タイとは関係ないのですが最近見たこの映画。
一之瀬泰造さんという方の実話をもとにした映画です。
彼はインドシナ半島を撮り続けたフリーの戦場カメラマンでした。
カンボジアを愛し、アンコールワットを追い続けていた彼でしたが
1973年に消息不明になってしまいました。
定かではないのですが、彼が25,26歳のころだったと思います。
そして、彼が消息不明になって9年後の1982年に
両親によって正式に彼の死が確認されたそうです。
最後に彼に関する人たちのその後もちょっと知ることができたのですが
激動の時代とあってか
ほとんどの方が幸せとはいえないその後を送ったようです。
この映画では
現地の人との交流がとても暖かく描かれていると私は感じました。
戦争の酷さ、醜さのようなものより
よっぽど、泰造さんと様々な人との交流が心に残りました。
『うまく撮れたら、持って帰ります。
うまく地雷を踏んだら、サヨウナラ!』
これが彼が最後に友人にあてた手紙に書き残した言葉だそうです。
ものすごい危険な状態にいながら
こんなことをあっさり言ってしまえる泰造さんがすごいと思いました。
私はこの映画を見たあと、タイ人の彼に話しました。
言っていいのかわかりませんが
タイ人がカンボジア人をよく思っていないことを承知で話しました。
「戦争が人を悪くしてるだけで、普通の人はいい人だと思う」
と。
タイと国境の国々との関係を何も知らない私が言うべきことではないことは
理解しているつもりです。
それでも
私は心のどこかでいつも仲良くして欲しいと願っているようです。
彼はこの映画そのものには興味を持ってくれましたが
やはりカンボジアの人を許すことはできないそうです。
「たとえそうでも、映画は昔の話。今は違う」
島国である日本人の私にはとても想像できない国境という問題。
決して簡単には解決できない問題。
それを、いつも彼の言葉は私に教えてくれています。
今日のブログはちょっと深刻な話になってしまいました。
一之瀬泰造さんという方の実話をもとにした映画です。
彼はインドシナ半島を撮り続けたフリーの戦場カメラマンでした。
カンボジアを愛し、アンコールワットを追い続けていた彼でしたが
1973年に消息不明になってしまいました。
定かではないのですが、彼が25,26歳のころだったと思います。
そして、彼が消息不明になって9年後の1982年に
両親によって正式に彼の死が確認されたそうです。
最後に彼に関する人たちのその後もちょっと知ることができたのですが
激動の時代とあってか
ほとんどの方が幸せとはいえないその後を送ったようです。
この映画では
現地の人との交流がとても暖かく描かれていると私は感じました。
戦争の酷さ、醜さのようなものより
よっぽど、泰造さんと様々な人との交流が心に残りました。
『うまく撮れたら、持って帰ります。
うまく地雷を踏んだら、サヨウナラ!』
これが彼が最後に友人にあてた手紙に書き残した言葉だそうです。
ものすごい危険な状態にいながら
こんなことをあっさり言ってしまえる泰造さんがすごいと思いました。
私はこの映画を見たあと、タイ人の彼に話しました。
言っていいのかわかりませんが
タイ人がカンボジア人をよく思っていないことを承知で話しました。
「戦争が人を悪くしてるだけで、普通の人はいい人だと思う」
と。
タイと国境の国々との関係を何も知らない私が言うべきことではないことは
理解しているつもりです。
それでも
私は心のどこかでいつも仲良くして欲しいと願っているようです。
彼はこの映画そのものには興味を持ってくれましたが
やはりカンボジアの人を許すことはできないそうです。
「たとえそうでも、映画は昔の話。今は違う」
島国である日本人の私にはとても想像できない国境という問題。
決して簡単には解決できない問題。
それを、いつも彼の言葉は私に教えてくれています。
今日のブログはちょっと深刻な話になってしまいました。
