残業代0制度を考える③や④で書いたような違和感が生じるのは「賃金とは何か?」ということに対する考え方が、それぞれの立場で異なっているからだと思います。
労働基準法では「賃金」というのは「労働の対償」であるとしています。“対償”なんて見慣れない言葉だと、一瞬たじろいてしまいますが、“対価”と読み替えるのが一般的か…と思います。(余談ですが、労基法に限らず法令って何でこうピンとこない言葉を使うんでしょうね。読ませるが気ないのか…?なんて穿った見方しちゃいます)
労働は辞書によると「からだや知能を使って働くこと」で、対償(対価)は、「労力を提供した報酬として受け取る利益」なのだそうですから、賃金は
『からだや知能を使って働くという労力を提供した報酬として受けとる利益』
なんて感じですか。
この『働くという労力の提供』に、労働者の体力的・知能的な労力の提供はもちろんのこと、それの提供に要する“時間”も含まれるであろうことは、皆一致する意見だと思います。
では、労働力や労働時間を提供することで生み出す「成果や結果」は含まれるのか否か…?
ここで、分かれる。
労働に「成果や結果も含む」と多少なりとも考える人は、AさんとBさんとの間にある給与差は“おかしい!”と思い、「あくまで労働者の力の提供とそれに要する時間だ」と考える人は、AさんとBさんとの間の給与差は“当然(あるいは仕方がない…)”と思う。
僕個人の意見としては、「含まれる」と考えています。「結果は求めません!」なんて仕事は、(おそらく)世の中にはありませんから。もっとも、そういう考え方をするようになったのは、ここ数年のことですが…(^^;)。
一会社員の僕ですらそんなことを感じるのですから、経営者と呼ばれる立場の方であれば、なおさら強く感じることでしょう。
しかしながら…。