*アンドレ・リュウのニューヨーク・ライヴ  ワルツ「芸術家の生活」* | ミスター・ビーンのお気楽ブログ

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宝石赤サン=テグジュペリあれこれ⑧

1929年
フランスに帰国したアントワーヌは「南方郵便機( Courrier sud)」の原稿を出版者、ガストン・ガリマール(Gaston Gallimard)に見せます。ガリマールはその原稿を引き受け、他の作品についても出版契約を結ぶよう提案します。
数か月後、同僚であり、友人でもある飛行士、メルモとギョメと共に、彼は新航空路を開く可能性があるかどうか調査するため南米に向かいます。
10月、彼はアルゼンチン航空郵便(Aeropostal Argentina)の支配人に任命されます。
そして、アルゼンチンとパタゴニアを結ぶ路線(ブエノス・アイレスープンタ・アレナス間)を開拓します。処女小説「南方郵便機」がガリマール社から出版され、彼は「夜間飛行(Vol de Nuit)」の執筆に取り掛かります。


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1930年
4月7日、キャップ・ジュビ(Cap Juby)での功績が認められ、民間飛行士としてレジョン・ドヌール勲章騎士章(chevalier de la Légion d'honneur)を与えられます。
6月、友人のギョメが、22回目のアンデス山脈横断の際に吹雪に捕まります。
アントワーヌは五日間にわたり捜索を行いましたが、徒労におわりました。しかし事故から一週間後、ギョメの生存が確認されます。
南米で連続講演を行っていた文学者、バンジャマン・クレミウ(Benjamin Crémieux)がアントワーヌを、あるジャーナリストの未亡人、コンスエロ・スンシン(Consuelo Suncin)に紹介します。
彼女はその直後フランスに向かい、アントワーヌは1931年初頭の2か月間の休暇のときに彼女と合流することになります。



≪サン=テグジュペリの言葉≫

« Dans la vie il n'y a pas de solutions ; il y a des forces en marche : il faut les créer et les solutions suivent. »

≪人生に解決などというものはありはしない。前進する力があるだけだ。その力を生みださねばならない。そうすれば解決は自ずとついてくる。≫

« L'avenir n'est jamais que du présent à mettre en ordre. Tu n'as pas à le prévoir, mais à le permettre. »

≪未来は整理すべき現在にすぎない。未来は予想するのではなくて、可能にすべきものなのだ。≫






宝石紫今日の1曲
今日のアンドレ・リュウのニューヨーク・ライヴ、やはり「アンドレと言えば?」「ワルツでしょう!」ということで、

「芸術家の生活(Künstlerleben)」

「美しき青きドナウ」初演の3日後、1867年2月18日に初演。
かつては「芸術家の生涯」という日本語訳でしたが、日本シュトラウス教会はこの作品が演奏された時点で、シュトラウス3兄弟が健在であったことから「芸術家の生活」に改めました。


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