*ペスト 翻訳 II (5)* | ミスター・ビーンのお気楽ブログ

ミスター・ビーンのお気楽ブログ

好きな音楽の話題を中心に、気の向くままに書いていきます。

アルベール・カミュ


la peste 翻訳



「ペスト」(1947)



II  (5)

ランベールのように、他にもこのパニックになりかけている雰囲気を逃れようとする者がいた。ただし、より成功したわけではないが、やり方はもっと執拗であり巧妙だった。ランベールは最初、公式ルートを通じて奔走を続けていた。彼によれば、日ごろから自分は、何事にせよ粘り強くやれば最後には勝利を得られると考えていると言うのだ。それに、見方によれば、困難を何とか切り抜けるのが彼の役目だった。そこでランベールは、夥しい数の役人や、有能さという点では普段なら文句のつけようのない人々を訪問していた。しかし今度の場合、そんな有能さは何の役にも立たなかった。相手は、たいていの場合、銀行、輸出、柑橘類、或は、ワインの取引などに関しては全てにおいて正確でよく整理された考えを持つ人々だった。彼らは訴訟や保険の問題なら非の打ちどころのない知識の持ち主であり、無論しっかりした免許が有り、善意にも事欠かない。しかも、彼ら全員に於いてもっとも際立っていたのは、まさにその善意なのだ。しかし、ことペストに関しては、彼らの知識は殆ど無価値に等しかった。

それでも彼ら一人一人の前で、機会あるごとに、ランベールは自分の立場を主張していた。彼の立論の基本は常に、彼は我が都市では部外者であり、したがって彼のケースは特別な調査がなされるべきだと主張することだった。概して、相手の方はその点はすんなりと認めてくれた。しかしたいていの場合、それはかなりの数の人々にも当てはまる、従って、ランベールが考えるほど特別なことではないと指摘するのだ。それに対しては、だからといってそれが自分の議論の根底を何ら変えることにはならないと反論することが出来たのだが、相手は、特別なケースではないからこそ、いかなる優遇措置も認めない行政側の苦労をいくらかでも軽減してくれるのであり、もし優遇措置を認めたりすれば、(ここで相手はいかにも苦々しげな口調で言った)悪しき前例を作り出すことになると応酬するのだった。ランベールがリゥ医師に示した分類に寄れば、この手の議論を展開する連中は形式主義者ということになる。その他に、口先だけの連中もいる。彼らはランベールにこんなことが長続きする筈がないと請け合い、どう決定したのか尋ねると、やたら耳触りのいい助言を振りまき、ただ一時的な不便を被(こうむ)るだけだと決めつけてランベールを慰めるのだった。えらそうに振る舞う輩(やから)もいる。彼らはランベールに用件を要約したメモを残すように言い、後ほど自分たちが決済を下すと知らせるのだった。軽薄な輩もいる。彼らは宿泊券をやろうかとか、安く泊まれる場所を教えようかと言ってきた。整理分類好きの役人もいて、カードに必要事項を書き込ませ、次にそれを分類するのだ。忙し過ぎて手が回らない連中は、ただ両腕を上げるだけ。迷惑がっている連中は、目を逸らしてしまう。最後に、これがはるかに数は多いのだが、典型的なお役人タイプがいる。彼らはランベールに別の部署を指示したり、新たな手続きを指示したりするのだった。

ランベール記者は、こんな風に訪問に次ぐ訪問で疲れ果ててしまったのだが、免税扱いの国債への応募や植民地部隊への志願を勧める大きなポスターの前で、モールスキン張りのシートに座り何度も待つはめになったり、室内のファイルキャビネットや書類棚同様、中にいる職員の顔つきなど簡単に予想できるような事務室に何度も入ったおかげで、市役所や県庁の正体がはっきりと見て取れたのだった。ランベールがリゥに苦々しげに語るには、良かったことと言えば、こんなことをしていたおかげで真相を知らずに済んだことだ。自分はペストがどの程度進行しているのかほとんど知らずにいた。おかげで日々が瞬く間に過ぎて行ったのだが、それはそれとして、この都市が今置かれている状況では、一日過ぎれば、死なない限り試練の終わりがそれだけ近づくと言える。リゥは、その点は確かだと認めざるを得なかったが、やや大まかに過ぎる真理だと思ったのだった。


la peste II ⑳

ふと、あるとき、ランベールに希望が湧いた。県庁から未記入の申告書が届いたのだ。正確にもれなく記入してくれということだった。申告書には、身元、家族の状況、過去と現在の収入、それに、いわゆる履歴の問い合わせがあった。ランベールには、それがもとの住居に送り返すことが出来る人々の現状を調べる調査の様に思えた。ある部局から幾つか漠然とした情報を集めてみて、ランベールはそうに違いないと考えた。しかし、きっちりと手順を踏んだ後、彼はなんとかその書類を送って来た部署にたどり着いたのだが、そこでは万一の場合に備えてこういう情報を集めたのだという話だった。

「万一の場合って、どんな場合です?」とランベールは尋ねた。

すると明確な答えが返って来た。彼がペストに罹り死んだ場合、一つには家族に知らせるため、一つには入院費を市の予算に組み込むべきか、それとも近親者から費用の返還を期待できるのかを知るためだと言う。確かにそれは、彼が自分を待っている恋人と完全には切り離されてはいない、社会が二人のことに関心を寄せている証拠ではあった。しかし、だからといって慰めにはならない。より注目すべきことは、ランベールも結局それに気づいたのだが、悲惨な災害のさ中にあっても役所というものはこういうやり方で業務を続け、自らの業務を果たすというただそれだけの理由で、しばしば最高幹部も知らないうちに、率先して先のことに取り組むことが出来るということだった。


la peste II ㉑

この後に続く時期は、ランベールにとって最も容易であると同時に最も困難な時期でもあった。虚ろな心で過ごした日々なのだ。彼はあらゆる部署を訪れ、あらゆる手立てを尽くしたのだが、その方面での出口は当面塞がれていた。そこで彼は、カフェからカフェを巡り歩いていた。午前中は、テラスで生ぬるいビールの前に座り、近いうちにペストが収まるという兆候が書かれていないかと期待して新聞に目を通す。道行く人の顔を眺めてはその暗い表情に嫌気がさして目を逸らし、正面にある商店の看板や、もう出されることもない上等なアペリティフの広告を何百回も読む。それから立ち上がり、町の黄色く汚れた通りを当ても無く歩き回るのだった。孤独な彷徨(ほうこう)の後にはカフェに入り、カフェからさらにレストランに入り、その頃には日が暮れてくる。リゥがランベールを見かけたのは、正にそんなある日暮れ時のことだった。ランベール記者はとあるカフェの入り口にいて中に入るのを躊躇(ためら)っている。どうやら決心がついたらしく、彼は店の奥に進み席に着いた。カフェでは上からの命令で出来る限り点灯を遅らせていた時間帯だ。黄昏(たそがれ)が灰色の水の様に店内を浸し、夕空の薔薇色の光が窓ガラスに反射する、そして忍び寄る闇の中で大理石のテーブルが鈍い光を放っている。人気のない店内で、ランベールは彷徨(さまよ)える亡霊のように見えた。リゥはランベールの心が虚ろになる時刻なのだと思った。それはまた、この都市の全ての囚人たちの心が虚ろになる時間でもある。彼らの解放を早めるために何か手を打たなければ。リゥはその場を立ち去った。

ランベールは駅でも長い時間を過ごしていた。プラットホームに近づくことは禁じられている。しかし、外から入れる待合室は開いたままだ。日陰になり涼しいので、暑い日には、ときどき物乞いたちがそこに居座っていた。ランベールはやって来ると、古い時刻表や唾吐き禁止の張り紙、鉄道警察規則を読んでいた。それから、片隅に腰を下ろす。待合室の中は薄暗い。古い鋳物のストーブは何か月も前から冷えたままだ。壁には数枚のポスターがあり、バンドル(注:トゥーロン西郊の地中海に臨む町。海水浴場がある)やカンヌでの楽しく自由な生活を宣伝している。ランベールはこのオランで貧しさの極みで味わうような悍(おぞ)ましい自由を手にしていた。少なくとも彼がリゥに語ったところに寄れば、ランベールにとって最も耐え難いイメージ、それはパリのイメージなのだ。古い石造りの建物や水の風景、パレ・ロワイヤルの鳩たち、北駅、パンテオンの人気のない界隈、それまで自分がそれ程愛していたとは気付かなかった他の幾つかの場所がランベールの頭から離れず、何一つまともに手につかなくなっている。それを聞いて、リゥはただ、ランベールがパリのイメージを彼の愛のイメージと重ね合わせていると考えていた。そして、ランベールが彼に、自分は朝の4時に目覚めてパリのことを考えるのが好きだと語った日、リゥ医師は自分の経験に照らし、ランベールはその時間にパリに残してきた恋人のことを想像するのが好きなのだと苦も無く解釈するのだった。というのも、その時間なら彼女を手に入れることが出来るのだ。たとえ夜に裏切られたとしても、人は普通、朝の4時には何もせず眠っている。そう、その時間、人は眠っているのであり、心乱れることは無い。というのも、不安な心が何よりも願うこと、それは愛する人から片時も離れぬこと、あるいは、別れの時が訪れたときには、再会の日まで果てることのない、夢のない眠りの中にその人を浸しておくことなのだから。


la peste II ㉒

(ミスター・ビーン訳)
ペタしてね