「いいか?ピンチの後にはチャンスが来るぞ。
この回は9番の兵頭からだ。兵頭!頼んだぞ!」
「はい!」
「よっしゃー!点取っていくぞ!」
ベンチ内の選手全員で、気持ちを噴かしていく。
相手投手がマー君だろうと関係ない。
相手の浅野投手。
そのいかつい風貌から、チーム内でいつの間にかマー君と呼ばれていた。
この試合、気持ちが強い方が勝つ。
全員がそう理解している。
「カッ」「ファール!」
「カッ」「ファール」
「千堂、よう見ておけよ。兵頭は先頭打者の役割を果たそうとしている。
ピッチャーが一番嫌がるのは何か、アイツは分かっているんだ。」
延長8回の表の攻撃での先頭打者。
ピッチャーは絶対に塁に出したくない。
特にファーボールは、守備陣の士気に関わる。
9球目、
「ポール!ファーボール!」
ガッツポーズして一塁へ向かう兵頭と、ガッカリうな垂れる浅野投手。
こんなにも両極端なシーンは、この試合初めて見た。
それだけこのファーボールは、両方のチームにとっていかに大きいものであるか、その象徴である。
「千堂。ここ、お前ならどうする?」
「え?延長ですから、確実に送ります。」
「そうか。」
1番の田中が、いくら好打者といえども、ここは送りバントだろうと誰もが考える。
他にあるとすれば盗塁かエンドラン。
ただ、いくらチーム1の俊足兵頭でも、失敗した場合途方もなく代償は大きい。
リードを大きく取る兵頭が、牽制球にぎりぎりのタイミングで還りながら、ピッチャーを揺さ振り続ける。
田中が監督のサインに頷く。
一球目、バント。
しかし、何と空振りしてしまった。
二球目、バントの構えから、何とバスターに切り替えた!
打球はセカンドの左を抜けて、センター前ヒットだ。
「え?ヒッティングですか?
さっきバントしようとして空振りしたのに。」
「あれは田中らしいフェイクだよ。
空振りした後、白々しく悔しい素振りしてたろう。
あの一球で野手の動きを見ていたんだ。
ファーストがバントに備えて前進。
セカンドが一塁ベースカバーへ早目に動いていた。
そこを見ていたんだ。」
「次は、いくら何でもバントしますよね?」
「そうか。ではこうしよう。」
監督のサインを、バッターの若山広人とランナーたちはしっかり確認した。
そして、初球。
「カキーン!」
またしてもバスター!
打球は大きくバウンドしてショートに飛んだ。
ショートが掴んでセカンド送球、いやベースカバーが遅れていた。
一塁へ送球、いや打者走者の足が速く、どこにも投げられない。
ノーアウト満塁になった。
「監督!ラッキーですね!」
「いや、単なるラッキーじゃないぞ。
守備陣はバントシフトだったろ。
敢えてショートに高いゴロが飛ぶように叩きつけたんだ。
広人のミート力ならできると考えた。
ランナーも足の早い兵頭と田中だからな。
ランナーを進めるのは、何もバントだけじゃないだろ。」
「次は3番の平野先輩か。
ノーアウト満塁。スクイズだと封殺されるリスクがありますから、ここはヒッティングですよね?」
「そうか。ならこうしてみるか。」
平野はヒッティングの構えを取りながら、じっくり見極めていく。
前進守備の内野を抜けるのが理想だが、浅野投手も一段と厳しいボールを投げてくる。
そしてフルカウントからの6球目。
「カッ」
意表を突いて、スリーバントスクイズしてきた。
サード前に転がり、スタートを切ったランナーがホームイン!
欲しかった、ずっと欲しかった一点がこんな形で入った。
「監督?満塁で、しかもフルカウントからスクイズですか?冒険し過ぎじゃないですか?」
「あのピッチャーは、勝負どころで簡単にファーボールはださないからな。
必ずストライクが来るから、スクイズしやすいんだ。
仮にボールだったら、バットを引けば一点だ。
それにさっきの仕返しだよ(笑)」
「次は4番の小林先輩ですから、ヒッティングですよね?」
「まぁ、普通はな。」
ワンナウト2.3塁。バッターは4番。
誰もがヒッティングしてくるとみるだろう。
しかし、ここまで相手の裏をかく作戦を続けてきた。
流石に相手も、スクイズを警戒してウエストしてくる。
ファールで追い込まられ、カウント2-2からの5球目。
「カッ」
またしてもスリーバントスクイズ!
三塁ランナーが、ガッツポーズしながら還ってきた。
「監督?4番にスクイズですか?」
「だって、もう一点欲しいだろ。
慶も次の回投げやすいだろうし。
それに今日の小林は、打てそうになかったからスクイズしてみたまでさ。
相手もこの一点は効くだろうからな。
さっきの倍返しだ(笑)」
「この回は、自分の考えが全部はずれました。
全部裏をかかれました。」
「慶に訊いたのは、普通ならどう攻撃するのかを訊いていたんだ。
俺は敢えて、それ以外の選択をしていたんだ。
こんなにも良いピッチャーから、定石通りでは点を取れない。
バントで送っても、そこからギアを上げてくるから打てないだろ。
じゃぁ、その前に打とうと考えたんだ。
スクイズは、ツーストライクになれば相手のマークも薄くなる。決まりやすくなるんだ。」
2点リード。
2点目の取り方は、相手に相当なダメージを与えた。
試合は、そのまま3-1で青葉中の勝利となった。
今日の試合は奥が深く、考えさせる試合だった。
こういう試合をものにして、一つ一つ、野球脳を鍛えていくのであった。