いつもは音楽タグでは、主に自分の演奏記録を書いてる感じですが、今回、音楽活動25周年を迎えられた、矢野絢子さんのことを書いてみたいと思います。


私が矢野絢子さんの音楽を初めて耳にしたのは、留学前、とにかく留学費を稼がなくては。。と、3つのバイトを掛け持ちしていた時の、早朝のスーパーでの品出しバイト中、ふと有線から流れてきた「てろてろ」でした。


「なんか気になるなぁ。。」と心に留めていたところ、当時縁のあった人が「気になる曲を見つけて」と車で、かけてくれたのが「てろてろ」のシングルで、あっ、「これ気になってたやつ❗️」とすごくビックリし、「ニーナ」が流れてきたとき涙が止まらなくなって、ニーナを最後まで聴き終わったときには、一気にその音楽のとりこになっていました。


こんなことを言うとおこがましいのですが、矢野絢子さんは、まさに私のやりたかったもうひとつのことを、叶えてくれているという気がしました。


ピアノとうたで、またヴァイオリンのシマフミさんやバンドの生音と共に作り上げられるその音楽は、本当にあるべき姿でそこにあるというか、本当に自然で、自分の中にしっくりと入ってくるのです。


そして、矢野絢子さんの音楽は、私にとって、“ふるさと”そのものなのかもしれません。大好きな高知の人たちの暖かい人柄、高知弁、幼少期を、そして、夏休みや冬休みに遊びに行っては、自分を育んでくれた土地で育った絢子さんから作り上げられた音楽は、自分にとっては、どこへ行っていても再び戻ってくる場所、なのです。


そんな絢子さんが、高知に新しくできた大きなホールで活動25周年コンサートをされると聞き、これは行くしかない❣️と、速攻で決定したものの、状況が日増しに難しくなり、でも、何とか人との接触を避けれるように車移動にしたり、場合によってはマスクを3重にしたりなど、手段を練って、また移動前、移動後も慎重に過ごすようにして、諦めずに行って良かったです。


絢子さんも言われてましたが、25年分の月日が、日記みたいに曲になってるなって思った、って、それだけ真剣に自分と、音楽と逃げずに向き合い続けたから、そこに形として残ってきたんだと思います。


私も、自分が産み出した音楽ではないけれど、自分が音楽と関わってきた形を、何かの形で演奏会にできたらとぼんやり思ってましたが、きっとしたい、いや、きっとしようと力付けられました。


そのためには、まずはインプットを。。

まずは、自分と向き合って練習します🌟


会場に貼られていた、大きな竜のメッセージボード(の、ほんの一部分)と、絢子さんの似顔絵。後ろには、自分の送ったメッセージも密かに。。(笑)