*ペスト 翻訳 II (8)* | ミスター・ビーンのお気楽ブログ

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アルベール・カミュ


la peste 翻訳



「ペスト」(1947)



II  (8)

翌日からタルーは仕事に取り掛かり、最初の衛生部隊を集めた。その後、続々と別の部隊がその後に続くことになる。

しかしながら語り手の意図は、これら衛生部隊の役割を実態以上に重視することではない。なるほど、もし市民が語り手の立場に立てば、今日多くの市民が衛生部隊の役割を誇張したい気持ちに駆られるかもしれない。しかし、語り手は、こうした立派な行いを重視しすぎることで、むしろ結果的には、悪に対して間接的ではあるが強力な敬意を払うことになりかねないと思うのだ。なぜなら、そうなると、こうした義挙にこれほどの価値があるのは、専(もっぱ)らそれが稀な行為であり、人間の行動の動機は、悪意や無関心である場合がはるかに多いという仮定を認めてしまうことになるからだ。それこそ正に語り手が組することのない考え方だ。この世に存在する悪は、ほとんど常に無知から生まれるのであり、善意といえども見識に欠けていれば、悪意と同等の被害をもたらす。人間は悪を為すよりは善を為すように生まれついている。実際、それは疑問の余地はない。しかし、知識が多いか少ないかということはある。それがいわゆる美徳と悪徳につながるのだ。悪徳の最たるものは無知の生み出す悪徳であり、それは全てを知っていると思い込み、人を殺す権利を自らに認めてしまうことだ。殺人者の心は盲目である。だから可能な限りの洞察力を具えていなければ、真の善意も素晴らしい愛も有りはしない。

それ故、タルーのおかげで実現した我が衛生部隊は、偏(かたよ)りのない満足感で判断されねばならない。それ故、語り手はその意志を過剰なまでに称賛することは無いし、そのヒロイズムに然るべき重要性は認めるにしても、それを過剰なまでに称賛することは無い。そうではなくて、語り手は、当時ペストが全市民にもたらした心張り裂ける思い、満たされることのない心を記録し続けることになる。

というのも、衛生部隊に身を捧げることはそれ程偉いことでもなかったのだ。なぜなら、衛生部隊に参加した者は、それが唯一為すべきことであり、そう決意しないことなど考えられぬことを知っていたからだ。これら衛生部隊は、市民たちがペストにより前向きに関わる手助けをし、病気がある以上それと闘うために必要なことをしなければならぬことを多少は市民たちに納得させたのである。ペストがこうして一部の人間の課題になったので、ペストはその本来の姿、つまり現実に全員の課題となったのだ。

それはありがたいことである。しかし、例えば、小学校の教師は2足す2は4であると教えるから偉いのではない。多分、彼がその立派な職業を選んだからこそ偉いのだろう。だから、タルーとその仲間たちが2足す2は4でありそれ以外の答えは無いことを証明する道を選んだのは称賛に値すると言えるが、同時に、その善意は小学校教師の職を選んだ者と共通であり、また、例の小学校教師と同じ心根を持つ全ての人々と共通であるとも言えるのだ。そして、人類にとって名誉なことに、そうした人々は人が思う以上に数が多いということだ。少なくとも、語り手はそう確信している。もっとも、語り手は彼に向けられる反論があることは十分承知している。つまり、タルーとその仲間たちは命を危険に晒したという反論だ。しかし、歴史では、2足す2は4であると敢えて口に出す者が死罪に処される時期があるのだ。例の小学校教師ならよく分かっていることだ。そして問題は、この主張に対してどんな報奨が、あるいは、罰が待ち受けているかを知ることではない。肝心なのは、2足す2が4になるのかならないのかを知ることなのだ。我が市民たちの中で当時命を危険に晒していた人々は、ペストの中に飛び込むか否か、ペストと闘うべきか否かを決意しなければならなかったのである。

我が都市に新たに現れた多くの道徳家たちはそのとき、何をしても無駄だ、ペストの前に跪かねばならぬと言っていた。そしてタルー、リゥ、そして彼らの仲間たちはあれこれ答えることは出来たのだが、結論は常に彼らには分かっていた。つまり、ペストに対して何らかの方法で闘い、膝を屈してはならぬということだった。何よりも肝心なことは、出来るだけ多くの人々が死なずに済むように、決定的な別離を味わわずに済むようにすることだった。そのためには、たった一つの手段しかない。つまりペストと闘うことだ。これは感嘆すべき真理などではなく、首尾一貫した真理にすぎなかったのだ。


la peste II ㉝

それ故、老医師カステルが仮器材を使って、現場で血清を製造することに全幅の信頼を置き、全精力を注ぎこむのは当然だった。リゥとカステルは、都市を汚染していた細菌そのものを培養して作られた血清は、外部から持ち込まれた血清より直接効果を発揮することを期待していた。なにしろ、現地の細菌は、従来定義されていたペストの桿菌とはいくらか違っていたのだから。カステルはその最初の血清がかなり早く手に入るものと思っていた。

それ故また、ヒーローらしい所など微塵もないグランが、衛生部隊の秘書業務のような仕事を今や滞りなく果たしているのも当然のことだった。というのも、タルーが編成したチームの一部は、人口過密地区で予防扶助業務に専心し、その地区に必要な衛生環境を導入しようと努め、未だ消毒が行われていない屋根裏部屋や地下倉庫を数え上げていた。また別のチームは、往診する医師たちを助け、ペスト患者の搬送業務をこなしていた。さらに後には、専門職員がいない場合、病人や死人を乗せた車両を自ら運転したのだった。こうした作業には全て、グランが引き受けていた記録作業、統計作業が必要だったのだ。

このように見てくると、語り手は、リゥやタルー以上に、グランこそが衛生部隊を突き動かしていたこの静かなる勇気の真の代表者だと思うのだ。グランは持ち前の善意から、二つ返事で仲間になることを引き受けてくれた。ただ彼は、自分は雑務をこなすことで役に立ちたいと言っていた。他の仕事をするには自分は年を取りすぎている。18時から20時まで、自分は衛生部隊の仕事に時間がさけると。そして、リゥが熱烈に感謝の気持ちを伝えると、彼は驚いてこう言っていた。「たいして難しいことじゃありません。ペストなんですから、身を守らなきゃなりません、当たり前のことです。ああ!何事もこんな風に簡単ならいいのですが!」そう言って、彼は再び例の文章に取り組むのだった。ときどき晩には、分類カードの仕事が終わると、リゥはグランと話をしていた。結局、タルーも彼らの会話に加わる様になり、グランは次第に嬉々として二人の仲間に自分の気持ちを打ち明けるのだった。リゥとタルーの方も、グランがペストのさ中にも続けている根気のいる作文の成り行きを興味深げに見つめていた。結局二人もまた、グランの作文にある種の息抜きを見い出していたのだ。

「例の乗馬婦人の調子はどう?」とタルーはよく訊いていた。するとグランは微妙な笑みを浮かべ、決まってこう答えるのだった。「駆けてますよ、駆けてますとも。」ある晩グランは、乗馬婦人に「優雅な」という形容詞を使うのはきっぱりやめて、これからは「たおやかな」という形容詞を使うと言った。「ずっと具体的ですから」と彼は付け加えていた。またあるときは、二人の聞き手に、このように修正した出だしの文を読んで聞かせた。「5月のある晴れた朝のこと、たおやかな婦人が素晴らしい栗毛の牝馬に乗り、ブローニュの森の花咲く小道を駆け巡っていた。」

「どうです?」とグランは言った。「この方が婦人の姿が目に浮かぶようだ。5月は≪メ(mai)」≫の方が気に入りました。≪モワ・ドゥ・メ(moi de mai)≫では馬の速足が少々間延びしてしまいます。」

次にグランは、≪素晴らしい≫という形容詞がひどく気掛かりのようだった。これでは何も伝えていないと言うのだ。彼は自分が思い描く豪華な牝馬を一言で活写してくれる言葉を探していた。≪肥えた≫では駄目だ、具体的だが少々俗っぽい。≪艶(つや)やかな≫という言葉に一時惹かれたが、それではリズムが合わない。ある晩、グランは勝ち誇ったように、言った。「見つかりました!≪黒い栗毛の牝馬≫です。」 これもまた彼の言なのだが、黒は優雅さを秘めていると言うのだ。

「そりゃ駄目だよ。」とリゥが言った。

「何故です?」

「栗毛(アルザヌ)は品種ではなく、色を表すからさ。」

「何色です?」

「そうだな、とにかく黒ではない色だ。」

グランはひどく悲しそうな顔をした。

「ありがとうございます。先生がいてくれて本当に助かります。でも、これがどれほど難しいか先生にもお分かりでしょう。」

「≪豪奢な≫っていうのはどうだろう?」とタルーが言った。

グランはタルーを眺め、考え込んでいた。

「ええ」とグランが答えた。「ええ!」

少しずつ、グランの顔に微笑みが浮かんできた。

それからしばらくして、グランは≪花咲く≫という言葉に悩んでいると打ち明けた。彼はオランとモンテリマール(注:フランス南東部、ローヌ川流域地帯にある町。高名なヌガーの産地)以外の町は何一つ知らなかったので、ときどきリゥとタルーにブローニュの森の小道が花咲く様子についてあれこれ情報を求めていた。実を言うと、リゥもタルーも小道に花が咲いているという印象を一度も持ったことは無かったのだが、市職員の確信に二人の心は動揺していた。グランは二人のあやふやさに驚いていた。「ものを見るすべを心得ているのは芸術家だけなのですね。」しかしある時、リゥ医師はグランがひどく興奮しているのが分かった。グランは≪花咲く≫を≪花の溢れた≫に書き換えていたのだ。彼は嬉しそうに揉み手をしていた。「ようやく小道が目に浮かび、肌で感じられます。≪諸君、脱帽し給え!≫ですよ。」グランは勝ち誇ったように文を読み上げた。≪5月のある晴れた朝のこと、たおやかな婦人が豪奢な栗毛の牝馬に乗り、ブローニュの森の花の溢れた小道を駆け巡っていた。≫ しかし、大声で読み上げてみると文の末尾を飾る三つの属格、つまり≪ブローニュの≫、≪森の≫、≪花の≫の響きが思わしくなく、グランは少々噛んでしまった。彼は、打ちひしがれたように腰を下ろした。それから彼はリゥ医師に今日はこれでお暇(いとま)しますと言った。まだ少し考える必要があるというわけだ。


la peste II ㉞

後で分かったことだが、グランが役所でときどきぼんやりした様子を見せていたのはこの頃だった。それでなくても人員不足の市役所が抱えきれぬほどの職務をこなさねばならぬ時期に、このような態度は遺憾であると判断された。グランの仕事は滞(とどこお)り、上司はそのことで彼を厳しく叱責した。正(まさ)しく彼が滞らせている仕事をしっかり果たすことで彼は給料を支払われていると指摘したのだ。「どうやら君は」とそのとき上司は言っていた。「正規の仕事以外に、衛生部隊でヴォランティア業務をやっているようだな。そんな業務は私には関係ない。しかし、君の正規の仕事は私には関係がある。このとんでもない状況の中で、君が先ずやるべきことは、しっかり本業をこなすことだ。でなきゃ、その他のことなど何の役にも立たん。」

「上司の言う通りです。」とグランはリゥに言った。

「そうだな、彼の言い分は正しい。」とリゥも認めた。

「でも、集中できないんですよ。あの文の最後の部分をどう切り抜けたらいいのか分からないんです。」

グランは、誰でも森と言えばブローニュの森だと分かるだろうと踏んで、≪ブローニュの≫を省いてしまおうと考えてみた。しかしそうすると、実際は≪小道≫に係る言葉、つまり≪森の≫が≪花≫に係るように見える。彼はまた、≪花に溢れる森の小道≫はどうかと検討してみた。しかし、≪小道≫という名詞と彼が勝手に切り離した≪溢れる≫という修飾語の間に≪森≫を挟むのは、棘が肉に食い込むように思えるのだった。実際、幾晩も、グランはリゥよりはるかに疲れ切った様子をしていたのだ。

そう、グランは彼を捉えて離さぬこの探究で疲れ切っていた。しかしそれでも彼は、衛生部隊に必要な計算と統計の仕事は続けていた。毎晩、彼は辛抱強く分類カードを整理し、カードにグラフ曲線を添付する。そして、ゆっくりと大変な労力を注いで、出来うる限り正確な状況を提示してくれていたのだ。また、グランはかなり頻繁に病院の一つにいるリゥの所にやって来て、事務室か看護人室でテーブルを一つ使わせてほしいと頼んでいた。正に市役所でそうするように、彼は書類を携えてテーブルの前にどっかり腰を据え、消毒剤と病気そのものが立ち込めた空気の中で、書き上げた書類を振ってインクを乾かすのだった。グランはそのとき、もう例の乗馬婦人のことは考えず、必要なことだけに集中しようと誠実に努力していたのだ。

そう、もし人というものが、模範的人物、ヒーローと呼ばれるような人物をどうしても思い描きたくなるというのが本当なら、そしてこの物語にヒーローが一人どうしても必要だというのであれば、語り手は、心にわずかばかりの善意と傍目(はため)にはこっけいに映る理想しか持ち合わせていないこの目立たぬ、冴えない男こそヒーローであると思っている。そうすることで、真実にはその本来の姿が、2足す2の足し算には4という答えが、ヒロイズムにはその本来の位置が、つまり幸福が惜しみなく要求するもののすぐ後に続き、決してその前には来ない位置、2番手としての位置が与えられることになるだろう。それはまた、この記録にその本来の性格、つまり、あからさまな悪意や芝居がかった悪趣味な高揚感ではなく、誠実な感情に基づいてなされた報告という性格を与えてくれるだろう。

ペストに侵された都市に届けられる呼びかけや励ましの声を新聞で読み、ラジオで耳にしたとき、少なくともこれがリゥ医師の意見であった。空路や陸路で送られてくる援助物資と同時に、毎晩ラジオの電波や新聞の紙面を通じて、同情や称賛のコメントが今や孤立している都市に大挙して寄せられていた。そしてその度(たび)に、叙事詩のような、あるいは、授賞式のスピーチのような語調にリゥ医師は苛立つのだった。確かに、この外部の心遣いが見せかけでないことはリゥにも分かっている。しかしその心遣いは、人が人類全体の連帯を表そうとする時に用いる型にはまった言葉で表されざるを得なかったのだ。そしてそのような言葉は、グランの日々の小さな努力に当てはまる筈も無かった。例えば、ペストのさ中でグランという存在がどんな意味を持っているのかを説明することなどはできなかったのだ。

深夜、今や人影のない都市の深い静寂の中で、あまりにも短い眠りにこれから就こうかというとき、リゥ医師はときどきラジオのスウィッチをひねるのだった。すると、何千キロも離れた世界の果てから、見知らぬ友愛に満ちた声が、不器用なりに何とか連帯の気持ちを伝えようと試みていた。確かにそれらの声は連帯を口にしていたのだが、同時に、誰であれ、自分では体験できぬ苦痛を本当の意味で分かち合うのは絶対に不可能であることを示しているのだった。「オランよ!オランよ!」と声の主(ぬし)は呼びかけていた。はるばる海を越えて聞こえて来るそれらの呼びかけに、リゥは思わず耳をそばだてるのだが、無駄なことだった。やがて雄弁が勝り、グランと弁者を全くの赤の他人にしてしまう決定的な亀裂を一層強く際立たせることになるのだった。「オラン!そう、こちらはオランだ!しかし、無駄なことだ」とリゥ医師は考えていた。「共に愛するか、共に死ぬか、他に手段は無い。彼らはあまりにも遠すぎる。」


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(ミスター・ビーン訳)

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