やっちまいました。
完全防備で数時間外での撮影をしたのです。
熱中症には気を付けましょう。
久方ぶりのフラフラですが、
体冷やして、白川静の本にのめりこみました。
日本人はよく、
「曖昧だ」
「自分の意見をはっきり言わない」
と言われることがあります。
その言葉を耳にするたびに、
私は一つ思うことがあります。
日本語という言葉は、
同じ読み方であっても、
違う漢字を選ぶことで、
そこに違う世界観を込める、
言語なのではないだろうか・・・と。
『67才』と『67歳』。
皆さんは、
どう使い分けていますか。
実は、この二つの漢字には、
昔の人が見ていた、
世界の違いが隠されていました。
日本語は、
同じ読み方でも使う漢字によって、
その奥にある世界が違うように感じます。
以前から気になっていた、
「〇才」と「〇歳」の違いについて、
白川静さんの著書に興味深いことが書かれていました。
普段、何気なく使い分けているこの二つの漢字。
実は、
昔の人が「一年」という時間をどう見つめていたか、
その違いが込められているそうです。
まず「才」ですが、
こちらは、
人そのものに目を向けた文字です。
一年を生きる中で、
人が身につける知恵や経験。
その積み重ねを表すのが「才」。
だから、
生まれ持った大きな器を、
「天才」と呼び、
多くの才能を備えた人を「多才」と呼ぶそうです。
「才」という字には、
人の成長を慈しむまなざしが感じられますよね。
一方の「歳」。
こちらは、
大自然の巡りを見つめた文字だといいます。
今夜見上げた星空が、
一年後には再びほぼ同じ姿で巡ってくる。
そのような天体の運行とともに一年を感じた人々が、
「歳」という字を用いたという見方があるそうです。
さらに、
一年を表す漢字は「年」「齢」もあります。
「年」は、
実りを迎えた稲穂の姿から生まれたとされ、
農耕文化の一年を表しました。
「齢」は歯の生え変わりに由来し、
人や動物の生命の歩みを刻む文字で、
歯の付く齢を使うそうです。
こうして眺めてみると、
一年という同じ時間でも、
「年」は実りを、
「齢」は命の歩みを、
「才」は人の知恵を、
そして「歳」は天地の巡りを見つめています。
一年を重ねるたびに、
実りを蓄え、命の歴史を刻み、
知恵を育みを重ねているのかもしれませんね。
次に自分の年齢を書くとき。
実りを思うのか。
命を思うのか。
知恵を思うのか。
それとも、
夜空を巡る星々を思うのか。
熱にうなされつつも・・・・・・
そんなことを考えながら、
今日も一日を過ごしています。
本日はしっかりと寝ます。










