*アンドレ・リュウのメキシコ・ライヴ 「アヴェ・マリア」(バッハ、グノー)* | ミスター・ビーンのお気楽ブログ

ミスター・ビーンのお気楽ブログ

好きな音楽の話題を中心に、気の向くままに書いていきます。

宝石赤サン=テグジュペリあれこれ①
先日、関越自動車道の寄居インターに初めて立ち寄り、そこが「星の王子さま」一色だったことに驚いてしまいましたが、まあ、そんなこともあって今日から「星の王子さま」の作者、サン=テグジュペリについて年代順に少しずつ書いていこうかと思っています。

1900年
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(Antoine de Saint-Exupéry)は、6月29日、フランスのリヨンで誕生します。
父は当時、保険調査員をしていたジャン‐マリ・ド・サン=テグジュペリ(le Comte Jean-Marie de Saint-Exupéry)、母はマリ・ボワイエ・ド・フォンコロンブ(Marie Boyer de Fonscolombe)。
サン=テグジュペリ家は貴族の家柄で、父は伯爵を名乗っていましたが爵位を与えられた証拠はなく領地もなかったので、いわゆる没落貴族であったようです。5人いる子供のうち、アントワーヌは三番目の子供で上には二人の姉、マリ‐マドレーヌ(Marie-Madeleine 1898)とシモーヌ(Simone 1899)がいました。

1903年
弟のフランソワ( François)が誕生します。

1904年
妹、ガブリエル(Gabrielle)が誕生しますが、この年、一家に不幸が襲います。
父ジャンが列車に轢かれ亡くなってしまったのです。
以後、母マリ・ボワイエは女手一つで子供たちの養育にあたりますが、アントワーヌは特に母との繋がりが深く、母の繊細な感性とその教養に深い影響を与えられたようです。
二人の間にはアントワーヌが亡くなるまで膨大な数の書簡が交わされることになります。


サン=テグジュペリ家の子供たち(右から二人目がアントワーヌ)
$ミスター・ビーンのお気楽ブログ-サン=テグジュペリと兄弟姉妹

≪サン=テグジュペリの言葉≫
Aimer, ce n’est pas se regarder l’un l’autre, c’est regarder ensemble dans la même direction. (Extrait du Terre des hommes)

愛するということは、お互いを見つめ合うことではなく、共に同じ方向を見つめるということだ。(「人間の土地」より)


宝石紫今日の1曲
今日のアンドレ・リュウ、メキシコ・ライブは、1859年にシャルル・グノーヨハン・ゼバスティアン・バッハの《平均律クラヴィーア曲集 第1巻》の「前奏曲 第1番 ハ長調」を伴奏に、ラテン語の聖句「アヴェ・マリア」を歌詞に用いて完成させた声楽曲

「アヴェ・マリア」

シューベルトやカッチーニの「アヴェ・マリア」と並ぶ名曲ですが、アンドレがその声を「黒いダイヤモンド」と激賞した南アフリカのソプラノ、Kimmy Skotaの歌唱でお聴き下さい。
あの騒がしく陽気なメキシカンたちが水を打ったように静まり帰り、中には涙する人もいました。
やはり、カトリックのお国柄でしょうかね…

今日は、フランスの名コントラルト、ナタリー・シュトゥッツマン(Nathalie Stutzmann)の歌唱もアップしましたので併せてお聴き下さい。


  
   Ave Maria
Ave Maria, gratia plena,
Dominus tecum,
benedicta tu in mulieribus,
et benedictus fructus ventris tui Jesus.
Sancta Maria mater Dei,
ora pro nobis peccatoribus,
nunc, et in hora mortis nostrae.
Amen.


アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、
主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、
ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、
わたしたち罪びとのために、
今も、死を迎える時も、お祈りください。
アーメン。

  (ウィキペディアより)





ナタリー・シュトゥッツマン