弥生の朔日参り | 翡翠色

翡翠色

ブログの説明を入力します。

2021年3月1日

朔日参りに

いつからか
ここに来ないと1日が始まらない
くらいになっております😉


今日も鎮守社に行く前に
こちらに来ました。

時々思うけど…
狛犬たち
どこか遠くを見据えていて
近くに寄っても目は合わない

そして 改めて見直すも亀文山⁇
文の下に山を書く字は無いよね…🧐⁇




現在はこの名称です。





光って良く見えないですが
鎮座年月日は不詳とあり

かなり中略(笑)

大正十二年
関東大震災で拝殿本殿共に全壊
民家の復興などを優先していたが

この辺りに禍いが多発し
神社の再建を急ぎ
大正十五年に現在の社殿を建設した
と書いてあります。



狛犬の建立年は昭和二年
鳥居⛩は昭和四年 と印されております。

自分にとって 親世代が産まれた頃のもの

狛犬の台座には
石工名
石碑にもある関根姓を持つ方です。

寄進者の氏名も刻まれておりますが

この地域でお馴染みの姓ばかり
子供達の同級生にも居ましたね。

氏族の家系の名前が並んで刻まれています。

この姓たち 
少し移動して他のお社に行くと
また違うんですよね。
氏族制度の名残


そして、見えにくいけれど
青面金剛の庚申塚

台座にはお決まりの三猿



寛政 乙卯 七年 九月吉日

乙卯は きのとう とか読むようです。

西暦だと1795年 今から226年前



こちらは猿田彦の庚申塚



この面が不思議なくらい綺麗で
はっきり見えます。

文政十三年 庚寅春 三月吉日

庚寅はかのえとら こちらは耳に覚えが😀

西暦1830年  191年前


昭和年代の狛犬たちには
十干 十二支 彫ってませんでしたね。


200年前といえば
江戸時代


新一万円札の顔でもあり
今の大河ドラマの人物

渋沢栄一が産まれたのも
江戸時代
天保11年(西暦1840年)

画面でみる江戸時代のあれこれ
そんな時代の庚申塚

そして脈々と続いている 氏 姓
神職?さんがいつか
『氏子達がやるから…』と仰っていましたね。
八幡社ということも
氏を守る大きな要因になっている?


そんなものに触れると
この地で人生の半分を過ごしていても
まるっきりの新参者だなぁ🙄
次の世代も
この地には留まらないようでもあり…

むしろ流れ者?(笑)


流れ者😅はしばし休息の後
暑いくらいの春の日差しの中
鎮守社に向かいました。


帰り道の桜
開花までは3週間くらいだろうか

今年はこの道の桜🌸の下を歩きたい。

二重マスクで😷

花粉症メガネ👓もある事だし😅

そしてこれ以上の禍いがない事を
祈りながら 
日々を過ごしたい🙏✨

江戸時代でも令和でも
人々の願いはそう変わらない…