*ペスト 翻訳 V(1)* | ミスター・ビーンのお気楽ブログ

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アルベール・カミュ


la peste 翻訳



「ペスト」(1947)



V  (1)

ペストがこのように突然後退したことは予想外ではあったが、我が市民たちは慌てて喜びはしなかった。解放されたいという願いを募らせながら、これまで数か月を過ごしてきたおかげで、市民たちは慎重な態度を身に着け、この疫病の終息が近いなどとは次第に思わなくなっていたのだ。とは言っても、この新しい事実は全ての人の口に上り、言葉には出さぬが心の底では大いなる希望が蠢いていた。他のことは全て二の次だった。新たなペストの犠牲者が出たことなど、この途方もない事実に比べれば物の数ではないのだ。なにしろ、統計数字は下がっていたのだから。公然と口に出しはしなかったものの、市民たちが密かに健康な時代の始まりを期待していた証拠に、その時から彼らは、何気ない風を装いながらも、ペスト後の生活の再編成の仕方を進んで話題にするようになったのだ。

誰もが皆、以前のような便利な生活が一挙に戻って来ることはない、再建よりは破壊の方が簡単なのだからと考えていた。ただ、物資の補給は多少改善され、それ故、最も差し迫った不安からは解放されるだろうと踏んでいたのだ。しかし実際は、そんな当たり障りのないコメントをする一方で、同時に途轍もない期待感が抑えきれなくなり、それに気づいたときには、我が市民たちは、いずれにしろ解放が間近に迫っているわけではないと慌てて断言するのだった。


la peste V ①

実際、ペストはすぐには歩みを止めなかった。しかし見たところ、良識的に期待できる以上に速いペースでその力を弱めていった。1月上旬は、寒気が異常なまでにしつこく居座り、都市の上空で結晶しているように思えた。それでも、空がこれ程までに青かったことはこれまで一度としてない。何日もの間続けざまに、その凍てついた不動の輝きは、絶え間ない光で我が都市を浸した。この澄み切った空気の中で、ペストは3週間で日一日と勢いを失い、次第に数を減らすペスト患者の死体の列の中で消耗していくように見えた。ペストは、何か月もかけて蓄積してきた力の殆ど全てを短期間で失ったのだ。グランの場合や、リゥの所に運ばれてきた娘の場合のように、しっかり狙いを定めた獲物を取り逃がしたり、2,3日の間ある地区では激しさを増す一方で、他の地区ではすっかり姿を消してしまったり、月曜日には犠牲者の数を倍増させるのに、水曜日には犠牲者の殆ど全てを取り逃がしたり、それにまた、息を切らしているかと思えば突進したりする、そんなペストの姿を眺めていると、ペストはまるで、苛立ちと疲労で自己崩壊を起こし、自己コントロールと同時にかつては力の源であった絶対的で厳密な効率性を失っているように見えた。カステルの血清が、突然続けざまに成功を収めていたのだが、これもそれまでには無かったことだ。医師たちの行う措置の一つ一つが、以前なら何の結果ももたらさなかったのに、今は確実に効力を発揮しているように見えるのだった。今度はペストの方が追いつめられ、突然弱体化することで、それまでペストに対抗して差し向けられたなまくらな勢力を勢いづかせているように思えた。ただ、時には病気の方も意地を見せ、言わばめくら滅法奮起して、治癒が期待される3,4人の患者の命を奪っていた。彼らは不運な人たち、希望を抱いていた最中(さなか)にペストに殺された不運な人たちだ。隔離キャンプから排除しなければならなかったオトン判事の場合が正にそれだった。実際、タルーは、判事はついていなかったと語ったが、その時タルーが判事の死のことを考えてそう言ったのか、それとも彼の人生のことを考えてそう言ったのかは定かではない。

しかし全体的に見れば、ペストの感染は全線にわたって後退しており、県庁が発表した声明は、最初のうちこそおずおずとした、密やかな希望を生み出すだけだったが、終いには公衆の心に芽生えていた勝利を手にしたという確信、ペストはその陣地から撤退しているという確信をゆるぎないものにした。実の所、勝利であると決めつけるのは難しい。ただ、この病が、やって来た時と同様に唐突に出ていくらしいと認めざるを得なかったのだ。ペストに対して取られた戦略に変わりはなかった。それが、昨日は効き目がなかったのに、今日は明らかに好結果をもたらしている。この病は自ら消耗し尽くしたか、あるいは、おそらく全ての目標を達成し終えて引き上げていったとしか思えなかった。言わば、その役割を終えていたのだ。


la peste V ②

にもかかわらず、市内はまるで何一つ変わっていないようだった。昼間は相変わらず静まり返っていた通りが、夜になると以前と同じ群衆で溢れかえっていた。ただし、オーバー姿やマフラー姿が目立っていたが。映画館やカフェも相変わらず繁盛していた。しかしもっと注意して眺めてみると、人々の顔は以前よりも和やかであり、ときには微笑みが浮かんでいることに気付かされる。そして、通りではこれまで誰一人として微笑んでいなかったことを改めて確認することになるのだ。実際は、数か月前から都市を包んでいた不透明なヴェールに、近頃裂け目が一つできていたのだった。そして月曜ごとにラジオのニュースによって、その裂け目が大きくなり、行く行くは自由に呼吸ができるようになることを誰もが確認できるのだった。それはまだごく消極的な安堵の念であり、はっきり表に現れるようなものではなかった。しかし、列車が出発したとか、船が到着したとか、これから再び車の往来が許可されるとか聞いても、以前なら市民たちはにわかには信じられぬという顔をしただろうが、一月半ばには逆に驚きもしなかっただろう。おそらくそれは取るに足らぬことだった。しかし実際には、この微妙な変化が、希望に向かう道程の中で我が市民たちが成し遂げた大きな前進を伝えていたのだ。それに、住民にとって極々僅かな希望が可能になったこの時を境にして、ペストの実効支配が終了したと言えるのだ。

それでも、一月中はずっと、我が市民たちの反応は矛盾したものだった。正確に言えば、興奮と落胆を交互に繰り返していたのだ。こうして、統計が最も好ましい数字を示していた正にその時期に、新たな脱出の試みがあったことを記録しなければならなかった。それは当局の意表を、ひいては衛兵所そのものの意表を大いに突く試みだった。なにしろ大部分の脱出が成功したのだから。しかし実を言えば、この時期に脱出する人々は自然な感情に従っていたのだ。彼らのうちのある人々は、ペストによって深い懐疑の念を植え付けられてしまい、それを振り払うことが出来なかった。希望はもはや彼らの心を掴むことはなかった。ペストの時は過ぎ去っているというのに、彼らは相変わらずペストの定めた規範に従って生き続けていた。彼らは事態の進行についていけなかったのだ。逆に、他の人々にとっては、とりわけ、それまで愛する人々と切り離されて生きてきた人々にとっては、長きにわたる幽閉と失意を味わった後で吹き起った希望の風は、彼らから自制心をすっかり奪い取る興奮と焦燥の思いを掻き立てたてていた。ゴールを目の前にして自分は命を失うかもしれない、これほど深く愛している人との再会が叶わぬかもしれない、この長きにわたる苦しみが報われぬかもしれないと思うと、パニックにも似た思いが彼らを捉えるのだった。何か月もの間、幽閉と流刑に処されながらも底知れぬ粘りを見せて、彼らはひたすら辛抱強く待ち続けていたのだが、恐怖と絶望がぐらつかせることの出来なかったものを破壊するには、希望の兆しが現れるだけで十分だったのだ。彼らは終いまでペストのペースに合わせることが出来なくなり、狂ったように突進してペストを追い抜いていったのだ。


la peste V ③

しかし同じ時期に、巧まずして楽観主義を示す兆候も幾つか現れていた。それ故、物価の著しい低下ぶりも記録されることになる。純粋な経済的観点に立てば、この物価の動きは説明がつかぬものだ。困難な状況は相変わらずであり、市門の所では検疫手続きも維持されていたし、物資の補給も改善されるどころではなかったからだ。だからそれは、純粋に心理的な現象であり、まるでペストの後退があらゆる領域に影響しているかのようだった。同時に、楽観主義は、ペスト以前は集団生活を送っていたのに、ペストのせいで離れ離れに暮らす羽目になった人々の心を掴んでいた。市内の二つの修道院は再編成に着手し、共同生活の再開が可能になった。軍人についても同様で、彼らは空き家になっていた兵舎に再び集められ、通常の駐屯業務を再開した。こうした小さな事実は、重要な意味を持つ兆候だった。

住民は1月25日までは、このような密かな揺れ動きの中で暮らした。その週、統計数字は大きく下がったので、医療委員会と協議の末、県庁は、ペストの伝染は阻止されたと見なし得ると発表した。なるほど、公式発表には以下のような文言が付記されてはいた。必ずや住民の方々の賛同を得られるものと思うが、慎重を期して、市門は更に二週間閉鎖し、また、予防対策は一か月間維持するものとする。その間に僅かでも危険な兆候が再び見られるようなら、≪現状を維持し、その先も前述の対策を継続するものとする≫。しかし、誰もがこのような付帯条項は形式に過ぎないと考えていた。1月25日の夜、歓喜の波が都市を満たした。市民の歓喜に歩調を合わせ、知事は平時の照明に戻す命令を下した。冷たく澄んだ空の下、煌々と照らされた街路に、我が市民たちは騒々しく笑いさざめきながら、群れを成して繰り出した。


la peste V ④

確かに、まだ多くの家で鎧戸は閉じたままであり、家族の者たちは、他の人々の叫び声で溢れているその夜を無言のまま過ごした。しかしながら、悲しみにくれているこの多くの者たちにとって、安堵の念も深かったのだ。一つには、他の身内の命が奪われるのではないかという恐れがようやく和らいだからであり、また一つには、自身の身の安全について、もう警戒しないで済んだからでもある。しかし、全市民の喜びと最も無縁でいなければならなかったのは、正にその瞬間にも病院でペストと闘っている病人を抱えている家族たちだった。彼らは、隔離所、あるいは、自宅で他の人々同様自分たちもこの災禍から本当に解放されることを待ち望んでいたのだ。それは異論のないところだ。彼らも確かに希望は抱いていたのだが、それを表に出さずに心の中に備蓄していた。そして、本当にその権利が得られるまでは、その心の備蓄から希望を汲み出すことを自らに禁じていたのだった。苦悩と喜びの中間にあるこの「待ち」の状態、この無言の夜は、都市全体に溢れる歓喜のの中で、彼らにははるかに残酷に思えるのだった。

しかし、このような例外はあるにしても、それで他の人々の満足感が削がれるわけではなかった。おそらく、ペストはまだ終わっていなかったし、いずれきっとペストがそれを証明することになる。しかし、既に全ての市民の心の中では数週間も前から、列車は汽笛を鳴らしながら果てしない鉄路を走り、船は輝く海の上を縦横に進んでいるのだった。翌日には、市民たちの心も今よりは落ち着き、再び疑念が生まれることだろう。しかし、差し当たり今は、都市全体が動き出し、礎石を埋め込んだ暗い不動の閉じられた土地を離れ、生き残った人々を乗せて終に歩き始めたのだった。その夜、タルーとリゥ、それにランベールと他の仲間たちは群衆の中を歩き、彼らもまた地に足がつかぬ思いを味わっていた。大通りから離れてしばらく経ち、人影のない小道で、鎧戸の閉まった窓に沿って歩いていた正にその時でも、タルーとリゥの耳には市民たちの歓声が追いすがって来るのだった。そして、二人は正に疲労故に、鎧戸の背後で続いている苦しみと、少し離れた通りを満たしている喜びを区別することが出来なかったのだ。近づきつつあるペストからの解放は、笑いと涙の入り混じった表情を浮かべているのだった。

通りの騒めきが一層大きく、陽気になった時、タルーは足を止めた。暗い舗道の上を物影が一つ軽やかに走り抜けて行ったのだ。猫だった。昨年の春以来、初めて目にする猫である。猫は車道の真ん中で一瞬動かなくなり、躊躇い、片手をなめて、素早くその手で右耳を掻いた。それから音も立てずに再び走り、闇に消えた。タルーは微笑んだ。あの小柄な老人も喜んでいるだろう。


la peste V ⑤

(ミスター・ビーン訳)

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