≪サン=テグジュペリ年表⑥≫
1923年
アントワーヌはルイーズ・ド・ヴィルモラン(Louise de Vilmorin)と婚約します。
同年、春、ブルジェで初めての飛行機事故を経験、頭蓋骨骨折でした。
その大事故の後、アントワーヌは軍隊を除隊。それでも彼は、バレ将軍(le général Barés)の励ましも有り、空軍に参加することを諦めません。しかし、婚約者ルイーズの家族が反対をしました。
アントワーヌにとって、長く退屈な時期が始まります。製造管理の事務員の仕事などを務めますが、9月にはルイーズとの婚約は破棄されます。
ルイーズ・ド・ヴィルモラン(1950年)
1924年
アリエ県(l'Allier)とクルーズ県(la Creuse)で、トラックを製造するスイス・サウラー社工場(l'Usine Saurer)の販売代理人の仕事をしますが、一年半の間に彼が売ったトラックはたったの一台でした。
アントワーヌにとってこの時期はかなり憂鬱な時期であり、彼は機会あるごとに飛行機に乗って憂さを晴らします。
1925年
従姉のイヴォンヌ・ド・レトランジュ(Yvonne de Lestrange)の家で、アントワーヌはジャン・プレヴォ(Jean Prévost)と出会います。彼は、雑誌「銀の船(Le Navire d'Argent)」の編集者でした。
ジャン・プレヴォ
≪サン=テグジュペリの言葉≫
« Nous sommes riches aussi de nos misères.
(Extrait du Vol de nuit)
「我々は悲惨な経験にも事欠かない。」
(夜間飛行より)
« Le règlement est semblable aux rites d’une religion, qui semblent absurdes, mais qui façonnent les hommes. »
(Extrait du Vol de nuit)
「規則というものは、宗教の儀式に似ている。不条理に見えるが、人間を形作るものなのだ。」
(夜間飛行より)
すた
(ミスター・ビーン訳)