渋沢栄一が平岡円四郎から「篤太夫」という名前を賜った。これで武士として新しい人生が始まったことになる。人は一生の間に、いろいろな名前を名乗ることがある。例えば本名のほかに、作家名、芸能名、歌舞伎役者、僧侶のように、商家の跡継ぎのように、代々受け継がれてきている名前など、新しい名前を名乗ることにより、はっきり、新しい人生が切り開かれることがある。たとえその名が気に入らなくても。現代の人間には、太夫というと文楽の太夫を思い起こす。芸能関係の人の名前のよう。栄一が気に入らなかったのは良くわかる。

 

栄一は90歳余りの人生で、いくつの名前をなのったのか。生まれた時、渋沢中ん家の3人目の男児だったので市三郎。しかし長兄が亡くなると栄二郎、次男がなくなると長兄となったので栄一と名乗る。栄一の妻が墓の前で長男を亡くし嘆き悲しんでいると、母親が栄一の前に子供二人を亡くしたことを告白している。当時は医学が発達していたなかったので、大きくなれる子供は限られていたのだ。

 

栄一は血気盛んな時は、時々栄二郎の名前を使っている。高崎城を乗っ取る計画の血判状には栄二郎と署名している。この名前の方が武士っぽかったのか。

渋沢喜作が成一郎という名前を平岡からもらうと、栄一は羨ましがっていた。徳太夫よりましな名前だったのか。名前も時の移ろいで、いろいろと印象がことなるもの。

 

彼は一体何人分の人生を生きていたのか。普通、一生の間に会社を一社作り、経営続けていくのに一生かかる。500以上起業した栄一は500人分の人生を生きた?企業だけではなく、社会福祉、世界平和への行動など、名前の数よりはるかにもっともっと多い人生を生き、社会に貢献してきたのは事実だ。忙しかったろうな。

 

公私とも栄一の名前はいくつあったのだろうか。短い人生、うまれたときのな名前をずっと抱えて生きていくのが精いっぱいの凡人とは全く別の人種のように思えてくる。いろいろな業績を残してきた偉人栄一、これからの人生の変動に胸わくわくする。