成し遂げようと思っている努力が、実は“見当違いの方向”のものだったら、それが自他共に認めるような“血がにじむような努力”であったとしても報われない可能性のほうが高い。

そういった両面を経験しているので、素直にその両面を伝えるということが、一番かな…と。

ただ、「努力した結果として報われた場合でも、報われなかった場合でも、その経験には意味がある」ということも、セットで伝えておこうと思います。

努力して「報われる」のなら、それに越したことはないですが、仮に「報われなかった」場合だって、例えば「何ゆえに報われなかったのか…?」を見直すことで次につながりますから。

もっとも最初に書いたように、そもそもこういう名言・金言の類ってのは受け手の感受性によるものですし、万人が納得する格言・金言なんて、そう滅多にあるものでもないと思いますので、

「自分でやってみて、感じなさい。」

なんてアドバイスで、いいのかもしれません…。