*セレナータ La Serenata(トスティ)* | ミスター・ビーンのお気楽ブログ

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今日のイタリアの歌は、イタリア近代歌曲の父と言われているフランチェスコ・パオロ・トスティ

「セレナータ」


作詞はジョヴァンニ・アルフレード・チェザーレオ

ウィキペディアに作曲家トスティについて、下記の記述が有るので、宜しければお読みください。


現アブルッツォ州キエーティ県オルトーナに生まれる。幼くしてヴァイオリンの神童として知られ、1858年、12歳にしてナポリ音楽院に入学、ヴァイオリンと作曲の研鑽を続ける。当時の作曲の師にはサヴェリオ・メルカダンテも含まれる。在学当時には、教官助手も務めていた。1866年、ヴァイオリンでディプロマ取得し、その時期から歌曲を作曲しはじめている。その後、20代前半で故郷オルトーナに戻り、オルガン演奏・指揮者の職に就いた(教官助手の激務などから健康を害し、静養に入っていたという説もある[要出典])。そこで書き溜めた小歌曲集が認められ、1875年頃からはローマをはじめとするイタリアで盛んにサロン用歌曲を発表する。やがてトスティはイタリア王室の声楽教師、1880年ごろからはロンドンに移住しイギリス王室の声楽教師となる。1906年には英国臣民となり、1908年には準男爵に叙せられた。1912年にイタリアに戻る。狭心症に1915年ごろから苦しめられている中でも、少なくとも1916年(没年)の秋まで作曲していたと見られるが、その年の初冬に病状が悪化し、12月2日、ローマで他界した。
英語は一言も解さなかったとの説もあるが、母語のイタリア語のみならず、英語やフランス語を原詩とする多くの歌曲の小品を作曲、その多くが今日でもリサイタル用ピースとして愛されている。イタリア語に関しては、17歳年下の詩人ガブリエーレ・ダンヌンツィオとのコラボレーションは少なくとも33曲におよび、中でも歌曲集「アマランタの4つの歌」が特に有名である。


トスティ


LA SERENATA
Vola,o serenata
la mia diletta e sola
e,con la bella testa abbandonata,
posa fra le lenzuola:
o serenata,vola.
o serenata,vola.
Splende pura la luna,
l'ale il silenzio stende,
e dietro i veli dell'alcova bruna,
la lampada s'accende;
pura la luna splende.
Vola,o serenata,vola.
Oh,la!

Vola,o serenata
la mia diletta e sola
ma,sorridendo ancor mezzo assonata,
torna fra la lenzuola
o serenata,vola!
L'onda sogna sullido,
e'l vento su la fronda,
e ai baci miei ricusa ancor un nido
la mia signora bionda.
Sogna sullido l'onda.
Vola,o serenata,vola.
Oh,la!



ゆけよ おお セレナータ
ぼくのすきな娘はたったひとり
美しい頭をもたせかけて
シーツの中で休んでいる
おお セレナータ ゆけよ
おお セレナータ ゆけよ
月は美しく輝き
静寂はその翼を広げている
そしてあの暗い寝室のカーテンの後ろには
灯かりがついているのだ
美しく月は輝いている
ゆけよ おお セレナータ ゆけ
おお、あそこへと

ゆけよ おお セレナータ
ぼくのすきな娘はたったひとり
だけど ほほえみながら半分夢見心地で
シーツの中へと戻っていく
おお セレナータ ゆけよ
波は浜辺で夢を見るし
風は梢の上で夢を見る
ぼくのキスにも心開いてくれないのか
ブロンドのぼくの愛する人は
浜辺で夢を見る 波は
ゆけよ おお セレナータ ゆけ
おお、あそこへと



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