どうすればよいものか。
常に箒の先の届かないところに溜まっているこの欠落感をいかに表現すればいいのだろうか。
何か常に忘れていてそれをやらなければいけないことは覚えている。しかし何をすればよかったのだろうか。
気を紛らすために色々動いてみるものの何が正しかったのか、結局妙な喪失感に襲われて南無三、後戻りのできない焦りに襲われる。
何かに常に追われて慌てていたが、今となってはその存在はすっかり息を潜めてしまっている。
いっそのことお前の正体が分かればこんなに心苦しいことはなかったと思うけど。
思うけど、知ったところでどうなるというのだ。どんな真実を知っても生き続けてきた身であるからこそ、知ることの意味を得られないままでこんなところまで来てしまった。

時々友人に怒りの矛先を向けてしまうことがある。それは向こうが悪いのであれ悪くないのであれ、何にせよ人を傷付けたことに変わりはないのだから、欠落感と共に残った罪悪感が悲鳴をあげる。
痛んでならないのだ。胸の奥が妙に痛んでならないのだ。
覇気があった。そのころの私には怒る気力も怒れる友人もいたのだ。
今ではもう、こちらがなんと言おうと向こうは知らないような顔を突き通してくれる。そうなったら私だって何も言いようがない。
優しい見て見ぬふりとはまさにこのことか、と実感するようになった。冥加に余る。そのたびに本気で話しても躱される虚しさと、わかりあえない虚脱感が心に集積された。ゴミみたいだ。

何が足りないのかわからずに馬齢を重ねた。このぼうっとした性格はどうにかならないのだろうか。
そのくせ自分が一番賢いと信じてやまずに奈落に落とされる。落とされるたびに這い上がろうとするのだから、ほんとうに醜くてしょうがない。
何かを失って得たこの影というものは病的なほど背後に回ってこの湿気た面にまでかかるものだから、喪家の狗の如く人を寄せ付けない気味悪さがある。汚い床を爪先立ちで歩くあの感覚に似ている。

私の持っていたかなしみというものは妙に恥ずかしがりであるようで、新たに入り込んだ欠落感と同じ空間に存在しない。それが私の唯一助かっている部分であろう。
気の遣える悲しみをもってよかった。しかしやんぬるかな、私は悲しみと欠落感の同時に存在するときがないのだから、何か忘れていることの悲しみはわからない。