8月10日(金)、朝、ブダペストをバスで出発した我々は、3時間
の予定でスロヴァキアの首都ブラチスラバに向けて出発です。
因みに、昨年のトルコの時もそうでしたが、今回移動手段となった貸切
バスはメルセデス・ベンツ製で、座席も広く長距離の移動にも殆ど疲れ
を感じることはありませんでした。
街を走る車もドイツ車が圧倒的に多く、アウディ、ベンツ、BMW、それに
日本では見かけなくなったオペル(親会社はGM)がよく走っていまし
た。日本車はたまに見かける程度です。
さて、今回もまず予備知識ということでスロヴァキアとチェコの概要を
ご紹介しておきます。
チェコ共和国
面積:7万8866㎢(日本の約5分の1)
人口:1055万人(日本の約12分の1)
公用語:チェコ語
宗教:カトリックが約10%、無信仰約34%
時差:日本より8時間遅れ
通貨:コルナ(Koruna)、1コルナ=約4.0円
チェコの偉人
カレル4世(在位1346年~1378年)
ボヘミア王国の王カレル1世であり、1347年にカレル4世として神聖ローマ
皇帝に選出された。
中欧最初の大学、カレル大学を開設し、プラハ城、カレル橋などの建設に
着手、現在見られるプラハの基礎を作り上げた。
ヤン・フス(1369年~1415年)
チェコにおける宗教改革の先駆者。教会での説教はラテン語のみだった時代
に、チェコ語で分かり易く民衆に説法した。
しかし主に免罪符の件などで、ローマカトリックの権威を批判したために異
端とされ、火あぶりの刑に処せられた。
ドイツのマルチン・ルターの先駆的存在といえる。
スメタナ(1824年~1884年)
音楽を通じ、独立と民族復興を主張した国民学派の作曲家。
40歳で聴力を失いつつも、曲を書き続けた。
「モルダウ」など6つの交響詩からなる「わが祖国」が代表
作。
スロヴァキア
面積:4万9037㎢(日本のおよそ8分の1)
人口:約544万5千人(日本のおよそ22分の1)
公用語:スロヴァキア語
宗教:カトリックが約7割、他にプロテスタント、東方教会系など
時差:日本より8時間遅れ
通貨:ユーロ
チェコ/スロヴァキアの歴史</strong>
4~5世紀 :スラヴ人がチェコ地方に定住を始める。
833年 :チェコ東部を中心とする大モラヴィア王国が成立。
1346年 :カレル4世が即位。チェコ王国が全盛期を迎える。
現在のプラハ旧市街の基盤が出来上がる。
1415年 :ローマカトリックを批判したフスが火刑に処される。
1419年 :フス戦争が始まる。ローマカトリック、ドイツ貴族
と泥沼の争い。
16世紀 :ボヘミアはハプスブルク家の支配下に入り、ポーラ
ンドやハンガリーなどの支配を受ける。
1618年 :三十年戦争始まる。
1620年 :ビーラ・ホラの戦いで新教派の貴族が全滅。
1749年 :ボヘミア国会がオーストリアと一体化される。
1848年 :パラツキーがプラハでスラヴ人会議を開催。汎スラヴ
主義を提唱。
1918年 :チェコスロヴァキア独立宣言。
1938年 :ドイツの保護下に入る。
1945年 :チェコスロヴァキア独立。
1968年 :「プラハの春」でワルシャワ条約機構軍が軍事介入。
1993年 :分離独立(チェコとスロヴァキアが円満に分離)
2004年 :EUに加盟。
では、具体的なレポートは次回からということで、今日は最後に
スメタナの交響詩「我が祖国」の第1曲、プラハの古城ヴィシェフ
ラド城をテーマにした
「ヴィシェフラド」
を聴いてお別れします。