*ショウ・ボート(8)ー 偶然の出会い  ー* | ミスター・ビーンのお気楽ブログ

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好きな音楽の話題を中心に、気の向くままに書いていきます。

マグノリアはショウ・ボートに戻り、無事女の子を産み落とします。
そしてキムと名付けました。

それから5年。
場面はニュー・オーリンズに向かう定期船の酒場の中。
酒場には、相変わらずギャンブラーとして放浪生活を続けているゲイ
ロードと酒びたりになったジュリーがたまたま乗り合わせています。

飲んだくれたジュリーがピアニストに伴奏をリクエストして、「愛さ
ずにはいられない Can't Help Lovin' Dat Man」を歌い始めます。
ジュリーは同棲している男とナチェズに向かうところだったのです。

すると、男が現れ船室に戻ろうとしないジュリーに平手打ちを食らわせ
ようとしますが、ゲイロードが割って入り男をノックアウトしてしまいます。

ジュリーがゲイに「何故自分を助けたのか?」と尋ねると、ゲイは「君が
歌っていた曲は、大切だった人が昔歌っていた歌なんだ」と答えて甲板の
方に去って行きます。

ジュリーはバーテンダーから、自分を助けた男がゲイロード・ラべナル
だと聞き、甲板にいるゲイの所に向かいます。
そして、ナチェズでショウ・ボートのショウを観たらどうかと誘います。
自分はニュー・オーリンズに行くのでナチェズで降りるつもりはないと
言って断るゲイに、ジュリーは
「自分もショウ・ボートにいたことがある。ショウ・ボートにはひどい
男がいて、人を疑うことを知らぬ天使のような娘を騙してシカゴで降り
赤ん坊まで産ませて逃げてしまった」
と言って、ゲイを詰ります。

驚いたゲイは、相手がショウ・ボートの元主演女優ジュリーであること
を知ります。
ジュリーは新聞の切り抜きをゲイに見せますが、その切り抜きにはアン
ディ、マグノリア、キムと3代続くショウ・ボートの一家がナチェズで公
演することが写真入りで報道されていました。

なおも「何故、妊娠していたマグノリアを捨てたのか」と責めるジュリー
にゲイは、呆然として自分はジュリーが妊娠していたことは全く知らさ
れていなかったと答えます。
そのときジュリーと同棲している男が現れ、もうすぐナチェズに着くので
船室に戻るようにジュリーを促します。

別れ際にジュリーはゲイに、
「マグノリアに会っても、自分のことは黙っていてくれ。こんな姿をマグ
ノリアに知られたくない」
と言って船室に戻って行きます。

今日は先ずその場面をご覧ください。





さて、ゲイロード役を演じ甘いバリトン・ヴォイスを聞かせてくれるハワ
ード・キール
、ウィキペディアに略歴が紹介されているので引用してみま
す。


本名はハリー・クリフォード・キール(Harry Clifford Keel)。各出典には彼の本名を‘ハロルド・クリフォード・リーク(Harold Clifford Leek)’としている事があるが、これは誤りである。名の‘ハロルド’はデビュー当時に使っていた芸名で、姓の‘リーク’は映画会社の広報部が誤って広めたものである。趣味はゴルフで、70前半で回る腕前を持っていた(1951年当時)。
オスカー・ハマースタイン2世に認められ、ショウビジネス界入り。1947年、ロジャース&ハマースタインによるミュージカル、『オクラホマ!』のロンドン公演で成功を収める。1949年にハリウッドに招かれ、翌年『アニーよ銃を取れ』に出演。ハンサムなルックスと193cmの長身、豊かなバリトンで1950年代を代表するミュージカルスターとなる。しかしミュージカル映画の衰退に伴って、キャリアは低迷。1950年後半からはブロードウェイや地方の舞台を踏む傍ら、B級映画に出演していた。1981年になって、1978年から放映されていたテレビ番組『ダラス』への出演依頼を受ける。この番組は13年間に渡って放送される人気番組となり、60代にして人気スターへと返り咲く。またこの番組の撮影と平行して、アメリカ、イギリスの各地でコンサートを行った。80歳を過ぎてもなおミュージカルの舞台に立ち続け、生涯に渡ってショウビジネスに携わった。


では、最後に1990年(69歳)、ロンドンのロイヤル・ギャラでミュージカル
メドレーを歌うキールの元気な姿を見てみましょう♪