人間なんてそんなもの | 「ハンブルグの黒い霧」は師匠の技

人間なんてそんなもの

数日前、X(旧Twitter)に「子どもの声 騒音問題」みたいなワードがトレンド入りしていた。

なんかそういったニュース記事があったんだろうな。

ちょいちょい見る話題だし。

皆さんのポスト(これツイートのことだよね?)は賛否両論で、こういうときは否定が多数を占める。

どちらの意見もまあまあ理解できて、今のところ「人間なんてそんなもんだよな 笑」という思いになる。



どのケースにも当てはまる解決方法があるか分からないけど、コミュニケーション不足のようなものが問題なんだと思っている。

「自分が子どもだった頃もうるさかっただろうに」ってよくある意見には賛同できるものの、おそらくそこには近所付き合いがあって、知っている子どもだから許容範囲が広かったんだと思う。

場所によるだろうけど、一人暮らしが多かったりする今はけっこう希薄になっていない?

 同じマンションなのに挨拶すらしないって聞くし。

それじゃ許容範囲狭くなるわ。

それから、子どもだから何でも許していいってのはちょっと違うと思う。

実際、度が過ぎれば怒られていたし。

 ま、この「怒る」はよろしくないんだけどね。

ちょっと話はズレるんだけど、近所の子どもが何度も畑に入っていたことがあったんだ。

何かあるとまずいから子どもたちに声をかけて「これこれこういう理由だから畑には入らないでほしいんだ」って説明したら、素直に理解してくれた。

「騒音」に関してもコミュニケーションがあればお互いに納得できる音量に持って行けるんじやないかな。

(なんか表現がヘタクソですいません)

そうはいっても一人暮らしの大人と遊ぶ子どもたちがコミュニケーションをとる機会なんてそうそうないだろうけど。



あとちょいちょい見掛けたのは「子どもは宝」って話ね。

「国にとって大切なものなんだから我慢しなよ」的なことなんだろうけど、こちらも理解しつつ、なんか違うとも思えてしまう。

いくら「宝」と理解していても、今の自分の生活を維持したい(しなきゃいけない)から、 不必要なものは遠ざけたい気持ちになるのは分かる。

また話変わって申し訳ないんだけど、うちの近所に墓地建設の話が出て、問題になったことがあったんだ。

個人的には賛成でも反対でもなかったけど、近隣住民は反対運動起こしていた。

墓地と隣接していて窓開けたらお墓見えるなんて環境になったら子どもはかわいそうとは思った。

でも、お墓って一応必要ものではあるじゃん。

反対運動起こしている人だってどこかにお墓は持っているだろうし、それを買ったときに「近隣住民に迷惑かも」なんて考えよぎらなかったでしょ。

他にはさ、あなたの家庭で使用している電力を作っていた原発から出た使用済み核燃料。

それらの最終処分場をあなたの町に作ります。

そんな話が出たから、間違いなく多くの人が反対運動を起こすでしょ。

これらに共通しているのは「必要だけど、近くあるのは嫌」だよね。



自分の立場、規模の大きさや内容に違いはあれど、自分の都合の良いようにしか考えないよね。

だからこそ様々な意見に理解を示しつつ、「人間なんてそんなもんだよな 笑」と思ってしまう。