進路 | あの時言いたかったことの掃き溜め
こんにちは、まめです。

突然ですが私は、進路を決めるのがとても苦手です。
今回は考えごとをただしているだけです。





人に「進路どうするの?」って聞かれるのがこわい。
聞いてくる人の意図は色々だと思うけど、聞かれても答えられないから困る。
聞かれたくない。

でも、だからと言って聞かれないほど常日頃からあーしたいこーしたいと言ってる訳ではない。

というか、言ってないから聞かれるのだ。

そりゃあ私だって他の人がどんな風にこれから生きていくつもりなのかとても気になる。
なぜなら、私とは違う方向に自分の生きる意味を見いだしているからだ。

その人が何に興味を持ち、何を目指しているのか…話を聞くだけでもおもしろいと思う。


じゃあ自分はどうなのかと言うと、
そんな人に話せるような大層なことはしてない。


してないというか、むしろもっとひどくて、考えないために常に現実逃避をしている。


なぜ?


なぜ自分の進路は考えないようにしているのだろう?





本当にやりたいことがない訳ではないのだ。


本当はやりたいことだらけなのだ。


でもそれをすぐに実行できるほどの力は持っていない。
なのに口だけで考えもせずにあーしたいこーしたいと言うのは、やはり無責任で違う気がする。

人に言うにはそれなりの勝算(計画、実効性)が必要だと思う。
何もないのに言うだけ言うのはあまりにも無知をさらしてて恥ずかしい。

かといって、本気でそこまでの道筋を調べるほど自分に自信がある訳ではない。
たぶん無理だろうと、あきらめている。

なのにいざ聞かれると、本当はどうしたいのか…と考えてしまって割りきれない。




どうしたらいい?




普段から与太話のようにあーしたいこーしたいと言っておけばよかったのだろうか?


そうすれば、いざ進路について聞かれたときに、いつも言ってる通りに言うことができるかもしれない。


本当にそうだろうか?






1番の原因は、やはり希望する進路がありながら、それに向かっての努力をしていないことではないか?

まずは調べることから、始めればいいのではないか?

調べて関連情報の知識をつけ、思い込みを正した上で、本当にその進路を希望するのかどうかを考えるべきなのだろう。



しかし私にそんなことができるのだろうか。




「できるか」「できないか」ではなく「やる」

どこかで聞いた。

その通りだと思った。


「悩んだら買え」

コミケの鉄則だ。

チャンスはつかめるときにつかまなくては。


だけど私にできるのか?
不相応ではないのか?

実は周りはみんな無理だろうと思っているのではないか?


自分の進路なんだから自分の思うままに行動すればいい。



本当に?
本当に思うままに行動していいのだろうか。


それは今までとは違う日々である。

自らの進路は自らの手で掴み取らなければ。

なにもしない日々は、何も生み出してはくれない。





反省はしなくていい。



ただ、前を向いて
歩き始めなければ。