年が明けても、空は高く青いのに、夜空が澄み切っているのに、毎日毎日、これは現実か?と思えるくらいどんより暗いニュースばかりで、胸のすくような展開はおこらないのか、誰かおこしてくれないのかと思う日々、

年末年始、大掃除も小掃除もせず、ぼーとしていた。年明けに年賀状を書きはじめ、3日に投函。

恒例下手うま?筆ペンで墨絵風に一枚一枚手書き。

下手な絵でも私が何かで著名だったら、ありがたいだろうけど、ただのブスな中年女の幼稚園の子供が書いたような絵なので、もらった方は、お年玉付き年賀状の抽選結果次第で即ゴミ箱行きだろう。

そんなはた迷惑な年賀状をブログに載せる私は、どんなだけ、悪趣味なのか、、、、

毎月変えている玄関に飾る手書きの画賛を、口の悪い友達に、自我自賛ならぬ自画自賛だねと言われてしまった。

前置きが長いけど、ここからも長い、

年のはじめのNHKドラマの伊藤若冲のドラマで登場した伊藤若冲と円山応挙の絵を模して書いてみた。

ドラマでも紹介された
「動植綵絵」は素晴らしかっな。

釈迦三尊図」は動植物が生き生きと絵がかれているのと違って、本当に書きたかったのかな?と思っちゃう。はやっつけ感というかとってつけたというか、その3枚はあんまり好きではないのです、私。

模写の元は、伊藤若冲の初期の作品で彼の作品では珍しい牛の絵
模写して言うのもなんだが、
若冲は牛もあまり好きではないと思う、、、、なんと無く、、、美しいものが好きだったのかな、NHKのドラマでは若冲さんボーイズラブ的に描かれていた。確かに瑛太君みたいな美坊主だったら男でも惚れるわな。

私でも真似しやすいからこの絵を採用

このやっつけみたいな絵は、解釈に難解な禅問答の中でもとりわけ難解なものの一つといわれる無門関という公案集のなかの「牛過窓櫺」(ごかそうれい)という公案を絵にしたもの。牛過窓櫺とは、「牛が窓を通り過ぎるとき、頭や角、脚は通り抜けることができたが、しっぽだけは通り抜けることができなかった」という公案。大きな図体は通り過ぎることができたのに、何故小さなしっぽは通り抜けられなかったのか?

私の大好きな、だるま絵で有名な白隠も書いている。
白隠らしいユーモア感、牛の背中がどことなく哀愁があって可愛いい。


若冲も白隠も丸い下地窓だけど、私が手作りした茶室の下地窓は四角いので、四角い下地窓と梅も足して、自分の都合よく変える。


この「牛過窓櫺」(ごかそうれい)仏教のオリジナルのインドでは牛では無く象だったけど、インドから中国に伝わっていくうちに、象がいない中国で大きい動物といえば牛だ!と変わっていったらしい。

台湾の故宮美術館で見た仏像はどこかインド人ぽく顔が彫りが深いけど、日本の仏像はのっぺりした東洋人顔で、中国から日本に伝わっていくうちに、仏様の顔も変わっていくんだな、まさに伝言ゲーム。文化とは旅していくその地の風土に溶け込んで都合のいいように解釈されていく。それがいいのか悪いのか

何枚も同じ絵を描いて飽きたので
円山応挙の騎牛帰家を模す


騎牛帰家は十牛図の中の一つ

『十牛図』は、中国・北宋時代の禅師、廓庵(かくあん)が創作、禅の精神を学ぶための入門書として古くから重要視されていた。

『十牛図(じゅうぎゅうず)』とは、牛を探し求める牧人の様子を、段階的に描いた十枚の絵。十枚の絵には詩が添えられている。

「牛」は「ほんとうの自分」の象徴で、牛を探し求める牧人は「真の自己を究明する自分」をたとえたもの。十牛図とは、俗世間の生活の中で自分を見失い、ほんとうの自分を探しに旅に出る若者の物語。

「自分とは何か」を探し求める旅の物語絵は、禅の悟りにいたる道筋を表している。

『十牛図(じゅうぎゅうず)』とは、逃げ出した牛を探し求める牧人の様子を、段階的に描いた十枚の絵です。十枚の絵には詩が添えられています。

「牛」は「ほんとうの自分」の象徴で、牛を探し求める牧人は「真の自己を究明する自分」をたとえたものです。「十牛図」とは、俗世間の生活の中で自分を見失い、ほんとうの自分を探しに旅に出る若者の物語です。

その中の騎牛帰家は

荒々しい野生の牛をおとなしくさせて、牧人は牛に乗り、楽しげに横笛を吹きながら家路につく姿

乗っている少年はピアスをして、何やら背負っている。今流行りの炭次郎風にアレンジ、って受けとった人わかってくれるかな。


玄関の自画自賛も騎牛帰家



ふざけた友達にはふざけた絵で、、

かきもかいたり60枚

コロナで引きこもりの日々、お茶のお稽古もなく、初釜も中止、この際、お茶文化の起源の中国。軸で書かれている漢詩や禅語の本来の意味を勉強したくなりなぜか中国語を習いはじめた。もはや私どこを目指しているのかわからなくなってきた。

と言う事で、今年の目標は掛け軸をなんて読むかとお茶の先生に聞かれたたら、軸にかけられている禅語の一節の漢詩を全文中国語で暗唱する!というわけのわからない目標にしました。