*シューマンの歌曲 (14) - リーダークライスOp.39-4 静けさ ー* | ミスター・ビーンのお気楽ブログ

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≪クララ・ヴィーク⑤≫

1839年1月1日、シューマンはウィーンに住むシューベルトの兄、フェルディ
ナントの家を訪れ楽譜を見せてもらいます。シューベルトの死から10年後の
ことでした。
そこで彼は未出版の交響曲ハ長調D944(大ハ長調交響曲)を発見します。
興奮したシューマンは早速メンデルスゾーンに知らせ、3月22日、このシュ
ーベルトの傑作は、ライプツィッヒでメンデルスゾーンの指揮により初演さ
れます。

ウィーン移住を望んでいたシューマンでしたが、3月10日には「音楽新報」の
立ち上げを含めウィーン移住は困難という結論を下します。
更に、3月30日には兄エドゥアルト重体の報せを受け、4月5日にウィーンを
出発し故郷ツヴィッカウに向かいます。翌6日には兄が死去し、一時は家業の
書店と出版業を引き継ぐことを考えました。

クララとの結婚の件では、6月8日、ライプツィッヒ法廷に、ヴィークが父親
として結婚に同意するか、または父の同意なしに2人の結婚を許可するよう
申請します。
6月15日、クララは父の同意無しに結婚を求める法的書類に署名し父ヴィーク
との間に法廷闘争が始まります。

ヴィークの態度は頑なで、10月2日の公判には姿をみせず、12月14日にはシュ
ーマンの「罪状報告書」を提出。そこには、若いころからの飲酒癖、品行不
方正が11ページにわたって記されていました。

シューマンも12月18日の公判で「行状証明書二通」を提出して対抗しますが、
なりふりかまわなくなったヴィークは、シューマンを誹謗中傷する匿名の手紙
を各所に送り、シューマンの兄が破産したと触れ回るありさまでした。

このようにシューマンにとって1839年は公私にわたり苦境の年であったのです
が創作への意欲は衰えず、いくつかのピアノ作品の傑作が生まれます。
今日はそのうちの1曲「アラベスケ Arabeske Op.18」をホロヴィッツの演奏で
聴いてみます。




≪今日の1曲≫

今日は「リーダークライス Op.39」の第4曲

「静けさ Die Stille」

です。

静かに心に秘めている想いを愛する人だけに知って欲しいという
愛らしく可憐な歌。

今日は、ハイ・バリトンのフィッシャー=ディスカウ、バス・バ
リトンのブリン・ターフェル、それにオランダの名ソプラノ、
リー・アメリンク
の歌唱で聴いてみます。




4. Die Stille 静けさ
Es weiß und rät es doch keiner,
誰も知らない、誰にもわからない、
Wie mir so wohl ist, so wohl!
僕がどれだけ、どれだけ幸せか!
Ach, wüßt es nur einer, nur einer,
ああ、唯一人だけ、唯一人だけに知って欲しい、
Kein Menschen es sonst wissen soll.
その他には誰にも知られてなるものか。

So still ist's nicht draußen im Schnee,
雪の降る外もこれほど静かではない、
So stumm und verschwiegen sind
天空の星たちも
Die Sterne nicht in der Höh,
これほど口をつぐんで黙りこくってはいない、
Als meine Gedanken sind.
僕の想いほどには。

Ich wünscht, ich wär ein Vöglein
僕は願う、僕が小鳥で
Und zöge über das Meer,
海を越えていけたらと、
Wohl über das Meer und weiter,
きっと海を越えても更に、
Bis daß ich im Himmel wär!
天高くまで飛んでいくだろう!

Es weiß und rät es doch keiner,
誰も知らない、誰にもわからない、
Wie mir so wohl ist, so wohl!
僕がどれだけ、どれだけ幸せか!
Ach, wüßt es nur einer, nur einer,
ああ、唯一人だけ、唯一人だけに知って欲しい、
Kein Menschen es sonst wissen soll.
その他には誰にも知られてなるものか。


フィシャー=ディスカウ(Bar.)


ブリン・ターフェル(Bar.)


エリー・アメリンク(Sop.)