月は丸く見えますが、実は球体だといつごろから認識していたんだろう、
日本人はいつから知っていたんだろうと
ChatGPTに聞いてみました
Q:月が球体と いつの時代に発見しましたか
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月が球体であるとはっきりと認識されたのは、紀元前6世紀頃のギリシャのピタゴラス学派と言われています。ピタゴラス学派は、地球が球体であると主張し、月も同様に球体であると推測しました。この推測は、月食の際に地球の影が月面に円形に映るということから支持されました。
しかし、月が球体であると一般に認められるようになったのは、16世紀のガリレオ・ガリレイによる望遠鏡の発明以降です。ガリレオは望遠鏡で月を観測し、月面に山や谷があることを発見しました。これは、月が球体であるという証拠として広く受け入れられました。
日本では、18世紀の蘭学者、新井白石が月が球体であることを主張したと言われています。新井白石は、オランダの文献を翻訳して紹介し、月が球体であるという考えを日本に広めました。
このように、月が球体であるとはっきりと認識されたのは、紀元前6世紀頃のギリシャから始まり、16世紀の望遠鏡の発明、18世紀の蘭学によって徐々に広まっていったと言えます。
なお、月が球体であるとはっきりと認識される以前から、月が円形に見えることから、月が球体であるという考えは存在していました。しかし、月面に山や谷があることを直接観測できるようになるまでは、月が球体であるという考えは、推測の域を出ませんでした。
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Q:日本人が 月は球体だと認識したのは いつごろですか?
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日本人が月が球体であると認識したのは、18世紀の蘭学によって広まったと考えられています。蘭学とは、オランダ語を介して西洋の学問を日本に紹介した学問です。
18世紀の蘭学者、新井白石は、オランダの文献を翻訳して紹介し、月が球体であるという考えを日本に広めました。新井白石は、オランダの天文学者、ヘンドリック・ブラウの著書『天体新論』を翻訳し、月面に山や谷があることを紹介しました。
また、18世紀後半には、オランダから望遠鏡が輸入されるようになり、日本人が自ら月を観測する機会も増えました。これにより、月が球体であるという考えは、より広く受け入れられるようになりました。
このように、日本人が月が球体であると認識したのは、18世紀の蘭学によって広まったと考えられます。
具体的には、1774年に新井白石が『天地考』を著し、月が球体であると主張したのが、日本人が月が球体であると認識した最初の記録と考えられています。その後、1795年に高橋至時が『天象図説』を著し、月面に山や谷があることを図解で紹介しました。この『天象図説』は、江戸時代で最も広く読まれた天文書であり、月が球体であるという考えを広める上で大きな役割を果たしました。
なお、18世紀以前から、月が円形に見えることから、月が球体であるという考えは存在していました。しかし、月面に山や谷があることを直接観測できるようになるまでは、月が球体であるという考えは、推測の域を出ませんでした。
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ギリシャでは3000年前から月は球体と認識されましたが、
日本では江戸時代中頃からとけっこう差がありますね
まぁヨーロッパでもいわゆる中世暗黒時代は科学は忘れられていましたが
このアンサーが完全かどうか検証していませんが
大枠はこんな感じだと思います