*ジュリエット・グレコ(4)* | ミスター・ビーンのお気楽ブログ

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歌手として立つことを決意したグレコに、実存主義哲学者であり作家のジャンーポール・サルトルが曲を一つ託します。それは、サルトル自身が戯曲「出口なし(Huis clos)」の中の劇中歌として作詞・作曲した曲でした。ただ、サルトルは自身の作曲には満足しておらずそれをジョゼフ・コズマの所に持って行き、書き直してもらうようにグレコにアドヴァイスしたのです。

かくして、実存主義の詩人と、詩への曲付については熟練の域に達した作曲家(特にジャック・プレヴェールの詩)のコラボから

「ブラン-マントの通りでは(Dans la Rue des Blancs-Manteaux)」

という作品が生まれ、1950年、グレコが創唱することになります。

詩の内容は、大革命時代、そのブラン・マントの通りで行われた処刑の様子を描いたもので、あまり気持ちのいいものではありません。
グレコの他に、レ・フレール・ジャックがカヴァーしていますが残念ながらそちらの方はyoutubeでは見つかりませんでした。

まあ、グレコの曲にはこんな曲もあるということでご紹介しておきます。


Dans la Rue des Blancs-Manteaux
Dans la rue des Blancs-Manteaux
Ils ont élevé des tréteaux
Et mis du son dans un seau
Et c'était un échafaud
Dans la rue des Blancs-Manteaux


ブラン・マントの通りでは
台を組み上げ
桶にはおが屑を入れた
それは処刑台だったのさ
ブラン・マントの通りでは


Dans la rue des Blancs-Manteaux
Le bourreau s'est levé tôt
C'est qu'il avait du boulot
Faut qu'il coupe des généraux
Des évêques, des amiraux,
Dans la rue des Blancs-Manteaux


ブラン・マントの通りでは
首切り役人が早起きした
つまり一仕事あったのさ
将軍様に司教様、それに提督様の
首を切らなきゃならないんだ
ブラン・マントの通りでは


Dans la rue des Blancs-Manteaux
Sont venues des dames comme il faut
Avec de beaux affûtiaux
Mais la tête leur faisait défaut
Elle avait roulé de son haut
La tête avec le chapeau
Dans le ruisseau des Blancs-Manteaux


ブラン・マントの通りには
立派な衣装の貴婦人たちがやって来た
アクセサリーも美しい
でも、首がみんな欠けていた
首はころりと転がって
頭に帽子をつけたまま
ブラン・マントの溝の中


(私訳)