先の「メディアと日本人」の中で引用されてたのですが、示唆に富んだ内容です。
約2400年前に書かれたとは思えない・・・。
元ネタ読んでみたい。
古代ギリシアでは、労働は奴隷が行うもの。
そのために時間があり、哲学や科学、芸術が発展したと聞いたことがある。
ドラッカーの言う「仕事の定義」がきちんとされていたのでしょうね。
エジプトのナウクラティス地方に、この国の古い神々の中の一人の神が住んでいた。この神には、イビスと呼ばれる鳥が聖鳥として仕えていたが、神自身の名はテウトといった。この神様は、はじめて算術と計算、幾何学と天文学、さらに将棋と双六などを発明した神であるが、特に注目すべきは文字の発明である。ところで、一方、当時エジプトの全体に君臨していた王様の神はタモスであって、この国の上部地方の大都市に住んでいた。ギリシア人は、この都市をエジプトのテバイと呼び、この王様の神をアンモンと呼んでいる。テウトはこのタモスのところに行って、いろいろの技術を披露し、他のエジプト人たちにもこれらの技術を広く伝えなければいけません、と言った。タモスはその技術のひとつひとつが、どのような役に立つものかをたずね、テウトがそれをくわしく説明すると、そのよいと思った点を賞め、悪いと思った点をとがめた。このようにしてタモスは、ひとつひとつの技術について、そういった両様の意見をテウトに向かって数多く述べたといわれている。それらの内容をくわしく話すと長くなるだろう。だが、話が文字のことに及んだとき、テウトはこう言った。「王様、この文字というものを学べば、エジプト人たちの知恵は高まり、もの覚えはよくなるでしょう。私の発見したのは、記憶と知恵の秘訣なのですから。」――しかし、タモスは答えて言った。「たぐいなき技術の主テウトよ、技術上の事柄を生み出す力をもった人と、生み出された技術がそれを使う人々にどのような害を与え、どのような益をもたらすかを判別する力をもった人とは、別のものなのだ。いまもあなたは、文字の生みの親として、愛情にほだされ、文字が実際にもっている効能と正反対のことを言われた。なぜなら、人々がこの文字というものを学ぶと、記憶力の訓練がなおざりにされるため、その人たちの魂の中には、忘れっぽい性質が植え付けられることだろうから。それはほかでもない、彼らは、書いたものを信頼して、ものを思い出すのに、自分以外のものに彫りつけられたしるしによって外から思い出すようになり、自分で自分の力によって内から思い出すことをしないようになるからである。じじつ、あなたが発明したのは、記憶の秘訣ではなくて、想起の秘訣なのだ。また他方、あなたがこれを学ぶ人たちに与える知恵というのは、知恵の外見であって、真実の知恵ではない。すなわち、彼らはあなたのおかげで、親しく教えを受けなくても物知りになるため、多くの場合ほんとうは何も知らないでいながら、見かけだけはひじょうな博識家であると思われるようになるだろうし、また知者となる代わりに知者であるといううぬぼれだけが発達するため、つきあいにくい人間となるだろう。
「絵画が創り出したものは、あたかも生きているかのようにきちんと立っているが、君が何かをたずねても沈黙して答えない。書かれた言葉もこれと同じで、何か教えてもらおうと質問しても、何も答えてくれない。それに、言葉はひとたび書きものにされると、それを理解する人々のところであろうと、ぜんぜん不適当な人々のところであろうと、おかまいなしに、転々とめぐり歩く。ぜひ話しかけなければならない人々にだけ、話しかけ、そうでない人々には黙っているということができない。あやまって取りあつかわれたり、不当にののしられたりしたときには、いつでも、父親である、書いた本人の助けを必要とする。自分だけの力では、身をまもることも自分をたすけることもできないのだから」
約2400年前に書かれたとは思えない・・・。
元ネタ読んでみたい。
古代ギリシアでは、労働は奴隷が行うもの。
そのために時間があり、哲学や科学、芸術が発展したと聞いたことがある。
ドラッカーの言う「仕事の定義」がきちんとされていたのでしょうね。
エジプトのナウクラティス地方に、この国の古い神々の中の一人の神が住んでいた。この神には、イビスと呼ばれる鳥が聖鳥として仕えていたが、神自身の名はテウトといった。この神様は、はじめて算術と計算、幾何学と天文学、さらに将棋と双六などを発明した神であるが、特に注目すべきは文字の発明である。ところで、一方、当時エジプトの全体に君臨していた王様の神はタモスであって、この国の上部地方の大都市に住んでいた。ギリシア人は、この都市をエジプトのテバイと呼び、この王様の神をアンモンと呼んでいる。テウトはこのタモスのところに行って、いろいろの技術を披露し、他のエジプト人たちにもこれらの技術を広く伝えなければいけません、と言った。タモスはその技術のひとつひとつが、どのような役に立つものかをたずね、テウトがそれをくわしく説明すると、そのよいと思った点を賞め、悪いと思った点をとがめた。このようにしてタモスは、ひとつひとつの技術について、そういった両様の意見をテウトに向かって数多く述べたといわれている。それらの内容をくわしく話すと長くなるだろう。だが、話が文字のことに及んだとき、テウトはこう言った。「王様、この文字というものを学べば、エジプト人たちの知恵は高まり、もの覚えはよくなるでしょう。私の発見したのは、記憶と知恵の秘訣なのですから。」――しかし、タモスは答えて言った。「たぐいなき技術の主テウトよ、技術上の事柄を生み出す力をもった人と、生み出された技術がそれを使う人々にどのような害を与え、どのような益をもたらすかを判別する力をもった人とは、別のものなのだ。いまもあなたは、文字の生みの親として、愛情にほだされ、文字が実際にもっている効能と正反対のことを言われた。なぜなら、人々がこの文字というものを学ぶと、記憶力の訓練がなおざりにされるため、その人たちの魂の中には、忘れっぽい性質が植え付けられることだろうから。それはほかでもない、彼らは、書いたものを信頼して、ものを思い出すのに、自分以外のものに彫りつけられたしるしによって外から思い出すようになり、自分で自分の力によって内から思い出すことをしないようになるからである。じじつ、あなたが発明したのは、記憶の秘訣ではなくて、想起の秘訣なのだ。また他方、あなたがこれを学ぶ人たちに与える知恵というのは、知恵の外見であって、真実の知恵ではない。すなわち、彼らはあなたのおかげで、親しく教えを受けなくても物知りになるため、多くの場合ほんとうは何も知らないでいながら、見かけだけはひじょうな博識家であると思われるようになるだろうし、また知者となる代わりに知者であるといううぬぼれだけが発達するため、つきあいにくい人間となるだろう。
「絵画が創り出したものは、あたかも生きているかのようにきちんと立っているが、君が何かをたずねても沈黙して答えない。書かれた言葉もこれと同じで、何か教えてもらおうと質問しても、何も答えてくれない。それに、言葉はひとたび書きものにされると、それを理解する人々のところであろうと、ぜんぜん不適当な人々のところであろうと、おかまいなしに、転々とめぐり歩く。ぜひ話しかけなければならない人々にだけ、話しかけ、そうでない人々には黙っているということができない。あやまって取りあつかわれたり、不当にののしられたりしたときには、いつでも、父親である、書いた本人の助けを必要とする。自分だけの力では、身をまもることも自分をたすけることもできないのだから」