妻、生まれたばかりの子供を残し、慈母、商売や論語を教えてくれた言葉少ない誠実な父親を残し、栄一は家を出た。年間の藍の売り上げが1万両にも上る渋沢家のたった一人の期待の跡継ぎを、動乱、混乱、暗殺などなんでもありの江戸,京へ黙って送り出した両親の心の内を栄一は想像しなかったわけではないだろうが、それ以上に自分の命に代えても、日本を憂い、自分のやれることがあるはずだと情熱に燃えたぎっていた。ここから栄一の新しい道が、彼のエネルギッシュな躍動の人生が、波乱万丈、強運を見逃さず、全力投球で信念を曲げない、父親がいう強情っ張り人生が始まる。

 

実際は、尊王攘夷の熱に囚われ、大それた行動を起こす計画を寸前で取りやめ、それが幕府に漏れた可能性があり追われている身に。捕らわれたときには、家族みんなに迷惑をかけることになるかもしれないので、親から勘当されたことにして家族と縁を切り、家を出たのだ。

 

現在、埼玉は東京の隣の県とはいえ、東京から深谷駅まで、電車で一時間以上かかる。血洗島は深谷駅からさらに遠く、歩ける距離にはない。江戸ははるかに遠い、政治、文化、経済の中心地。私にとっては子供のころから、電車で東京へ行くのも一日がかりの旅であった。栄一たちは、どこへ行くにも自分の脚だけ。江戸も京も徒歩。考えただけで行動を起こす心が萎えるだろうに。

 

それにしても血洗島はだだっ広い関東平野のど真ん中、特別な産物もない田舎。天領だったから、幕府にとっては確実に年貢が取れる農村だ。農民は勤勉で、いろいろ収入源を増やす工夫をして豊かであったので、一揆も起こさず、統治しやすい村だった。

 

江戸から結構離れているのに、情報は中仙道経由と、利根川を利用した水運で、すぐに入ってくる。また人的交流も頻繁で、こんな田舎に信じられないほど遠く、関東、中部地方からだけでなく、京、大阪、長州、薩摩からもやってきて、長期逗留している。彼らは豪農の家に、主に尾高家に泊まり込み、いろいろな情報、学問知識を地元に落としていった。それを吸い取る若者がいたってことだが。

 

余分な話だが、文人の交流もあった。私の親戚筋には、幕末の志士はいなかったが、一茶や円空たちが、本家に長く逗留し、お礼に色々なものを残していったという。時は過ぎ,昔の蔵や母屋は取り壊され、お宝は散逸してしまってるが。