*異邦人 翻訳*(第一部 第五章) | ミスター・ビーンのお気楽ブログ

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アルベール・カミュ
$ミスター・ビーンのお気楽ブログ-一部 第1章①


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「異邦人」(1942)

第1部

第5章


事務所にレモンから電話があった。彼の友だちが(レモンはその友達に僕のことを話していた)アルジェの近くにある別荘で、日曜の昼を過ごそうと招待してくれたと言うのだ。僕は、行きたいのはやまやまだが、ガールフレンドと先約があると答えた。すかさずレモンはガールフレンドも招待すると応じる。友だちの奥さんは、男たちの中で女一人でいなくてすむから大喜びだろうと言うのだ。

僕はすぐに電話を切りたかった。社長が外からの電話を喜ばないからだ。しかし、レモンは待ってくれと言って、招待の話なら夜でもよかったのだが他に伝えたいことがあると言った。一日中、アラブ人のグループにつけられていたと言うのだ。その中には元愛人の弟もいる。「今晩、もし帰り際にハウスの近くで奴の姿を見かけたら、俺に知らせてくれ。」「了解。」と僕は答えた。
そのすぐ後、社長に呼び出された。一瞬、嫌な気分になる。電話は控えて、もっと働けと言われると思ったからだ。でも、全く違う話だった。まだ漠然としたものだが、ある計画について君と話をするつもりだ。そのことについて先ず君の考えを掴んでおきたいと言う。自分はパリに事務所を構えるつもりだ。パリでの取引はその事務所が扱い、大会社と直で取引する。そこで、君がそこに行く気持ちがあるか知りたい。そうなればパリ暮らしができるし、ときには旅行も出来る。「君は若いから、きっとパリでの暮らしは気に入ると思うのだが。」「そうですね。でも、つまるところ、僕はどちらでもいいです。」と僕は答えた。すると、生活を変えてみたいとは思わないのかと社長は訊いた。生活が変わることなど決してない、いずれにせよどんな生活でも似たようなものだし、ここでの生活が決して気に入らないわけではないと僕は答えた。社長は不満そうな様子で、君の答えはいつも的外れだ、野心というものが無い、それは商売には致命的だと言った。そこで僕は仕事に戻った。社長の機嫌を損ねたくはなかったのだが、生活を変える理由など何もない。いくら考えても、今僕は不幸じゃない。大学生のころは、僕にもその手の野心が大いにあった。でも、学業を諦めねばならなくなったとき、そんなものは実際には少しも重要ではないとすぐに分かってしまったのだ。


第一部 第5章②

その晩、マリーが僕を迎えに来て自分と結婚したいかと訊く。僕はどちらでもいいし、彼女が望むなら結婚できると答えた。するとマリーは、彼女を愛しているか知りたがった。僕は前と同じように、そんなことは何の意味もないが多分愛してはいないと答える。「じゃ、なぜ私と結婚するの?」と彼女は言う。僕が愛しているかどうかは問題じゃない、彼女が望むなら僕らは結婚できると説明してやった。それに結婚を望んでいるのは彼女の方で、僕は「いいよ」と言えばそれで十分だと。するとマリーは、「結婚は大事なことよ。」と言う。僕の方は「ちがうさ。」と答えた。彼女はちょっと黙って、無言のまま僕を見つめた。それからまた口を開く。ちょっと知っておきたいのだが、同じような関係になった別の女から同じことを言われたら、あなたは受け入れていただろうか?「当然さ。」と僕は答える。「私の方はあなたを愛しているのかしら?」と彼女は言った。その点については僕には知りようがない。また少し黙った後、彼女は呟(つぶや)いた。あなたは変わっている。あなたを好きなのは多分そのせいだ。でも、おそらくいつか同じ理由であなたが嫌いになるかもしれないと。僕は何も付け加えることもないので黙っていると、マリーは微笑みながら僕の腕を取り、私はあなたと結婚したいのときっぱり言った。僕はマリーがその気になったらすぐに結婚しようと答える。それから僕は社長の提案をマリーに話した。パリのことを知りたいとマリーが言うので、一時期パリで暮らしたことがあると彼女に打ち明けた。「どんなところ?」と訊かれ、「汚い所だ。鳩がいるし、川は真っ黒だ。みんな生白い肌をしている。」と答えてやった。

それから僕たちは一緒に歩き、大通りを通って町を横断した。街の女たちは美しい。僕はマリーにそのことに気が付いているかと訊いてみる。「そうね。あなたの気持ちは分かるわ。」と彼女は答えた。少しの間、僕たちはもう無言だった。それでもマリーとまだ一緒に居たいと思ったので、セレストの店で食事をしようと誘ってみる。ぜひそうしたいが、生憎用事があるという返事だ。家の近くまで来たので、僕は「じゃ、また。」と言った。マリーは僕を見つめて、「どんな用事か知りたくないの?」と訊く。勿論知りたいが、訊いてみようとは思わなかったのだ。どうやら彼女はそのことを責めているようだ。僕がまごまごしているのを見てマリーはまた笑い、僕の方に体を寄せて唇を差し出した。


セレストの店で夕食を食べる。僕はもう食事を始めていたのだが、そのとき小柄で奇妙な女が入って来た。そして同席してもいいかと訊くので、勿論かまいませんと答えた。動作がぎくしゃくしていて、リンゴのような小さな顔に目がきらきらと光っている。ジャケットを脱ぎ席に着くと、熱心にメニューを見始めた。そしてセレストを呼び、すぐに全ての料理を注文。はっきりしてせかせかした声だ。オードブルを待つ間にバッグを開け、小さな正方形の紙きれと鉛筆を取り出す。前もって料金を計算し、小さな財布からチップの分も含めきっちり金を出して前に置く。そのときオードブルが運ばれ、女は大急ぎでがつがつと食べた。次の料理を待つ間、女はまたバッグから青い鉛筆と雑誌を取り出す。雑誌には一週間分のラジオ番組が書いてあった。念入りに一つ一つ殆ど全ての番組に印を付けている。雑誌は10数ページあったので、女は食事中ずっと丹念に印を付けていた。僕はもう食べ終わってしまったが、女は相変わらず熱心に印を付けている。それから立ち上がり、ロボットのような正確な動作でジャケットを羽織り店を出て行った。何も用事が無いので、僕も店を出て少し女の後をつけてみる。彼女は歩道の縁石の上にいた。それから信じられないほどのスピードと正確さでまっすぐ、振り返ることもなく進んで行く。結局見失ってしまい、僕は元来た道を引き返した。おかしな女だと思ったが、割と早く彼女のことは忘れてしまった。

第一部 第5章③

部屋の戸口に、サラマノ爺さんがいた。部屋に入れてやると爺さんは犬が行方不明になったと言う。野犬収容所にもいないからだ。職員の話では、多分車に轢かれたのだと言う。爺さんが職員に警察で分からないだろうかと訊いてみると、こういうことは毎日起きている。だから記録は残っていないだろうという返事だった。僕は爺さんに別の犬を飼ったらどうかと言ってみたが、なにしろ慣れた犬だからという爺さんの言い分ももっともだと思った。


僕はベッドの上でしゃがみ、サラマノ爺さんはテーブルの前の椅子に座っていた。僕の方を向いて、両手を膝の上にのせている。古いフェルト帽は被ったままだ。黄色い口髭の下で呟く言葉は語尾がはっきりしない。爺さんには少々退屈していたが、他にすることもないし眠くもなかった。他に話題もないので犬のことを訊いてみた。奥さんが亡くなった後にあの犬を飼ったそうだ。自分は結婚がかなり遅かった。若い頃は芝居をやりたくて、軍隊では軍のボードヴィル班で演じていた。しかし結局は鉄道に勤めることになった。が、後悔はしていない。僅かだが今は年金が貰えるからだ。妻との暮らしは幸せではなかったけれど自分はかなり妻に馴染んでいた。彼女が亡くなると、ひどく孤独に感じた。そこで職場の同僚から犬を一匹貰い受けた。犬はまだひどく幼かった。そこで自分は哺乳瓶でミルクをやらなければならなかった。しかし犬は人間よりも短命だ。結局、自分と犬は同時に年寄りになった。「あいつは性格が悪くてね」と爺さんは言う。「わしらはときどき口げんかをしたもんです。それでも、良い犬でした。」僕が「あの犬は血統がいい。」と言ってやると、爺さんは嬉しそうだった。「それに」と爺さんは言った。「あなたは病気にかかる前の奴の姿をご存知ない。それはそれは見事な毛並みでしたよ。」犬があの皮膚病に罹ってから、爺さんは毎朝、毎晩、犬に軟膏を塗ってやった。でも、爺さんの言うには、あの犬の本当の病は「老い」だったのだ。「老い」は治しようがない。

そのときつい僕は欠伸が出てしまい、爺さんはこれでおいとましますと言う。僕は「まだいいじゃありませんか。犬がどうなったのか僕も心配です。」と言った。爺さんは礼を言って、母さんはあの犬が大好きだったと言う。爺さんは母さんのことを「お気の毒なお母様」と言っていた。お母様が亡くなられてさぞお辛いでしょうと言ってくれたが、僕は黙っていた。それから言いにくそうに、ひどく早口で、この界隈では母さんを老人ホームに入れたせいで僕のことを誤解している。でも、自分はちゃんと分かっている。あなたはとてもお母様を愛していらっしゃったのだと言ってくれた。未だになぜそんな風に答えたのか分からないのだが、僕はこう答えた。今の今までそのことで誤解されているなんて知らなかった。でも、ホームに入れたのは当然だったと思う。なにしろ、母さんに介護人を付けてやれるほどお金がなかったのだから。「それに」と僕は付け加えた。「随分前から僕と母さんの間には話題がなかったんです。母さんはたった一人で退屈していたんですよ。」「なるほど」と爺さんは言った。「老人ホームなら、少なくともお友だちはできますからな。」それから爺さんは「これでおいとまします。眠くなりました。今は生活が変わってしまったので、これからどうしたらいいかわからないのですよ。」と言い、知り合って初めて遠慮がちに僕の方に手を差し出した。その肌は鱗のような感触だった。爺さんはちょっと微笑んで、帰る前に、「今晩は犬どもが吠えなければいいですな。わしはその度にうちの奴だと思い込んでしまう。」と言った。


第一部 第5章④

(ミスター・ビーン訳)


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宝石赤交響曲第3番《オルガン付き》第2楽章(サン=サーンス)