うまく行きすぎているくらい
うまく行っている現在の我が家。
私もADHDとASDの診断が出て
自分の短所を夫が埋めていてくれたこともわかってきた。
好きとか尊敬とかはないけど
発達障害同士、できることとできないことの
組み合わせのマッチングが合っているのかも
私は運転も掃除もできないし
今している仕事が社会の為になるとしたら
こういう運命だったのか
家族の為、社会の為
このままなら夫が死ぬまで一緒に同居しても
良いのかなと思うようになってきたほどだった。
ところが、
思い出した。
最近ずっと夫が夕ご飯をつくっていたので
わたしがキッチンに立つことはなかったのだけど
昨日は夫が子どものサッカーに付き合って出かけたので
玄米のチーズリゾットを帰ってきた娘の為にパパっとつくった
かなり美味しかったらしくお替りしたいと言うので三回も作った
私も食べてみたらお店に出せるくらいのレベル。
もともと調理の道に進みたかったことや
飲食店をやりたかったことなど思い出した。
最近調理をすることもなくなって、
食べる楽しみや調理する楽しみを忘れていた。
チーズリゾットを食べながら娘が
「これがTO THE HARBS(娘のおきにいり)で出されても全く違和感ない」
と何度も言い、
そういえばパパのお兄さんが「ママの料理って、すごく上手だよね。これマジで世界一美味しいかも。」
って前に言っていたと言い出し、
「親戚だから言うんじゃないよ、本当に親戚だから褒めたとかじゃない。」と何度も何度も言っていたと笑っていた。
そうだった。昔は料理も楽しかった。
私の作った料理、とくにチラシ寿司やクスクスのモロッコ風スープなんかは
死ぬ前にもう一度食べたいと友達にお願いされたりしていた。
結婚するまで得意なことは料理とマッサージとコミュニケーションだった。
やりたかった向いていただろうカフェやバーの夢も思い出した。
夫は私の料理がきらい。
25年間彼が夕食を作り始める昨年まで
ずっと毎日つくっていて
美味しいと言われたこともないし
料理に手を付けずにカップラーメンを食べるなんてことがほぼ毎日だった。
夫はADHDで味覚過敏なのかもしれないとわかって
納得したが
それでも思いやりの気持ちや
コミュニケーションできる能力があれば
違ったのではないかと思う。
昨日も娘が絶賛してもチーズリゾットにも手をださなかった。
旬のアスパラを焼いたものも、ピーマン肉詰めも食べなかった
息子が食べたいと食べ始めたら
「どう?口に合わないだろ?」と聞いていた。
「どう?口に合わないだろ?」って、、、100歩譲って「おいしい?」でしょ?
おい!私の息子に何て声かけしてんだよ!と思ったが
怒りさえ湧いてこない。もう夫に対して心が冷え切っていて氷になっている。
夫も結婚したばかりの頃は
私の料理好きを知って一緒にカフェ巡りをしたり
店を出すために動いてくれたこともあった。
店をだしたいと思っていたんだった。と子ども達に言い、
ついでに夫に「娘ちゃんがあなたのお兄さんが、私の料理を世界一美味しいって言っていたの急に思い出したんだって」
と言ってみたら
「あいつは(兄は)アメリカでろくでもないもんばっかり食べてたからなあ」
だって。
思わず
は?
と言いましたよ。
このシーンも100歩譲って「あなたの料理美味しいって言われるよね」でしょ?
夫はここ一年料理をするようになって
自分の作った料理が子ども達に一番美味しいと思っている。
先日はオムライスを食べたいという長男に
生まれてはじめてクックパットを見て作ってあげていた。
それは偉いとは思う。
でも私はもうオムライスなんて何百回も作って十八番だし
子ども達も小さい頃から私のオムライスが好きだし
夫にも何度か作って手を付けないで捨てたようなことあったはずなんだけど
それがなかったことになっていて驚く。
大学の友達が「あの時オムライス作ってくれた味、忘れられない」と未だに言うくらいなのに。
いじわるしようと思ってやっているのではない
夫の中ではなかったこと
愕然とする。
これがADHD?
これが味覚過敏?
夫は外食も嫌いだし添加物が大好き
一方わたしは鮮度の高いものしかたべたくないし
発酵食品好きでキムチも手作りする程。
つまりお互いに一緒に食事して
25年間
楽しい食事は
1度もなかった。
これからもない。
一生ない。
得意なマッサージだって
夫は身体に触れられるのが嫌いなので
一度もしたことがない。
料理とマッサージを封印したことで
私はまっとうな生活を送るようになり
酒におぼれず
犯罪を犯すこともなく
奔放な暮らしから立ち直って
ちゃんとした人間として東京で暮らしている。
なにより私にとっては
自分の人生で諦めていた
一番素敵なこと
子ども達が産まれてくれたし
社会起業家として成功しつつあるし
全く予想していなかった
違った道が開けた。
子ども達が大きくなって
会社も大きくなって人に任せられるようになったら
離婚して
一緒に美味しいものを美味しいねと共感できる人と暮らしたい。
私のマッサージを喜んでくれる人もいるはず。
でも今ここにいるって事は
この社会起業の仕事を軌道にのせるまで
もう少し頑張らなければいけないのかもしれない。
私に発達障害がありかつ夫と結婚したから
資金的にも経験的にもできたことで
他の人がこの立場になることはないので
私しかできないんだろう。
自分でいうのもなんだけど
私の脳は変わっている。
執筆の依頼があり、ある編集部で話をしたときに
「あなたは天才」「ありえない」「普通じゃない」と何度もいわれた。
これは発達障害のなせるわざ。
他の人には出来ない経験と発想なんだと思う。
でもせっかく他の人が思いつかない
良いアイディアをもっていても
それが上手く人に伝えられなくて
変なことを言ってしまったり
大変な人生だった。
ADHDだから実行力もあるから
パッと実行しちゃうんだけど
取り返しがつかないことをしてしまったり
思い返すと大変だった。
昨年からストラテラを飲み始めて1年くらいかけて
副作用とも上手く付き合えるようになり
脳をコントロールしやすくなってきた。
もうこんな年でいまさらなんだけど
私のできることをやってある程度社会に貢献出来たら
料理とマッサージの生活に戻ろうかな。
人間失格の生活に戻ってしまっても
しょうがないのかも
その時はストラテラもやめて
お酒ものんで
きっと太って
身体も悪くして
でも楽しいのかも。
発達障害ってやっかいだ。