*異邦人 翻訳*(第二部 第四章) | ミスター・ビーンのお気楽ブログ

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アルベール・カミュ
$ミスター・ビーンのお気楽ブログ-一部 第1章①


2時間29分42秒から2時間45分14秒まで



「異邦人」(1942)

第2部

第4章


たとえ被告席に居ても、自分のことが語られるのを聞くのは常に興味深いものだ。検事と僕の弁護人が口頭弁論を繰り広げている間、僕のことが多く語られ、おそらく僕の犯した犯行以上に僕自身のことが語られていたと言える。それに、検事と弁護人の弁論はそれほど違いがあったろうか?弁護人は両腕を上げ、有罪であるが酌量の余地があると弁護する。検事は両手を前に突きだし、有罪であり酌量の余地などないと断罪する。でも僕は、漠然とあることが気がかりだった。気がかりはあったが、僕はときどき口を挟みたい気持ちに駆られ、その度に僕の弁護人は、「黙っていなさい。その方が事件には有利なのです。」と繰り返した。言ってみれば、この事件は僕をそっちのけにして扱われているといった雰囲気だ。何もかも、僕が入り込む余地のないまま展開していく。僕の運命が、僕の意見など度外視して決められていくのだ。ときどき、皆の言葉を遮ってこう言いたい気持ちになった。「でも、だれが被告人なのですか?被告人を疎(おろそ)かにはできません。それに、僕にも言い分がある。」しかしよく考えてみると、僕には言いたいことなど何もなかった。それに、人の興味など長くは続かないと認めざるを得ない。その証拠に、僕自身、あっという間に検事の弁論に飽き飽きしてしまった。唯一僕の心を打ち、興味を引いたのは断片的な言葉、仕草、あるいは本筋とは無関係な長広舌だけだったのだ。

僕の理解が正しければ、検事の考えの要点は僕が予(あらかじ)め犯行を計画していたということだ。少なくとも検事はそれを証明しようとした。彼自身の言葉を借りれば、「皆さん、小生はこれからそのことを証明いたします。それも二重の意味で証明することになります。先ず様々な事実の放つ明々白々な光のもとで、次にこの犯罪者の心理が提供する薄明りに照らして。」検事は母さんの死から始まる様々な事実を要約する。僕の冷淡さ、母さんの歳を知らなかったこと、埋葬の翌日、女連れで海水浴に行ったこと、フェルナンデルの映画、挙句の果てにマリーを家に連れ込んだことなどをまた持ち出した。僕はそのときすぐには検事の発言が理解できなかった。検事は「愛人」と言っていたが、僕にとってその女性はあくまでマリーなのだから。次に、検事はレモンの話に取りかかった。彼の事件の見方は明晰さには欠けていないと僕は思った。検事の話は説得力がある。僕はレモンと合意の上、手紙を書き、彼の情婦をおびき寄せ、「品行のいかがわしい」男の手にゆだね、彼女をひどい目にあわせた。浜辺ではレモンの敵たちを挑発した。レモンは負傷し、僕は彼にピストルを渡すように言った。僕は一人浜辺に戻りピストルを使った。目論見通り敵のアラブ人を撃ち殺した。少し時間を置く。そして「仕事に抜かりが無いように」、落ち着いて、確実に、言わば熟慮の末、さらに四発の弾丸を撃ち込んだと言うのだ。

「皆さん、以上であります。」と次席検事が言った。「皆さんの前で、この男を十分に意図的な殺人へと導いた事件の道筋をお話ししました。」「十分意図的であると言う点を強調したい」と彼は言った。「なぜなら、これは普通の殺人ではない、情状酌量の余地ありと評価できるような無思慮の行為ではないのです。この男には、皆さん、この男には知性があるのです。皆さんは被告人の発言をお聞きになりましたね?被告人はきちんと答えております。言葉の使い方を心得ております。ですから自分の行為を理解せずに行動したなどとは言えないのであります。」


第二部 第4章①

僕は聴いていて、自分が知的な人間だと判断されているのが分かった。しかし、なぜ普段の僕の素質が犯罪者である僕に対して圧倒的に不利な証拠になり得るのかよく分からない。少なくともその言葉にショックを受けた僕は、もう検事の話を聴いてはいなかった。しかし、彼がこう言っているのが耳に入った。「被告人は一度でも後悔の念を漏らしたことがあったでしょうか?ありません、皆さん。予審の間、この男は一度として自分の犯した忌まわしい大罪に心動かされた様子はなかったのです。」そのとき検事はこちらを向き、僕を指差しながら非難の言葉を浴びせ続けたが、実の所、僕にはその理由がよく分からなかった。おそらく検事の言っていることは正しいと認めざるを得ないのだが、僕には自分の行為をあまり後悔する気持ちは無い。しかし僕は検事のこれほどの執拗さに驚いていた。僕は、出来るなら、自分には決して何かを後悔することなどは出来なかったのだと、心を込めて、それどころか情愛を込めて彼に説明してやりたいと思った。僕はいつもこれからのこと、今日、明日のことに心を奪われているのだと。でも、当たり前のことだが、僕が置かれている状況では、そんな口調で人に話しかけることなどできはしない。僕には情愛を示す権利、善意を示す権利などなかったのだから。そこでもう一度検事の言葉に耳を傾けようと言う気になった。というのも彼が僕の心のことを話し始めたからだ。

検事の言葉はこうだ。自分は被告人の心を詳細に検討した。しかし、陪審員諸君、何一つ見つからなかったのだ。実の所、被告人は心など持ち合わせてはいない、人間らしいところなど何一つないのだ。人間の心を守る道徳律を被告人は一つとして理解していない。「おそらく」と彼は付け加えた。「だからと言って被告人を責めるわけにもいかないでしょう。被告人がおそらく身につけられないもの、それが被告人に欠けていると言って苦情を言うわけにもまいりません。しかしこの法廷におきましては、極めて消極的な寛容の美徳が、容易(たやす)くは無いがより崇高な正義の美徳に置き換わらなければなりません。この男に見られるような心の欠如が社会の崩壊に繋がりかねない深淵を生み出す場合はなおさらであります。」それから検事は母さんへの僕の態度について語った。口頭弁論の間に言われたことを繰り返したのだが、僕の犯罪についての話よりはるかに長かった。あまりにも長々と語るので、終いにはあの埋葬の朝の暑さだけしか僕には感じられなかった。少なくとも次席検事の話が終わるまではそうだった。それから短い沈黙を挟んで、次席検事が非常に低い、確信に満ちた声で再び発言した。「皆さん、この同じ法廷が、明日、最も忌むべき大罪を裁くことになります。つまり父親殺しであります。」次席検事によれば、父親殺しという残虐な犯行は想像するだに恐ろしい。人間の正義によって容赦なく罰せられることを望むにやぶさかではない。しかし、躊躇なく言わせてもらうが、この忌むべき犯罪への嫌悪感に比べても、この被告人の冷酷さを前にして感じる嫌悪感は勝るとも劣らぬものがある。次席検事は更に続けて、精神的に母親を殺す男は、父親に手をかけて殺す男同様、人間社会から排除されるものだ。いずれにしろ、前者は後者の行為を準備し、言わば、後者の行為を予告し正当化するものだ。「諸君、私はこのことを確信しております」と声を張り上げて彼は付言した。「今、被告席に座っている男は、明日この法廷が裁くことになる父親殺し同様有罪であると申し上げても大胆に過ぎるとはお考えにならないでしょう。従って、この男は罰せられなければなりません。」ここで検事が汗に光る顔を拭い、最後にこう言った。自分の義務を果たすのは心苦しい。しかし、自分は断固としてそれを果たすつもりだ。そして検事はこう断言した。被告人は社会の最も本質的な掟を軽んじるがゆえに社会とは無縁な人間である。被告人は人間の基本的な感情を無視しているのだから情に訴えることなどはできない。「私はこの男を死刑に処することを要求いたします。」と検事は言った。「それも軽やかな気持ちで要求するものであります。というのも、私の長きにわたるキャリアの間に死刑を求刑したことは何度かありますが、今日ほどこの義務の辛さが、死刑判決は神聖にして不可欠なものであるという意識によって帳消しにされ、晴れやかに感じられることは無かったからであります。またおぞましさ以外の何物も読み取れぬ男の顔を前にして感じられる嫌悪感によって、帳消しにされ晴れやかに感じられることは無かったからであります。」


第二部 第4章②

検事が着席すると、かなり長い沈黙があり、僕は暑さと驚きで呆然としていた。裁判長は小さく咳払いをし、とても静かな口調で、何か付け加えることは無いかと僕に尋ねた。僕は立ち上がった。話したい気持ちが有ったので、少々行き当たりばったりではあったが、自分はアラブ人を殺すつもりはなかったと言った。裁判長は答えて、それは被告人の主張に過ぎない、これまでのところ自分には被告人の弁護方針がよく分からない、弁護人の話を聴く前に、被告人本人から犯行に至った動機を明確に話してもらえるとありがたいと言った。少々言葉がもつれ、自分の発言が滑稽だと分かってはいたが、僕は早口に、それは太陽のせいですと言った。法廷に笑いが起きた。弁護人は肩をすくめ、その直後に発言を求められた。しかし、時間も遅い、自分の発言は数時間かかる、したがって午後に延期して頂きたいと言った。法廷はそれに同意した。

午後になり、相変わらず大型扇風機が法廷の重苦しい空気を撹拌していた。陪審員たちの色とりどりの小さな団扇は一斉に同じ方向に動いている。弁護人の最終弁論はいつ果てるとも分からないように感じられた。しかし、一瞬僕は弁護人の言葉に耳を傾けた。弁護人が「なるほど私は人を殺しました。」と言っていたからだ。以後、弁護人はその調子で、つまり僕のことを話題にする度に「私は」と言って弁論を続けた。僕はひどく驚き、憲兵の方に身をかがめてその理由を訊いてみた。憲兵は僕に黙るように言い、少ししてからこう付け加えた。「弁護人はみんなそうするんだよ。」僕は、今度もまた自分は事件から除け者にされ、自分は無に帰され、ある意味、弁護人が僕に成り代わっていると思った。でも僕は、あのとき自分は既に法廷から随分遠い所にいたのだと思う。それに、僕の弁護人の姿は僕には滑稽に思えた。彼は挑発行為の弁論をそそくさと済まし、彼もまた僕の心について話し始める。でも僕には、彼が検事よりもはるかに才能が劣るように思えた。「私も」と弁護人は言った。「被告人の心を検討してみたのであります。ところが卓越した検事殿とは逆に、私は何かを見出したのであります。しかも、すらすらとそれを読み取れたと申し上げられます。」弁護人が僕の心の中で読み取ったものは次の通りだ。僕は誠実な人間であり、勤勉で疲れを知らぬ、僕を雇っている会社に忠実な勤め人だ。皆から愛され、思いやりがあり、他人の不幸にも同情する。彼の考えでは、僕は出来る限り長く母親を支えた模範的な息子である。最後に、老人ホームが老いた母親に僕の財力では不可能な快適さを与えてくれると僕は期待していたと。「諸君、私は驚いております」と彼は続けた。「この老人ホームを巡ってこれ程騒ぎ立てていることに驚いている次第です。と申しますのも、こうした施設の効用と権威を証拠立てなければならないとすれば、それらの施設に補助金を与えているのは国家そのものであると申し上げなければならないでしょう。」ただ、弁護人は埋葬のことは語らなかった。それが彼の弁論には欠けていると僕は感じた。しかし、こうした長ったらしい空疎な言葉や、僕の心について語られたいつ果てるともしれぬ日々や時間のせいで、何もかもが眩暈を感じるような気の抜けた水のようになっていくという印象があった。


結局、僕が憶えていることと言えば、弁護人が話し続けている間に、アイスクリーム売りのラッパの響きが通りから法廷を横切って、僕の所に聞こえてきたことだけだ。昔の生活の思い出が次々と蘇って来た。もう僕のものではない生活、僕が最も慎ましい喜び、それでいて一番心から離れない喜びを感じていた生活、その思い出。夏の匂い、僕が愛していた街並み、夕方のある時刻の空、マリーの笑い声とワンピース。すると今ここでやっている下らぬことに息がつまり、僕は一刻も早くけりをつけ、独房に戻って眠りたいと思った。かろうじて弁護人の声が聞こえた。彼は弁論の最後に、陪審員は一時の気の迷いで道を踏み外した誠実な勤め人を死に追いやらないでほしいと叫び、僕が受ける最も確実な罰は、生涯自分の犯した罪を悔いることなのだと言う理由で情状酌量を求めていた。法廷は審問を中断し、弁護人は疲れ果てた様子で着席した。しかし、弁護人の同僚たちが握手を求めにやって来る。「素晴らしかったよ、君。」という声が聞こえる。「そうだろう?」と同僚の一人は僕に同意を求めさえした。僕は「はい。」と答えたが、本気ではない。なにしろ疲れ果てていたのだから。

しかし外では、日が傾き暑さが和らいできた。通りから聞こえて来る物音から、夕刻の快さが察せられた。僕たちは全員、法廷に居て待っていた。そして僕たち全員が待ち受けているのは僕にしか関わりのないことなのだ。僕は再び法廷を眺めてみた。何もかも初日と変わらない。グレーの上着を着た例の新聞記者、それにロボットのようなあの女と目があった。それで僕は裁判の間ずっとマリーの方を見ていなかったことに気付いた。忘れていたわけじゃない。やることが多すぎたからだ。セレストとレモンの間にマリーの姿が見えた。マリーはまるで「やれやれね。」とでも言っているように僕に小さな合図を送る。そして少し不安そうな顔で微笑んでいるのが見えた。しかし僕の心は閉じていて、彼女の微笑みに応えることすら出来なかった。


第二部 第4章③④

法廷が再開した。早口で陪審員たちに一連の陪審審問が読み上げられた。「殺人罪」・・・「予謀」・・・「情状酌量」という言葉が聞こえた。陪審員たちは退出し、僕は開廷前に待機していた小部屋に連れて行かれる。後から弁護人がやって来た。ひどく饒舌で、僕に向かってこれまでにないほど自信に満ち、心のこもった調子で話しかける。彼の考えでは、全てが上手く行き、僕は数年の懲役か徒刑で済むだろうということだ。不利な判決が出た場合、上告の機会はあるかと僕は訊いてみた。「ない。」という答えだ。弁護人の作戦は、陪審団の機嫌を損ねないために申し立てはしないということだった。彼は、そんな風に根拠もなしに判決は破棄されることはないと僕に説明した。それは僕にもよく分かったし、弁護人の言い分はもっともだと思った。冷静に考えてみれば、全く当然のことなのだ。そうでなければ、無用な書類が山ほどできてしまう。「いずれにせよ」と弁護人が言った。「恩赦請願もあります。でも、きっと良い結果になりますよ。」

僕たちは随分長い間待たされた。かれこれ45分ぐらいだと思う。その時間が過ぎると、ベルの音が鳴り響いた。弁護人は別れ際にこう言った。「陪審団長がこれから答申を読み上げます。君が入廷するのは判決の申し渡しのときです。」バタバタと扉の音がした。人々が階段を走る音が聞こえるが、彼らが階段の近くにいるのか遠くにいるのかは分からない。それから法廷で何かを読み上げる籠った声が聞こえた。再びベルの音が響き、被告席に通じる扉が開くと、僕を待ち受けていたのは法廷の沈黙だった。沈黙、それに奇妙な感覚、あの若い新聞記者が目を背けたのを確認したそのとき、僕が感じたあの奇妙な感覚。僕はマリーの方は見なかった。そんな時間はなかった。裁判長が奇妙な言い回しで、僕がフランス国民の名において公開の場で斬首されると告げたからだ。そのとき僕は法廷にいる全ての顔に読み取れる感情が分かったような気がした。きっとそれは配慮の気持ちだったのだ。憲兵たちは僕にひどく優しかった。弁護人は僕の手首に手を添えた。僕はもう何も考えてはいなかった。しかし裁判長は僕に、何も付け加えることはないかと訊いた。よく考えたうえで僕は答えた。「ありません。」そして僕は連れて行かれた。


第二部 第4章⑤

(ミスター・ビーン訳)

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