これでお別れしよう。。 | ラウンジママ南城 馨の転落から這い上がる日まで。

これでお別れしよう。。

そして!!スタートしよう。

その為に何度も悩んで…書いては消してを繰り返したけど
この事だけは最後にブログ書こうと決めました。


そして、このブログを書き終えたら後ろを振り返る日々とお別れをして日々前進のスタートをしようと思いますグッド!キラキラ



この度はちょっとブログを放置してしまった…(>_<)


って言う期間じゃ無かったのにも関わらずたくさんのコメントやメッセージ、ペタ本当にありがとうございましたm(__)m
ブログを書けるようになって書き始めては消して…を繰り返して中々更新が出来なかったから
ペタ返しから始めさせてもらって
メッセージを読ませてもらいお返事をさせてもらって最後にコメントをゆっくり読ませて頂いてお返事返させてもらいました!!
メッセージは消えてしまっている人がいる事がわかったので返せて無い方本当にごめんなさい。



たかがブログと言われた事もあったけど私の帰りを毎日待っていてくれて本当に泣いてくれた人達がいたり、たくさんコメントをくれたりメッセージくれたり本当に有り難くて嬉しくて…私も一昨日、昨夜は泣きまくりでした。


南城のブログは長いし~かたい!!(笑)とも言われたけどそれも今回で最後ニコニコ


やっぱり真実を書きたいしみんなを裏切りたくないショック!

なのでいつも以上にかたくて…長くて…真面目な話をするけどうわぁぁ~(+_+)ってなるかもしれませんが読んで頂けたら嬉しいです。


私が最後にこのブログを書いたのは2月14日のバレンタインデーの日ですね。
あの時期、ブログにも書いてたと思うけど『自己導尿』の訓練をしていました。


自己導尿…。。



それはもう自分での力では排尿ができていないとの事でした。
一生、カテーテルを持ち歩き残尿を排出すると言う
指示が出されました。
一応、私も一人の女性としてその現実は正直とても辛くてショックな事でした。

けれど、自己導尿をしなければ透析をしなくてはならなくなり大げさに言うと最後には毒素がたまり最終的にたどり着くのは…『死』

と言う説明を仲の良い看護師さんに聞かされ
【嫌だと思うけどまだ導尿で止められるならここで頑張ろう!!】って日々励ましてくれる仲間がいてdoctorがいたから辛い現実だったけどそれを受け入れて頑張ってました。
けれど私の体力や体調は半年前とは驚く程違う早いスピードでダウンしていて日々、目眩や頭痛が酷く足や顔などが腫れていきました。

きちんとした原因と言うよりはすべてが当てはまると言う状態で…尿のせい、頭を打っているからのせい、薬の副作用のせい…
原因を突き止めた所で改善する事ができないでいました。
それでも頑張ろう!逃げないで戦おう!
そんな時期に書いたブログでした。



それから2日後。



2月16日



私の一番の味方であり、
私の病と向き合ってくれて、どんな時も一生懸命で
どの病院へ転院しても主治医でいてくれた私の大事な大事なdoctorが急逝しました。



これを書いて良いのか悩んで相談もしましたが
病院も正式発表をしたし
新聞にも載ったと言う事なのでここに真実を。




腐るほどお医者さんがいる病院の中で、たった一人誰にも発見される事無く私の本当に大事なdoctorは一人二度と逢えない遠い場所へ逝ってしまいました。



発見されたのは次の日の朝で…どんなに手を尽くしても もう、先生の体は冷たく硬直していたそうです。


私がその事実を知った時、実は私病院には居ませんでした。
肉体的にも精神的にもボロボロで自分の体が限界かもしれないと思い自分の事で頭がいっぱいで1日に自分が出来るいっぱいいっぱいのスケジュールを詰め込んでいて…病院スタッフからの電話も出ずに…
その事実を知ったのはその日の夜8時を過ぎてからでした。




ケアマネや看護師長は私の精神的なダメージを気にかけて少しの間は南城さんには言わないでおこう!


っとなっていたとを後で知りましたが、他人やまったく知らない人から聞く方がどんだけ辛いかと 私の元の病院スタッフが誰よりも早く連絡をくれました。



私は現実を受け入れられず、精神状態は更に最悪になり…死にたい病になりました。一週間以上泣き続け食事も取らず
『なぜ、こんなに苦しい私を連れていってくれなかったんだとか、doctorがいなきゃダメな患者さんはたくさんいるのになぜ神様は生き殺しのような私を生かせてdoctorを連れていったんだ…』とか。死んでも良いじゃなくて、もう殺してくれたら良いのに…。そんな事ばかりを考えてました。


そんな私をみんなは見張るかのように心配して側にいてくれました。



もうどうでもいい。と思う気持ちとdoctorと事故後二回約束した絶対に自殺はしないと言う約束が頭の中をグルグルとまわってるうちに
最初は手が震えて携帯はもちろん何もが出来なくなりそして次は記憶障害がおきて丸1日まったく記憶が無い日があったり1日の中で飛び飛びに記憶が無い日が出始めて一番衝撃だったのが、自分のキャッシュカード、タスポ、免許証などその他色々自分を証明するものなどを捨ててました。
でも、まったく記憶になくてなんで?なんで?困るよ!誰がこんな事した?えっ?意味がわからないんですけど~Σ( ̄◇ ̄*)エェッとか平気で言ってたりしててて…



これは本気でヤバいと思ったのは友人との食事会!!

このままじゃいけない!!っと気分転換にと医療スタッフの友人達が外へ食事に連れていってくれたそうですが…まったく記憶が無い。


行った覚えも無いし食べた覚えも無い…。



でも…写メがあった。。。


ちゃんと一応はそこそこな外着の洋服を着て、化粧もして…しかも一応は少しはカメラを向けられてか笑ってる…。
この日の記憶…どうやってもこうやっても無い。
忘れてるとかの話じゃない…。



もうダメだ…って思った瞬間でした。



事実を精神科医に話して自分が怖いと言いました。
カルテに書かれた病名は
『解離』
自分が今おかれてる状態、その自分が嫌で名前などが入っていた証明書など私はその人では無いと思いたくて解離現象がおきていると言われました。
相当なショックを受けたものからくる一時的なものです。心配はいりませんよ!と精神科医。



あの~記憶が無い間によくほらっ!テレビとかでもある~人を殺してしまったり人に危害を与えたりする事はありませんか?


精神科医
ありません。貴方の場合だけに限らずこのタイプの解離現象は貴方に記憶があろうが無かろうが普段の貴方しか出てきません。
逆に人に自分が落ち込んでいるとか辛いってのがばれないように、いつもと同じ貴方がいるだけです。




そうですか。一層の事すべての記憶が無くなってくれたらよかったです。
私の過去も事故にあった事もこの体になった事も…
全部消えてしまえば良かったのに。



精神科医
ハハハ(笑)そうはいかんね。そんな簡単に都合の良い所だけを消す事はありませんと言うかできないものですよ。



ですよね…。


精神科医
本当に一時的なもとだと思います。doctorとの関係長かったですもんね。
普通の人でも人の死をそんなに簡単に乗り切る事はできません。
貴方の場合はそれの何倍とも言えるdoctorとの信頼関係や失った人が大きすぎたんです。
大丈夫ですよ。一時的なものです。
すぐにはとはいきませんが時間が治療です。
手の震えもそのせいです。文字が読めないのも、すべて。
薬は出しません。
本当に時間が治療です。



はい…ありがとうございましたm(__)m



なぜ、私がここまでおかしくなってしまったか…
不思議に思う人もいました。doctorの事好きだった?から?と言う人もいました。

はい!好きでした。
恋愛感情とかじゃなくて
事故をしてからずっと父親のような存在でいてくれたから。あんなに患者と本気で向き合ってくれたdoctorはいません。
私の頭や体をバコバコと叩いた人もこの世に先生しかいません。
いつも患者さんの事ばっかり一番に考えて自分の体を犠牲にして…。
本当にdoctorはバカだ。
私より何倍も何倍もバカだけど どこを探しても、
もうdoctorよりすごい先生には二度と逢えないと思います。
それを亡くなった後もずっと感じさせられました。


doctorが亡くなった事で
病棟は閉鎖になり主治医を無くした患者が溢れるかのようにでました。
もちろん私もその一人です。「病室は違う形で使われているようだけど」



私を受け入れてくれる病院も主治医も見付からず…
どこの病院からも拒否されました。
私の障害は治療してどうとかの病気じゃ無い事もあるし、私は裁判も抱えているからどこの病院も先生方も嫌がって受け入れてくれませんでした。
その間に体調が悪化して…元々事故前から持病でもっている喘息も重なって呼吸困難になり、熱が38度から下がらなくなって
一度doctorが亡くなった後に一回受診してくれた先生は風邪だと言い…
風邪は薬に頼ってちゃダメゆっくり休んでたら一週間したら治る!!
一週間ぐらい我慢しなさいと言われて…
検査をしてくれる訳でもなく我慢してたら…
咳が止まらなくなって、痰が引っ掛かり本当に呼吸ができなくなって…日に日に声も出なくなり心臓が痛くなって熱はグングン上がって…訪問看護師達が異常だと言い初め受け入れ病院を必死で探してくれました。
けれど私の主治医は亡くなったdoctorになっていて
どこの病院も受け入れしてくれなかったそうです。
私は呼吸困難に加え嘔吐と下痢も発症して熱も38度をと言う症状と1ヶ月半戦ったみたいです。
ケアマネはもう救急車で無理矢理病院に搬送して下さいと言ってくれたそうです。受けないと言っても救急車で運ばれればどこの病院も帰れは無いだろう作戦だったみたいです(苦笑)


今は笑って言えますが…
すいませんm(__)mその間はもう死亡に近かったので自分ではわかりません。
ただ、苦しかったと言うのともう死ぬな…と思ったのだけ覚えてます(^o^;)


結果、助けてくれたのは
薬剤師さんと神経科の先生でした。薬剤師さんはdoctorの処方箋が無いと薬は出せないけれど 市販薬なら売る事は出来るらしく
病院が出す薬も市販薬も成分が一緒なら何とかなる!と市販薬で何とかしてくれました。
そして、脱水症状をおこしてたらしく打つ点滴は出せないからと飲む点滴を出してくれて、その後神経科の先生が自分の病院では適用外の患者だけど採血をとって血液センターに送ると言ってくれ検査に協力して助けて頂きました。



1ヶ月半…。。




結果、風邪ではなかったのは当たり前で…
ウィルスだとわかりました。
免疫力が無いので普通の人の何倍もそういうのにかかりやすく、気をつけなきゃいけない。いつも、doctorが言っていたし、何か少しでも変化があったらすぐ検査をしてくれていた。



私のdoctorが生きていてくれたらこんな事にはならなくて済んだと思います。




そして、裁判の為鑑定医は県外の病院になる事になるそうです。




主治医がいないと言う宙に浮いたような状態で…急変したら世の中にこんなにたくさん病院があるのに私を受け入れてくれる病院が無いって言う現実の壁に打ちのめされた日々でした。