アスペルガーは遺伝か否か?


医学的に根拠はないといわれているけど
当事者たちは絶対遺伝だと思っているよね。

 

 

母の日は結婚してから25年以上
義母に毎年プレゼントや花を贈っている。

まあ、あたりまえだと思う。

 

 

手渡しで渡していたときも一度も「ありがとう」と言われたことはない

 

「こんなにお金つかって、、、、」

「気をを使わなくてよいのに、、、、」

 

と、目を見ないで言われるだけ。

 

そのあと食事をしたりしてもプレゼントをソファーに投げ出して開けない。

空けろと周りからせっつかれて、やっと開けて上のセリフ。

プレゼントも使っているところを見たことがない。

 

いったい何を考えているのかわからない。

嫌味でやっているわけではないらしい

と、いうのは20年くらい経ってわかってきた。

 

 

でもどうして欲しいかはいまだにわからないし、

面と向かってそんな感じなのでイライラする。

 

全てにおいてそんな感じなので

コロナを理由にプレゼントも止めていた。

晴れやかな気持ちの2年間。

 

 

昨年から花だけ郵送でおくるようにしたが

今まで何を送ってもそうだけど

着いたとも、ありがとうとも、

全く連絡がない。

 

 

夫に、着いたかしら?連絡ないけど
こちらから聞いてみようか?というと

着いてるから連絡来ないんだよ。

とよくわからない事をいう。

 

 

実際2カ月くらいして突然お礼のメモとお菓子が送られてきたりする、、、、、、

 

 

 

母の日に関しては姑の近くに住む夫の叔母にも

毎年送っていて、こちらはすぐに感激の電話をくれるので

同じ日に姑にも届いたものとしている。

 

 

今年も贈って、叔母さんからは既に昨日電話を頂いた。

 

 

アスペの人と関わって

イライラするほうがバカらしいけど

こういう小さいことに

「おかしいんじゃないの???」

と、はてなマークと

自分かおかしいのか?迷惑なのか?と

混乱して

そうすると

今まで25年間分の嫌なやり取りが

走馬灯のように思い出され

死んじゃいたいような気持になる

自分を全否定されているような。

 

 

アスペってなんなんだろうね。

血の通った人間じゃないような気がする。

 

 

うまく行きすぎているくらい

うまく行っている現在の我が家。

 

 

私もADHDとASDの診断が出て

自分の短所を夫が埋めていてくれたこともわかってきた。
 

 

好きとか尊敬とかはないけど
発達障害同士、できることとできないことの

組み合わせのマッチングが合っているのかも



私は運転も掃除もできないし

今している仕事が社会の為になるとしたら

こういう運命だったのか
 

 

家族の為、社会の為

このままなら夫が死ぬまで一緒に同居しても

良いのかなと思うようになってきたほどだった。

 

 

ところが、

思い出した。

 



最近ずっと夫が夕ご飯をつくっていたので

わたしがキッチンに立つことはなかったのだけど

昨日は夫が子どものサッカーに付き合って出かけたので

玄米のチーズリゾットを帰ってきた娘の為にパパっとつくった

かなり美味しかったらしくお替りしたいと言うので三回も作った

 


私も食べてみたらお店に出せるくらいのレベル。

もともと調理の道に進みたかったことや

飲食店をやりたかったことなど思い出した。

最近調理をすることもなくなって、

食べる楽しみや調理する楽しみを忘れていた。

 

 

チーズリゾットを食べながら娘が

「これがTO THE HARBS(娘のおきにいり)で出されても全く違和感ない」

と何度も言い、
そういえばパパのお兄さんが「ママの料理って、すごく上手だよね。これマジで世界一美味しいかも。」
って前に言っていたと言い出し、

「親戚だから言うんじゃないよ、本当に親戚だから褒めたとかじゃない。」と何度も何度も言っていたと笑っていた。

 

 

そうだった。昔は料理も楽しかった。
私の作った料理、とくにチラシ寿司やクスクスのモロッコ風スープなんかは
死ぬ前にもう一度食べたいと友達にお願いされたりしていた。
 

 

結婚するまで得意なことは料理とマッサージとコミュニケーションだった。

やりたかった向いていただろうカフェやバーの夢も思い出した。

 

 

夫は私の料理がきらい。

25年間彼が夕食を作り始める昨年まで

ずっと毎日つくっていて

美味しいと言われたこともないし
料理に手を付けずにカップラーメンを食べるなんてことがほぼ毎日だった。

 

 

夫はADHDで味覚過敏なのかもしれないとわかって

納得したが
それでも思いやりの気持ちや

コミュニケーションできる能力があれば

違ったのではないかと思う。

 



昨日も娘が絶賛してもチーズリゾットにも手をださなかった。

旬のアスパラを焼いたものも、ピーマン肉詰めも食べなかった
息子が食べたいと食べ始めたら

「どう?口に合わないだろ?」と聞いていた。



「どう?口に合わないだろ?」って、、、100歩譲って「おいしい?」でしょ?
おい!私の息子に何て声かけしてんだよ!と思ったが

怒りさえ湧いてこない。もう夫に対して心が冷え切っていて氷になっている。

 

 

夫も結婚したばかりの頃は

私の料理好きを知って一緒にカフェ巡りをしたり

店を出すために動いてくれたこともあった。


店をだしたいと思っていたんだった。と子ども達に言い、

ついでに夫に「娘ちゃんがあなたのお兄さんが、私の料理を世界一美味しいって言っていたの急に思い出したんだって」

と言ってみたら

「あいつは(兄は)アメリカでろくでもないもんばっかり食べてたからなあ」

だって。

思わず

は?

と言いましたよ。
このシーンも100歩譲って「あなたの料理美味しいって言われるよね」でしょ?


夫はここ一年料理をするようになって

自分の作った料理が子ども達に一番美味しいと思っている。

先日はオムライスを食べたいという長男に

生まれてはじめてクックパットを見て作ってあげていた。

それは偉いとは思う。

 

でも私はもうオムライスなんて何百回も作って十八番だし

子ども達も小さい頃から私のオムライスが好きだし

夫にも何度か作って手を付けないで捨てたようなことあったはずなんだけど

それがなかったことになっていて驚く。

大学の友達が「あの時オムライス作ってくれた味、忘れられない」と未だに言うくらいなのに。

 

 

いじわるしようと思ってやっているのではない

夫の中ではなかったこと

愕然とする。

 

 

これがADHD?

これが味覚過敏?

 

 

 

夫は外食も嫌いだし添加物が大好き

一方わたしは鮮度の高いものしかたべたくないし

発酵食品好きでキムチも手作りする程。

 

 

つまりお互いに一緒に食事して

25年間

楽しい食事は

1度もなかった。

これからもない。

一生ない。

 

 

得意なマッサージだって
夫は身体に触れられるのが嫌いなので

一度もしたことがない。

 

 

料理とマッサージを封印したことで
私はまっとうな生活を送るようになり

酒におぼれず
犯罪を犯すこともなく

奔放な暮らしから立ち直って

ちゃんとした人間として東京で暮らしている。

 

 

なにより私にとっては

自分の人生で諦めていた
一番素敵なこと

子ども達が産まれてくれたし

 

社会起業家として成功しつつあるし

全く予想していなかった

違った道が開けた。

 

 

子ども達が大きくなって

会社も大きくなって人に任せられるようになったら

離婚して

一緒に美味しいものを美味しいねと共感できる人と暮らしたい。

私のマッサージを喜んでくれる人もいるはず。
 

 

でも今ここにいるって事は

この社会起業の仕事を軌道にのせるまで

もう少し頑張らなければいけないのかもしれない。



私に発達障害がありかつ夫と結婚したから

資金的にも経験的にもできたことで

他の人がこの立場になることはないので

私しかできないんだろう。

 

 

自分でいうのもなんだけど

私の脳は変わっている。

 

執筆の依頼があり、ある編集部で話をしたときに

「あなたは天才」「ありえない」「普通じゃない」と何度もいわれた。

これは発達障害のなせるわざ。

他の人には出来ない経験と発想なんだと思う。

でもせっかく他の人が思いつかない

良いアイディアをもっていても

それが上手く人に伝えられなくて

変なことを言ってしまったり

大変な人生だった。
ADHDだから実行力もあるから

パッと実行しちゃうんだけど

取り返しがつかないことをしてしまったり

思い返すと大変だった。


昨年からストラテラを飲み始めて1年くらいかけて

副作用とも上手く付き合えるようになり
脳をコントロールしやすくなってきた。

もうこんな年でいまさらなんだけど

私のできることをやってある程度社会に貢献出来たら

 

 

料理とマッサージの生活に戻ろうかな。

人間失格の生活に戻ってしまっても

しょうがないのかも

 

その時はストラテラもやめて

お酒ものんで

きっと太って
身体も悪くして

でも楽しいのかも。

 

 

発達障害ってやっかいだ。

 

ブログを更新していなかった2年間で

180度変わったといっても過言ではない夫。

2021年4月に私が夫の事が我慢できず大嫌いだ離婚したいと告げる。

もう長い間心がおろし金ですってなくなった

もう心はなくなったと言った。

 

やりなおしたい夫。

やり直したいならASD?ADHDの治療が条件と伝える。

 

診断に関しては

以前大手総合病院精神科でASD疑いの診断。

私が夫のADHDを指摘すると確かにこれもあるとブレインクリニックで

脳波を診てもらいADHDだと言われる。(診断書なし)
それを子ども達の通っている小児精神科で相談したところ

ブレインクリニックに行ったことを怒られ

もしどうしても再度診断が欲しい場合は紹介状を書くといわれた


 

9月

夫が大きな声を出したり暴れたり

子ども達が震えるので

少し夫が出掛けたすきに

私と子ども三人でホテルに避難。
 

学校もあるし翌日家にもどる。


夫は反省したとのことで

毎日夕飯をつくるようになる

 

 

年末

子ども達がスキー合宿に参加

夫がこれだけ改善しようと毎日夕ご飯をつくり家事を引き受けているので

家族のために私も1歩踏み出すことにして夫が希望している性交を1度付き合うことに。

ありがとう、ありがとう。とずっと言っていた。

 


年が明けて話し合い。

今後1カ月に一度、家以外でなら付き合うことを契約。

以来1年以上、毎月高級ホテルをデイユースで予約し、毎月いそいそと準備している夫。
 

そして夕食作りは欠かさず毎日続けている夫。

 

子どもの勉強を見るようになり、息子の成績は学校でもTOPクラスに。

 

そのうち掃除洗濯ゴミ出し等

朝ごはんと弁当以外の家事はほぼ夫がやるようになり

私は念願の仕事ができるようになった。

 

 

娘には一切かかわらないが

息子達とはバイクの後ろにのせて出掛けたり

毎日一緒にお風呂にも入って

勉強や学校の持ち物などもチェックしてあげて

息子たちも感謝し懐いている様子。

 

 

私も好きなんて到底思えないし

夫のために家事をやる気も起きないし

話もしたくないが

子ども達のために暮らしていけるくらいの

距離は保てるようになった

 

 

私がこの一年で自分で稼げるようになり

息子がADHDで学校からおちこぼれるとか

娘が体調不良や不登校といった所から抜け出した

からかもしれない。



そして今年、夫はPTA会長に推薦され受けることにした。

子どもの頃支援学級にいかなくて良いのかと聞いた義母・義父が喜ぶだろうと電話してあげた。
まさかあのコミュ障で一人も友達がいず結婚生活で一言も発しない夫がPTA会長とは。


役員の皆さんとも3次会まで飲みに行ったりして楽しいらしい。

子どもを通して長い休みには必ず一緒に旅行する仲間もできた。
両親にもWBCのチケットをプレゼントするなど親孝行もし出した。

子ども達からも信頼され、仕事もそこそこうまく行っているらしい。
なんか上手くいきすぎちゃっている気がするけど

本人も悩んで努力を積み重ねてきた結果がいまの状態にまでなったことには敬服する。

なかなかここまで挽回できる人はいないのじゃないかと思う。



 

子ども達の為には今のこの形態がベストなのだろう

娘も元気になり

それぞれちょっとした困りごとはあっても

これ以上を望むことはバチがあたりそうな程うまく行っている気がする。

 


毎夕夕ご飯でワイワイ盛り上がりながら

また犬を飼おうかと話たり

家族であそこのレストランに行きたいとか

今までで一番家族としては良い感じになっている

と、思っていたのだけど、、、、、