あの時言いたかったことの掃き溜め -3ページ目
メモ帳というやつと私は全然気が合わないらしい。

私は昔から貧乏性で、ささいなものでも"もったいない"と思ってしまうところがあった。

それは図工の時間に教科書で見かけた、お気に入りの小物が集められ、仕切りで分類され、しまわれた引き出しの写真のせいかもしれない。

もしくは総合の時間に勉強した、オゾン層が破壊されている問題に、人間の排出した温室効果ガスが影響を与えていると知ったからかもしれない。

もしかしたらここでは思い浮かばないような、小さな経験の積み重ねが、私にそうした考えを植え付けたのかもしれない。

いずれにしても私は記憶があるころから長らく何に対しても"もったいない"と思いながら生きてきたわけだ。

それはつまり「収集癖があった」と言えると思う。

字が書けるようになるころ、私たちは親しい友人に手紙を書きだす。
手紙というものは差出人と受取人がいて初めて成り立つものであり、両者に対して周りは一線を引かれた存在となる。
要は手紙の内容は二人だけのものであり、他人がその内容を知るには二人からの許可がなければならないという秘匿性を有していた。

上のような難しいことを考えられない当時の私たちでも、秘密を持つということには興味津々であったのだろう。
内緒話や噂や暗号と言ったものが友達中に蔓延し、それが原因のイザコザが多発していた覚えがある。

話を戻すと、手紙のやり取りをするためには字を書くための媒体である紙が必要だ。
当時の私たちにとって手紙に用いる紙は「かわいいメモ帳」でなくてはならなかった。

私は「かわいいメモ帳」などというものは始め持っていなかった。
友達たちは競って雑貨屋でメモ帳を買ってきてはそのかわいさを評価し、手紙をしたためていた。しかし私は「かわいいメモ帳」がどこで売られているのかすらほとんど知らなかった。

というのも買い物に行ったとき、雑貨屋に寄ったためしがなかったからだ。
そのため私はしばらく友達たちからもらうメモ帳をただ称賛することしかできなかった。

そんな私にも「かわいいメモ帳」を入手する機会があった。
それが「お土産」である。

どこかに出かけると土産物屋による。
土産物屋にはだいたいご当地の文房具が売られている。

ご当地のグッズは当時私たちにとってある程度の価値を持っていた。
つまりデザインが少々「かわいいメモ帳」に劣っていたとしても、十分手紙に使えるものとして扱われていた。

そうして普段はまったく雑貨屋と縁がない私も、「かわいいメモ帳」に相当するものを手に入れることができた、という訳だ。

ところが、それまで一方的に「かわいいメモ帳」の手紙を称賛するだけだった私が、突然「かわいいメモ帳」に相当するものを手に入れたからと言って手紙が書けるようになる訳ではない。

もちろん「かわいいメモ帳」は手紙を書くためだけに使う訳ではないのだが、それでもその当時の友達たちが雑貨屋で「かわいいメモ帳」を買う理由の大半が手紙を書くためだったのだろうと思う。

そして私はそれに憧れ、土産物屋に行く度にメモ帳を買ってもらっていた。

しかしやはり手紙はほとんど書かなかった。

土産物屋では相変わらずメモ帳を買ってもらっていた。

でも私は手に入れたメモ帳で手紙を書くことはほとんどなかった。

そのうち友達たちはいらなくなった「かわいいメモ帳」を私にくれるようになった。

私は喜んでもらった。

相も変わらず土産物屋ではメモ帳をねだった。

手紙はほぼ書かなかった。

友達たちはだんだんと「かわいいメモ帳」を競わなくなった。

私は「かわいいメモ帳」をもらえて喜んでいた。

友達たちが飽きてしばらくしていつの間にか私も土産物屋でメモ帳をねだらなくなった。


気がついたら「かわいいメモ帳」だったものは手に入れたときのまま私の部屋で何年も放置されていた。

そのときになって「かわいいメモ帳」を改めて見たら、ちっともかわいいと思えなかった。

その時の私にとって、かつて「かわいいメモ帳」であったものは、「コピー用紙よりも使いにくい紙」へと価値を落としていた。


あれから10年以上たつが、いまだにメモ帳を処理しきれていない。
手放すには情があり過ぎるのだが、使うにはあまりにも不便であるためだ。

当時高い価値を持っていた「かわいいメモ帳」であればあるほど、メモ帳として使いにくいものが多い。


だからメモ帳と私は本当に気が合わないのだ。