野田聖子議員の出産育児ドキュメンタリーを見た。 50歳で卵子の提供を受け念願の出産。自分とは血のつながりの無い子供。その子はマルチ障害児。 それでも母親になりたかった。
 
昔なら「40の恥じかきっこ」といわれた出産年齢をトウに越している。それでも今は医療技術の進歩により、自分の卵子はもう老いてしまっても、他人の卵子による体外受精なら60歳だって妊娠は可能だ。アメリカでは代理母として娘に代わって出産する例がいくつもある。彼女の場合、出産前に赤ん坊に障害があることがわかる。
 
やはり手を加えた不自然な妊娠には、正常な子供が生まれるか不安が付いて回る。国会議員として忙しい彼女は、それでも出産を決意、実行する。
 
彼女の赤ん坊は、生まれたときから手術の連続。次の手術の備えて退院は出来ない。抱っこも出来ない。呼吸が止まり、あの世とこの世をさまよう幼児。母乳を絞り一滴でも飲ませたいという親心。
 
ドキュメンタリーの中では、彼女の揺れる心は報じない。初めから、何があっても産む、育てる,強い女として描いている。
 
入院費、手術代など経済的なことを考えると、1人の赤ん坊を育てるのに、莫大な費用がかかっているだろうし、これからもかかるだろう。その費用は国家持ち?個人持ち?退院してきたら専属の保母さんか、看護師がいないと、彼女は活動できない。その人材、費用は?彼女だからできることなんだなどと俗な考えを起こしてしまう。
 
手術を繰り返し、体中傷だらけ、チューブだらけ。それでも赤ん坊は回復し、母親に笑顔を見せる。この笑顔、じっと母親を見つめる目に、全く赤の他人の視聴者にも、その愛おしさが伝わってくる。
 
彼女の場合、母親になるってことはエゴ?赤ん坊にとって生きている意味は?世間では批難同情行きかっている。 でもこの番組を見ている賛同者、批判的な人も、彼女の逞しさ、赤ん坊の生命力に、ただただ心が大きく動かされたのは確かだろう。どんな障害があっても、生きようとする力を持っている人間に、感銘。