本日5月8日、

尾道市向島の亀森八幡神社

(かめのもりはちまんじんじゃ)にて、

「除虫菊神社」の例祭が執り行われます。

「除虫菊神社」とは、

亀森八幡神社の境内にある小さなお社。

明治20年、

紀州有田の青年だった後のKINCHO(大日本除虫菊)

創業者・上山英一郎氏は、

除虫菊の栽培を全国へ広めようと志しました。

その試験栽培の地として選ばれたのが、

尾道の向島と因島。

この地での成功をきっかけに、

除虫菊の栽培はやがて、

瀬戸内海の島々へと広がっていきました。

 

 

戦前、

日本の除虫菊は、

世界第一位の生産量を誇るまでになります。

この神社は、

栽培によって生活が豊かになったことへの感謝を込め、

当時の農家の方々が寄進して建立されました。

現在も、

毎年KINCHOの役員の方々が参拝に訪れています。

この静かな佇まいの神社には、

かつて瀬戸内の島々を支えた近代日本の産業史が、

今も息づいているように感じます。

「蚊取り線香といえば金鳥」。

そのルーツが、

ここ尾道の島にあると思うと感慨深いですね

 

 

 

 

 

日の出前からの庄原での撮影後、

御調八幡さまにお参りしました。

境内に、

尾道型狛犬がどっしりと鎮座しています。

 

遥か以前のことです。

尾道石工を知る石材店の古老に話を聞きました。

「尾道型狛犬(玉乗り型)」のあの球は、

究極の業で、硬い花崗岩を球体に彫り出すのに、

丁稚を過ぎた職人クラスになって、

20年はかかると聞きました。

(少し話を盛ってのことかもしれませんが、

尾道石工を知る人からのお話です)

丸い球の形で、職人のレベルが解るとの事でした。

真円に近いのは相当な実力の持ち主とか。

そしてもう一つの見せ場が牙と口の中なんです。

 

 

 

牙を折らずに彫る技術は、

石の性質を知り尽くした、

職人だからこそできる「引き算」の技。

石彫が完成した時、

1ミリから2ミリに満たない幅の線を縁に入れます。

「筋彫り(すじぼり)」や「縁取り」を最後に入れて完成。

そこで少しでも、はつったらすべてが台無し。

そして見えない所もきちんと彫り込む。

その石工たちの精神力を想像すると、

私なんかはハナタレ小僧ですね。

と、

いつもそう思いながら反省をしてはいますが・・・

静かな境内で今朝も、

ゆっくりとクールダウンさせて頂きました。

 

 

御調八幡宮(みつきはちまんぐう)は、広島県三原市八幡町にある備後国総鎮護の神社です。769年に和気清麻呂の姉・法均尼が宇佐八幡を勧請し創建したと伝わり、国の重要文化財である木造狛犬や、豊臣秀吉が手植えしたと伝わるしだれ桜で知られる歴史ある神社です。

 

 

 

 

「対潮楼から見える月・太陽の位置で船出の時期を判断した」

この話をしてくれたのは、天文学に秀でた御方と、

別の日に聞き取りをした郷土史家の御方のお話で、

そのお話の最後はともに、

海で生きる者は当然の事・・・・と。

私は、

いつか実験してみたいのであります。

対潮楼の開けた窓の向きです。

座敷は東南方向に完全に開かれてます。

弁天島・仙酔島を基準点として、

「方位石」のような役割を果たします。

月や太陽がこれらの島のどの位置に見えるかで、

季節と時刻を正確に把握できます。

鞆は「潮待ちの港」です。

潮流が変わるタイミングを待つ場所ですから、

船乗りたちが天体の動きと潮の変化を結びつけて、

観察していたのは自然なことです。

月の満ち欠けは潮汐と直結しています。

七十二候・二十四節気の話と完全に一致します。

いにしえの人々は天体観測で季節と潮を読んでいた。

鞆の対潮楼もその延長線上にある場所です。

いつか定点観測をしてみたいのであります。