私の枕元にはラジオが置いてある。目が覚めた時、何時であるかを確認するためにスイッチを入れる。聞いたことのない人が話していれば、まだ起きる時間ではない。NHKは時報を鳴らすので、確実に何時であるかわかる。

今朝、いつも通りラジオをつけると、渋沢栄一の話をしている。つい数日前、実家に帰る用事があったので、そのついでに渋沢栄一記念館へ寄り、彼が80台の時の講演の再現に耳を傾けてきたばかりである。音声がききにくく中身はわかりがたかったが、80台なのに、声には張りがあった。この講演の後にも10年ほど、まだまだ大活躍をしていた人なので納得した。

私の頭はまだとろとろ半眠り状態だが、この偉人の名前は私にとっては特別。小学校のどの教室にも、正面の真ん中に笑顔の栄一子爵(地元では「子爵様」と呼んでいた)の写真が飾ってあり、私たちの勉強状態を見守っていた。

ラジオの内容は、数百の会社を興し、晩年は福祉に尽力したという内容だろうと、講談師の女性と男性の対談を半覚醒状態でなんとなく聞いていたら、先日聞いてきた生の栄一翁の声が流れてきた。やっぱり聞きにくかったが、この声をぬくぬくのベッド中で聞いているのは,不敬。起きだしてしまった。まだ4時台。

早起きをすると、一日得をした気分になるが、まだ朝の9時なのに、ナマケモノの私はもう眠くなってきた。80台でまだまだ世界の第一線でアグレッシブに力を発揮していた栄一とは、情けないが真逆。最も比較の対象にするのが不敬。

先日の記念館行きを反芻していた。今記念館となっている場所は、もともと学校で、その裏は田んぼが広がっていた。遅刻せぬように近道の田んぼの畦をよく歩いていった。春には一面の菜の花畑、蓮華畑と化し、遊びまわっていた。今は大きな公園となっていて、まだ大きくなっていない樹木の上を、風が吹き荒れていた。

学校のすぐ裏を流れている小川にかかっている橋に足を止め、その名前を何度も確認し感激した。新しい橋になっているが、橋の名前は昔の儘「むつみ橋」とあった。母が6歩で渡るむつみ橋と俳句で歌った橋だ。教師をしていた母が、毎日この橋を飛び跳ねるように6歩で渡る姿が浮かんだ。

故郷は遠くにあって思うものであっても、実際に足を運んでみると、時の流れに圧倒されるが、その分心へのインパクトは大きく、じわじわと感激が迫ってくるものだ。