命をいただく罪深さ | ピッピ 憩いの空間

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「命をいただく罪深さ」 by ピッピ


ライプニッツさんが、人間は動物や植物の命を奪って、それを食べて生きている。

実はすごく罪深いことをしているよね。

というお話をされました。


ライプニッツさんの記事。

「おもしろき、こともなき世を、おもしろく。」


昔のことを思い出して、コメントしました。

そのコメント、このまま記事になるじゃんと思い(いい加減(^_^;))、手を加えて自分の記事にもしてみました。

私が小学生の頃の話です。



ある時、朝市についていきました。

朝市では、新鮮な野菜や魚を買うことができます。


小さなバケツいっぱいの、まだ生きているエビたち。

めったに手に入るものではないので、母が買いました。


それを持ったのは私。
手の中でゴソゴソしているのがわかります。


帰ってからもピョンピョンはねていたエビさんたち。
母と祖母が、エビフライにしてくれました。
今思えば、二人ともよくがんばったな~。



てんこ盛りのエビフライ。

さっきまでピョンピョンしていたエビさんの、変わり果てた姿に泣けて泣けて(ノ◇≦。)

大好きなエビフライが、涙で食べられなくなってしまった私に、祖父が言いました。


「このエビたちは、わしらに食べられるために死んだんだよ。
かわいそうだけど、エビたちは今度はわしらの体になって生きていくんだ。

そのためにおばあさんとお母さんが、かわいそうな思いをしながらも、がんばって料理してくれたんじゃないか。


それを残したら、死んでしまったエビたちがもっとかわいそうだろう。
なんのために死んだかわからないじゃないか。


エビさん大事な命をありがとう。
ピッピの体のために、役立たせていただきます。
命を無駄にはしないからね。
と感謝して、おいしくいただきなさい。」


と言われたのを、今でも覚えています。
この通りじゃなかったかもしれないけど。


お肉や、特に形そのままの魚をいただくときは、いつもこの言葉を思い出します。
この言葉を言ってくれた祖父に、本当に感謝しています。


長文におつきあい、ありがとうございました。