私が読者登録させていただいている、国語の先生さんのブログに、「木守」というお話が載っていました。
木守とは、収穫の後、木に一つだけ残した果実をいうそうです。
小鳥のために残すとも、来年の実りを願っての、神様への捧げものともいわれているとか。
これを見て、子供の頃のことを思い出しました。
我が家には、柿の木が2本、ミカンの木が1本、庭にありました。
結構たくさんとれて、近所へおすそわけしたり、学校へ持って行ってみんなで食べたりしていました。
(今は、そんなことしたら、怒られるのかな)
残りわずかになった柿を、祖母と一緒にとっていた時のこと。
まだ、いくつも残っているのに、祖母は家へ入りかけました。
全部とらないのかとの私の問いに、「あとは、鳥に残しておいてやったらええ」と言いました。
鳥がすでにつっついた実や、熟しすぎた実、高いところにある実等々、
わざわざ残しておくのが我が家の流儀でした。
祖父も「全部とるもんじゃない」と、言っていたのを思い出します。
私は知りませんでしたが、「木守」という考えがあったのかもしれませんね。
そして、ミカン。
ミカンの木には、虫がたくさんつくので、葉っぱを食べられてしまいます。
葉っぱがなくなると、実がつかないので、祖母と虫退治していました。
消毒ではなく、物理的に人力で排除です
次々ひょいひょい虫を捕っていく祖母なのに、明らかに視界に入っているであろうイモ虫をとりません。
「この虫はとらないの」
「これは、アゲハ蝶の幼虫だからええ」
「アゲハ蝶の幼虫だって、葉っぱ食べちゃうじゃん」
「アゲハの幼虫が食べるくらいの葉っぱは、なくなってもええ。枯れやせん」
「なんでアゲハの幼虫だけはいいの」
「アゲハ蝶はきれいやないの」
という祖母の独断により、我が家のミカンでは、毎年、何匹かのアゲハが育っていったのでした。
今思えば、それって差別じゃないのぉ。
虫の世界でも、美形は得なのね。
と思ったりもしますが、必要以上にとる必要はない、ということも教えられた気がします。
アゲハの幼虫、結構モリモリ葉っぱを食べますからねぇ。
こんな祖父母と一緒に暮らしていた私は、なかなか幸せ者でしたね
かわいい「ちび天使」ちゃんは、あまつかじゅんこさんのイラストです。