月は丸く見えますが、実は球体だといつごろから認識していたんだろう、
日本人はいつから知っていたんだろうと

ChatGPTに聞いてみました

 

Q:月が球体と いつの時代に発見しましたか
◇ ◇ ◇ ◇
月が球体であるとはっきりと認識されたのは、紀元前6世紀頃のギリシャのピタゴラス学派と言われています。ピタゴラス学派は、地球が球体であると主張し、月も同様に球体であると推測しました。この推測は、月食の際に地球の影が月面に円形に映るということから支持されました。
しかし、月が球体であると一般に認められるようになったのは、16世紀のガリレオ・ガリレイによる望遠鏡の発明以降です。ガリレオは望遠鏡で月を観測し、月面に山や谷があることを発見しました。これは、月が球体であるという証拠として広く受け入れられました。
日本では、18世紀の蘭学者、新井白石が月が球体であることを主張したと言われています。新井白石は、オランダの文献を翻訳して紹介し、月が球体であるという考えを日本に広めました。
このように、月が球体であるとはっきりと認識されたのは、紀元前6世紀頃のギリシャから始まり、16世紀の望遠鏡の発明、18世紀の蘭学によって徐々に広まっていったと言えます。
なお、月が球体であるとはっきりと認識される以前から、月が円形に見えることから、月が球体であるという考えは存在していました。しかし、月面に山や谷があることを直接観測できるようになるまでは、月が球体であるという考えは、推測の域を出ませんでした。
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Q:日本人が 月は球体だと認識したのは いつごろですか?
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日本人が月が球体であると認識したのは、18世紀の蘭学によって広まったと考えられています。蘭学とは、オランダ語を介して西洋の学問を日本に紹介した学問です。
18世紀の蘭学者、新井白石は、オランダの文献を翻訳して紹介し、月が球体であるという考えを日本に広めました。新井白石は、オランダの天文学者、ヘンドリック・ブラウの著書『天体新論』を翻訳し、月面に山や谷があることを紹介しました。
また、18世紀後半には、オランダから望遠鏡が輸入されるようになり、日本人が自ら月を観測する機会も増えました。これにより、月が球体であるという考えは、より広く受け入れられるようになりました。
このように、日本人が月が球体であると認識したのは、18世紀の蘭学によって広まったと考えられます。
具体的には、1774年に新井白石が『天地考』を著し、月が球体であると主張したのが、日本人が月が球体であると認識した最初の記録と考えられています。その後、1795年に高橋至時が『天象図説』を著し、月面に山や谷があることを図解で紹介しました。この『天象図説』は、江戸時代で最も広く読まれた天文書であり、月が球体であるという考えを広める上で大きな役割を果たしました。
なお、18世紀以前から、月が円形に見えることから、月が球体であるという考えは存在していました。しかし、月面に山や谷があることを直接観測できるようになるまでは、月が球体であるという考えは、推測の域を出ませんでした。

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ギリシャでは3000年前から月は球体と認識されましたが、

日本では江戸時代中頃からとけっこう差がありますね

まぁヨーロッパでもいわゆる中世暗黒時代は科学は忘れられていましたが

 

このアンサーが完全かどうか検証していませんが

大枠はこんな感じだと思います

≪ChatGPTで聞いてみた≫

一般的な認識として、霊長類はアフリカで発生したように思われます(私の感想です)
オランウータンはヒト科の動物ですが、アフリカにいないでインドネシアにしかいません

それを聞いてみました


Q:オランウータンの起源は?
  アフリカで類人猿が分岐してどのようにボルネオまで到達しましたか?


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オランウータンの起源は、約1500万年前のアフリカで、ヒトを含む類人猿が分岐したときに遡ります。その後、オランウータンの祖先は、約1200万年前にボルネオとスマトラ島に到達したと考えられており、現在もその地に生息しています。

オランウータンがボルネオとスマトラ島に到達した経路については、いくつかの仮説があります。

陸橋説:約1200万年前には、インドシナ半島とボルネオ島が陸続きであったため、オランウータンの祖先は陸橋を渡ってボルネオ島に到達したとする説です。

海峡渡航説:約1200万年前には、ボルネオ島とスマトラ島の間には海峡があったが、オランウータンの祖先は、海峡を渡って移動したとする説です。

近年の研究では、海峡渡航説が有力視されています。オランウータンの祖先は、海峡を渡る際に、木の枝や浮木を渡ったり、水泳したりして移動したと考えられています。

オランウータンは、ボルネオとスマトラ島の熱帯雨林に生息する大型の類人猿です。体長は約1.4~1.8m、体重は約30~100kgで、ヒトよりもやや小柄です。木の上を生活し、果物や木の葉、昆虫などを食べる雑食性です。

オランウータンは、絶滅危惧種に指定されています。主な脅威は、森林伐採や密猟です。

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Q:オランウータンと近縁な種類はかつてアジアにいましたか?

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はい、オランウータンと近縁な種類は、かつてアジアの広い地域に生息していました。

約1200万年前には、インドシナ半島とボルネオ島が陸続きであったため、オランウータンの祖先は、インドシナ半島からボルネオ島に到達し、その後、スマトラ島にも進出しました。

オランウータンと近縁な種類は、約1000万年前には、中国、インド、東南アジアの広い地域に生息していました。しかし、気候変動や環境の変化により、徐々に絶滅していきました。

現在、オランウータンは、ボルネオ島とスマトラ島の熱帯雨林にのみ生息しています。

オランウータンと近縁な種類としては、以下のようなものが挙げられます。

ジャワオランウータン:約100万年前まで、ジャワ島に生息していたオランウータンの一種。

スンダオランウータン:約100万年前まで、スマトラ島とジャワ島に生息していたオランウータンの一種。

シッキムオランウータン:約20万年前まで、インドのシッキム州に生息していたオランウータンの一種。

これらのオランウータンの化石は、アジア各地で発見されています。

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Q:いわゆるヒマラヤの雪男について、これまでの俗説の中でオランウータン説はありましたか?

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はい、ヒマラヤの雪男について、オランウータン説はありました。

オランウータンは、ボルネオ島とスマトラ島の熱帯雨林に生息する大型の類人猿です。体長は約1.4~1.8m、体重は約30~100kgで、ヒトよりもやや小柄です。木の上を生活し、果物や木の葉、昆虫などを食べる雑食性です。

ヒマラヤの雪男は、ヒマラヤ山脈に生息しているとされる未確認動物です。体長は約2m前後、体重は約200kg前後で、ヒトよりも大きく、毛深いと言われています。

オランウータン説は、ヒマラヤの雪男が、ボルネオ島やスマトラ島からヒマラヤ山脈に渡ってきたオランウータンではないかとする説です。

この説には、以下の根拠が挙げられます。

ヒマラヤの雪男の目撃情報には、オランウータンと似た特徴が含まれている。

オランウータンは、寒冷地に適応した動物である。

オランウータンは、ヒマラヤ山脈の奥地の熱帯雨林に生息している可能性がある。

しかし、オランウータン説には、以下の反論もあります。

オランウータンは、ヒマラヤ山脈の厳しい環境に適応できない可能性がある。

オランウータンの目撃情報は、他の動物や自然現象の誤認である可能性もある。

オランウータン説は、ヒマラヤの雪男の正体について、有力な説の一つとして考えられています。しかし、まだ確証はなく、今後の研究が待たれます。

具体的な例としては、1950年にイギリスの登山家がヒマラヤの雪男の足跡を撮影したと主張した際に、その足跡がオランウータンの足跡と似ていることが指摘されました。また、1972年には、インドの登山家がヒマラヤの雪男を目撃したと主張し、その姿がオランウータンに似ていたと述べています。

しかし、オランウータン説には、先述したように、オランウータンがヒマラヤ山脈の厳しい環境に適応できない可能性があるという反論もあります。また、ヒマラヤの雪男の目撃情報は、他の動物や自然現象の誤認である可能性もあります。

いずれにしても、ヒマラヤの雪男の正体はまだ謎に包まれており、オランウータン説もその一つとして考えられています。
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ヒマラヤの雪男については、ホッキョクグマ系のクマ説が一歩先んじてます

実際 存在するには数千頭は必要なので、目撃したとされるのはそのたびに違う動物だろうと思います

しかし、もし”雪男”としたヒト型の動物ならオランウータンの親戚なら あってもいいかなと想像してみました、そうしたら同様の説がでてきました

以前「チコちゃんに叱られる」で”なぜニワトリは首を前後に振りながら歩く?”というのをやっていた。

 

答えとしては、目が横についているから、視界を安定させるためには

視点を保持してからだを合わせるということ。

 

ということは、恐竜の多くも目が横についているから、

首を前後に振りながら歩いていたのではないか?

 

「ジュラシックワールド」でそういう描写があったら、

なんか かわいい♪

 

恐竜の歩き方は、これから調べてみる。。。