いつもお読みいただきありがとうございます。
今回は「信じたくない人は信じなくていいですよ」系の話をしていきます。
と言うのも、攻めた内容になっています(笑)。
読む方(読む時の視点/フォーカス)によっては氣分を害されてしまうかもしれないので、
その時は「ああ、あなたはそう思うのですね…」くらいに思って、軽く流すのがいいでしょう。
今回も長めとなっていますが、前回ほどではないのでご安心を(笑)。
では、進めていきます。
最初にお伝えすると、
私はアレの“推進派”でも“反対派”でもなく、
ウクライナ派でも、ロシア派でも、アメリカ派でもなく、
自分派の意見を持っているだけである。
強いて言えば、そんな私は、
宇宙に調和をもたらす“ムー”的な思考を重要視していると言える。
ムーとは簡単に言うと、
恐怖や搾取を基盤とした、巨大なピラミッド構造にある“アトランティス”の苦しい箱庭=檻の支配から抜け出した、愛と自由を重んじる人達の存在。
私のブログに好んで訪問してくださるような、心豊かな方々の多くは、ムー由来の魂を持っていると言えるでしょう。
余談だが、私はアトランティスでもムーでもなく、プレアデスとか、オリオンとか、エササニとかかもしれない。
あるいはアトランティスだったが、ムーにふと目覚めたのか。
ムーだったが、アトランティスに長らく染まっていたか。
でも厳密なところは、正直どうでもいい氣がする(笑)。
<刷り込み>
私…と言うか、
人類の多くは基本的に、戦争に反対だ。
そして文化や風習の違いはあれども、
みんな世界の平和を願う、心優しい方達だ。
それはとてもいいことだ。
今、隣のウクライナに侵攻し、人の命を奪い、世間を騒がせているプーチン氏が率いるロシアを許せないという思いが湧き上がるのも、当たり前である。
しかしながら、実際に私たちを騒がせているのは、メディア=情報=兵器。
当時、「かの国に大量破壊兵器があるから」「テロリストがいるから」という理由でイラクやアフガニスタンに侵攻したアメリカが責められることはほとんどなく、
むしろ“正義の戦い、万歳!”という風潮もメディアが作っていた。
(なぜなら、その方が支配者にとって都合がいいから)
今回のロシア/ウクライナ…そしてウイルスにしても、メディアが騒ぎ出してから、世間も騒ぎ出した。
本当にウイルスが悪者なのかすら根源的な議論が足りていないのに、そしてウイルスなんて私たちの身体の内にも外にも、いくらでも存在しているというのに…、
またウイルスは変異していくのが当たり前なのに、何より私たちの免疫にとって何が大切かを置き去りにしたまま、「変異しました、新型です、大変です!」といつまでも騒ぐし…、
国同士のいざこざが表面化する、はるか以前から火種はあったし…、
C国においてはウイグル/チベットの非人道的な弾圧もあるし…、
中東においては何年も何年も前から日常風景として銃撃戦が繰り広げられているというのに…、だ。
(中東は貧困地域と言われているのに、こんなにも長く争い続けるだけの大量の兵器は“どこ”から供給されているのだろうか。砲弾一つで私たちの家一軒を建てられるくらいの莫大な費用がかかると聞く)
ここ数年でより浮き彫りになった、メディアの恐怖と不安の煽り体質、偏向報道。
そしてメディアと連携している政治家たちの不正・隠蔽体質。これもまた隠しきれないレベルで浮き彫りになってきている。
どこの国にせよ。
そんな彼らが今回だけこのように大きく騒ぐのは、何か意図があるんじゃないか? と疑わずにはいられない。
なぜなら、痛い目に遭うのはいつも一般市民ばかりであり、支配層はその様子を上から眺めているだけだから。
「ロシアが悪い」と一方的に言うのであれば、
戦争ばかり起こしてきた世界中の国々…とりわけアメリカ(イギリス)に対しても大罪人として扱わないと筋が通らないと思うのだが。
この数十年で彼ら大罪人が、その過去を反省し切って、別人のように生まれ変わったようには当然思えない(苦笑)。
日本では、むしろアメリカ様様である。日本は多くの文化を奪われ、アトランティス的な西洋文化が定着してしまっている。
ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領のことが私は好きなのだが、
「あなた達は日本人なのに、なぜ“和服”ではなく“洋服”を着ているのですか?」
「日本で売られている化粧品やファッションのCMには、なぜ西洋の美女が多く起用されているのですか?」
「街中のいたるところに英文字の看板が見受けられますが… ここは、日本ですよね?」
といった、来日時の彼のまっすぐなセリフが、私の心に深く刺さっている。
彼にお会いしたことはないのだが、このセリフに何も言い返せそうになくて、私は悔しい。
「時代はグローバルですから」などと、日本の精神を捨てたような返答をする氣には、私はならない。
自分たちの誇り・文化を大切にした上で、「変換期ですから」と言うのは全然かまわない。
でも、支配の末に文化を塗り替えられ、ないがしろにした上で、それを「グローバルですから」などと言うのは、それはちょっと違うのでは…と思うのだ。
もちろん生活が便利になったという側面はあるのだが、その代償が大きすぎる氣がする。
(何より宇宙レベルで見れば、その影響か、地球文明の進化が遅れている…らしい。その代表格が、フリーエネルギーであろう)
歴史とは、終わった昔話のことではなく、今もなお続いているのである。
そして「あいつが悪い、こいつが悪い」と言う前に、そもそも「過ちを繰り返してばかりの地球人は愚かだ」ということだ。
正確に言うと、意図的に歴史を都合よく記述していこうとする人達に、人々が付き合わされている。
ゆえに「人はなぜ憎しみ合うのだろう?」という疑問は、
「人はいいように、憎しみ合わされている」と置き換えた方がいいだろう。
人々は、本当は殺し合いを嫌っているはずなのに(私はそう信じたい)、
憎しみ合いなどしたくないのに、
歴史から戦争は消えていない(一万年以上の平和が続いたとされる縄文時代、平和な世が三百年続いた江戸時代を除き)。
と言うより、人類史とはむしろ“戦争と侵略、そして洗脳の歴史”と言い換えてもいい。
しかし「歴史から何も学んでいない」ということを多くの人が学んでいるので、前進しているのだ。
この前進も、ネット環境の普及により情報発信が増え、さらに加速している良い段階と思われる。
私もこの一員として力を尽くせれば嬉しいものだ。
だから、国境付近などの小さな地域での小競り合いや紛争は依然として残るものの、
世界中を巻き込んだ大きな戦争というのも、起こされるのはこれで最後となるのではないか? と私は踏んでいる。
(それは、一つの巨大なピラミッドによる支配が完成し、歯向かう者がいなくなってしまうからなのか、
支配構造から目が覚めた人達が増えていくから大きな戦争をやりたくてもやれないからなのかは、わからない)
<戦争、そして対立構造の先にあるもの>
また、国というのは「国」という一単位として捉えてはいけない。
その国内にも民族や派閥であったり、宗教的・歴史的な背景もあり、国を超えて存在している組織や大企業もあるので、
一言に「ロシアが」「アメリカが」「日本が」と語るのは、便宜上の、あくまで表面的なものだ。
よくC国では「反日本」、日本では「反C国」が叫ばれているが、
これも一まとめにしていい話でもなく、C国にも日本にも、良い人もいれば嫌な人もいるものだ。
地球人同士でいがみ合うように対立を煽っているのは、あくまでも、それにより利益を得ている支配層なのだ。
…そして、
そうやってメディア(=兵器)を使い、ロシアを意図的に追い込んで追い込んで、
今まで強者とされてきたロシアは世界から孤立させられ、いつの間にか弱者になっていく。
「ライバルを蹴落としたい」というアメリカの意図するままに。
善悪は、表裏一体。
悪人は善人のフリをするのがとても上手いし、
今まで善だと思っていたものが悪にすり替わっていることもある。
時に本当の善人というものは、悪人が仕掛ける世論誘導により世間から悪者扱いを受けてしまうものだ。
また「悪魔など存在しない」と、あの手この手で思い込ませることも、悪魔が得意とする手法だ。
そうやって追い込みと煽りの末、
前進か敗北かの二択を迫り、ロシアをキレさせて核(またはそれに近い戦略)の使用を“促す”。
「ついにロシアがやりやがった、あのヤロー!」と、そうなったら、いよいよ世界を巻き込んだ大戦争に持ち込める。
(と言うか、日本政府もすでに片足を突っ込んで参加しているような状態。…そうするようにアメリカ様から言われているから)
「戦争反対! ロシア排除!」
「我々は戦争の拡大を阻止すべく尽力してきたが(←…嘘っぽい)、これ以上、ロシアの蛮行を許すわけにはいかない」
という口実(大衆を扇動するプロパガンダ)が、シナリオ通りに出来上がる。
かつ表面上は、仕方なく…という風を装っている。
テーブルの上ではあれこれと言い争っている風を装って、大衆のフォーカスが届かないテーブルの下ではお互い手を握り合っている。
…そんな構図が見えてくる。
「V接種後に亡くなった方々については調査中です。ハイ結果は、原因不明でした」と、自分達の都合の悪いことには“我関せず”の逃げの姿勢を貫く反面、
「ロシアに関しては、この大罪を裁かねばならない!」と前のめりに、イキイキと語る。
「いや、戦争ばかり起こしてきたアナタ達が、それを言うのですか」と私は突っ込みたい(笑)。
また、「あいつが悪者だ!」と外側に対して攻撃的な姿勢を取る時は、大体は自国民に知られたくない、隠したいものを自分達の裏に秘めているということだ。
これはC国やK国だけの話ではなく、日本も含めた世界中のどの国においても言えることだ。
日本の政治家は(ウイルスのことも含め)、
「今こそ緊急事態です。国民の命を守るためです」「この危機を克服するためには、仕方ないのです」
というアピール(建前)を繰り返し、
法改正=独裁への抵抗感・ハードルを巧みに下げていく。
自分達が行ってきた、そしてこれから行おうとしている黒塗りや捏造、不正をそのままにし、
「あなた達のためです」と言いながら、
実のところ、自分達の権力欲・支配欲を満たすために、
国民は、政治家のおもちゃにされる。
(残念ながら彼らの関心事は、自分達の権力を強めることと、いかに“個人<組織”(ピラミッド)の構造を拡張していくか…にある。
個人が幸せでないのなら、誰も幸せにならないと言うのに。
「国とは、権威(組織)ではなく民(個)なのだ」という意識が、アトランティス的なエリートゆえに欠如している)
欲望に取りつかれているのは、プーチン氏だけではないということだ。
各陣営に兵器を供給している武器商人(別名:死の商人)たちは、今回も大儲け。
アメリカ(そしてイギリス)、
そして国の範疇を超えた組織・企業は、
念願の“打倒ロシア”を達成できたならば、日本を含めた世界中の支配権をより強固なものにできる。
(C国、インドあたりはさておき)
「ユーラシア大陸を制するものが、世界を制する」とも言われているくらいだ。
ユーラシア大陸を制し、世界を我が物にしたい者にとっては、ロシアとプーチン氏が邪魔で邪魔で仕方ないことだろう。
そんなロシアが、ただ亀のように丸く縮こまっているだけで終わるような国でもなく…。
そしてどこの国にせよ、世界を制した者が、それだけで満足して去って行くとは考えにくい。
争いの元になっている宗教・文化の統一を図り、
「この世から戦争をなくす」という、人々が大いに関心を寄せる大義名分のために、
世界を支配下に置く絶対的な一つの正義(=独裁)が完成。
もちろんこれが“正義”であっていいわけがない。
「君達が新時代のリーダーになるんだ」「さあ、大志を抱け」と上司に褒めちぎられ、
「地位や権力や財力を得ることができれば幸せになれるんだ」
「ピラミッドの頂点を目指そう、そこに栄光がある」と、そんな蜃気楼を信じ込み、やる気になっている彼らにとっては、そんな世界はユートピアだが、
私のような人間には、逆にディストピアなのだ。
また、“統一”という単語に、ロマンを感じてはいけない。
それは、中小企業や個人営業を潰して、全て、アトランティス系の大組織の傘下に入ってもらうということ。
個人の資産も思想さえも、アトランティスが支配・管理しやすいように、一本化される。
「平等」という綺麗に感じる旗の下、人類はみな等しくロボット/奴隷にさせられる。
また支配者を支持しない人達は「非国民だ、犯罪者だ」というラベルを貼られる。
そのラベルを貼ってくる当人たちこそが、私たちの国を支配者に売り渡していると言うのに。
この巨大ピラミッド構造に抵抗する人達をテロリスト呼ばわりして、
「テロリスト鎮圧」「平和のために」という名目で“正義(偽)の戦い”が継続される。
テロリストという呼び名が付けられた者=絶対的に悪という価値観を徹底的に刷り込まれている人々は、
何かがおかしいことに氣がつかず、反射的に「彼らを排除しないと」と政治家を支持してしまう。
また、ロシアが暴走することなく大人しく引き下がったとして、
「今回の騒動の責任を取らせる」という名目で、ロシアから多くのものを奪っていき骨抜きにするだろう。
そうやって盗賊のごとく奪ったものは自分達の懐にしまうという…
目先の感情や善悪で語っていい話ではないのに、そして相手だけの問題ではないのに、
特定の相手だけを悪者にするのは、人類の悪いクセだ。
で、仮にロシアが大勝したらしたで、
将来的に“ロシア大帝国VS世界の国々”という、新たな対立構造がいずれ出来上がる。
ロシアの目の敵として認定されつつある日本(背後にはアメリカの糸)にも攻撃が及ぶ可能性がある。
すると日本が火の海になることを回避するため、日本は必死にロシアと戦うことになる。
日本とロシア… この両者を潰し合わせたいアメリカにとっては、これまた最高のシナリオだ。
この場合においても、“死の商人”は狙った通りにビジネスで大儲け。
いつになるか、どんな形になるかはともかく、“打倒ロシア”が達成される。
今まで十分長らく世界を支配してきたというのに、
さらに強い支配体制を維持していこうとする、支配者の一人勝ちというわけだ。
<罪の根源を探る>
……
私がもし、人の命を軽んじる支配者だったら、そのくらいは想定しているのでは? と思っている。
(念のために言っておくと、これは私の予言ではなく、可能性の予測だ)
そして、その狙い通りに今世界(特に日本)では、
「ロシアが悪い。ウクライナはかわいそう。だからロシアを排除しよう」という世論が定着している。
「プーチンさんがそもそもウクライナに侵攻さえしなければよかったんだ」
「ロシアがささっと撤退してくれれば全ては丸く収まるんだよ」
…とみんなが言いたくなるのも、確かにそれもその通りなんだけど、
「そこ(部分)だけを見ないでね」と私は言いたい。
いくら「自分達が正義だ」と言い張っていても、相手から見れば「あなた達は悪人」なわけだ。
一つの見方によっては、弱い者(ウクライナ)を助けているつもりが、
一つの見方によっては、弱い者(ロシア)をいじめている。
また、このどちらかに付くことが、火に油を投入していることになっている。
いや侵攻はいけないことだ、
いや侵攻するにはそれだけの十分な理由があるんだ、
そうだ侵攻をそそのかした奴らがいるんだ。
メディアが本当のことを全て報道しているとは思えない。
宗教的な背景、歴史的な背景がある。そこを知らないと…。
じゃあ宗教の大元はどこだ? 歴史はどうやって進んできた?
いや正当な理由があるからと言って他所を侵攻していいわけがない。
でも、侵攻するロシアを一方的に悪と見なして、ロシアを殺そうとする人達は一体何なんですか?
正義の使者ですか? 神様が「彼らを殺せ」と命じたのか?
正当な理由があればロシアを裁いていいのか? それでは、ロシアと我々は根源的に何が違うと言うのだろう?
いやロシアは悪者なんだから、正義の私たちがもっと痛めつけてあげないと…(背後には悪魔の笑顔)。
ロシアはもう十分痛い目を見た。ロシアは今、苦しんでいるんだ。
ロシア、かわいそう。
じゃあロシアを助けるためにウクライナとアメリカを何とかしないと…
と、エンドレスだ。
支配者が仕掛けた戦争ゲームの、同じ土俵に上がるとは、そういうことだ。
「あいつが悪だ、ゆるせない、排除しよう」と感情的に言ってしまうのは、
それでは問題をすり替えたり、または先送りにしているだけで、
諸悪の根源とも言える、世界を支配する“ピラミッド構造”は何一つ変わっていない。
…であれば、また同じようなことが形を変えて、何度でも起こされるものだ。
プーチン氏さえいなくなればいい。
ロシアが侵攻をやめさえすればいい、または大統領を交代させればいい。
…そんな単純な話でもない。
それは、目先に舞い上がる煙を払うだけで、煙の元の火は消えていない状態。
だったらいっそロシアそのものを完膚なきまでに叩きのめして、滅ぼせばいい…と言うのであれば、
そこまで行くと、いよいよ本格的に、もうどちらが悪者なのかわからなくなるというもの(苦笑)。
また、それは「足が筋肉痛でつらいから、足を切り落とせばいい」と言っているようなものだ。
解決するどころか、さらに苦しみが増すだけだ。
そのように的外れな方向に人々が意識を向けてしまうのも、支配者の思うつぼだ。
それが世論誘導、マッチポンプ、支配者の手の平の上である。
出てくる情報により、「あいつが悪者だ! 排除しろ!」と感情に振り回されるということは、彼らの意図にまんまと乗っかるということだ。
なのに「煙を払いさえすればいいんだよ!」という世間の風潮が強いのは、その方が都合がいい人達がいるということ。
それは、火を消したくないから。
火を拡げることによって、自分たちの利益にしている人達がいるから。
要するに、
今回のロシアだけに限った話ではなく、
戦争や侵略の歴史は連綿と続いており、我々はその一端しか認識できていないということ。
世界の問題の数々は、ピラミッドの頂点にいる支配者がアトランティス的な方向に舵を切っており、
その洗脳により、善悪二元論でものを考える人があまりにも多く、その感情をビジネスで利用されているから起きている、と言える。
ちょっと伝わりにくい例え話になるかもしれないが…、
私が学校でいじめっ子にやられたとして、
それは、いじめられる私に何か原因があったとか、他人をいじめたがる暴力的な子に問題があるとか、しっかり監督しない教師や親が悪いとか、教室内の席の配置がいけなかったとか、いじめに関与した誰かを責めればいいとか…、
そんな罪のなすり付け合いをしていても、しょうがないのだ。
その罪のなすり付け合いが、本質からの的外れであり、
その的外れこそが“罪”なのだ。
罪とは本来、“的外れ”という意味。
それを宗教的に改ざんして世に広まり、“罪”とは、権力者が定めたルールに逆らうこと、またはそれを行う人物を指すようになってしまった。
これまた、その方が支配者にとって都合がいいからだ。
だからキリストさんも『偶像(要するに権威)崇拝をしてはいけない』と説いてきたわけである。
…で、
私がその子にいじめられそうな、オドオドした表情ばかりしているのであれば、何で私はそんなにオドオドしているのか?
それはピラミッド社会が刷り込んでくる無価値感や罪悪感が激しいから。
いじめっ子を育てたような親の責任だと言うのであれば、その親はどんな環境・社会に身を置いて、その影響を受けて生きてきたのか?
そもそも元氣の余っている子供たちを、狭い教室内に押し込め、じっとさせることが虐待では?
「先生=権威の言うことを聞きなさい」と強制していく教育スタイルが、子供たちの思考力を奪い、ストレスになっているのでは?
一体、何のための学校なのか? 目的は何?
法律で決まっているから、学校に行かないとダメ? その法律は一体“誰が”決めたの?
その学校は、政治家や組織の息が100%かかっていないと言えるのか?
将来の日本社会で、その子が活躍してもらうための下準備としての学校なのか?
“社会で活躍”…とは、
つまりその子をピラミッド構造に奴隷として組み込み、勝者が限られた椅子取りゲームに参加させるため…。
それは、その子が本当に望んでいる生き方なのか?
支配者が用意した箱庭のアトランティスで生きるには、アトランティスの箱庭教育を受けさせないといけない。
では、アトランティスという名の“平均台”から降りたら、本当に人生は転落してしまうのか?
「平均台から降りたら、そこには平均台よりも遥かにデカい大地が広がっているだけなんだよ」
と語るのは、私も好きな斎藤一人さんだ。
なぜ人は、他人を傷つけるのか? なぜ他人から奪おうとするのか?
自分の自己評価の低さゆえに、人より優位に立ちたかったから他人を蹴落とす。
自分の力量を誇示するために、人のものを奪いたい。
自分は「足りない」という、不足・怖れの思考を持っているから。
自分は人より特別でありたいという願望・選民思想から、自分と同格でいようとする、あるいはその上を行こうとする存在を認めたくない、ゆるせない。
…そうしないと自分の存在価値が周りに認められないと思うから。
自分は我慢に我慢を重ねて生きているから、自分と同じように我慢しない人を見ると、ゆるせなくなる。
またその感情を、どのように昇華させたらいいかがわからないから他者への暴力に変わる。
時には自分自身にその暴力が向かう。
そのような怖れベースの思考を行動原理にするエネルギーバンパイアと化してしまう、
その根源には支配者の作り出した、アトランティス的な“お金”のシステムが深く、深く関わっている。
なぜ子供を学校に行かせるのか?
それは、学校に行かないと将来困るから。
なぜ? “良い学校”を出て“良い企業”に就職してお金を稼いでもらわないといけないから?
今はどんな優良企業であっても、リストラに合う可能性が高いとされていますが?
でも、やっぱり我慢をしてでも学校に行かないと。
何で我慢をしないといけないの? みんな我慢しているから?
アトランティス的な生き方しか教えられてこなかったから…、
そういうアトランティス的な人間が優秀だってみんなが言っているから。
それ以外の生き方をしても幸せに生きられるんだよというお手本を、大人たちが子供に提示できないから。
本当は家で親が子育てをしたいけど、親が仕事に行っていてお金を稼がないといけないから。
何で、子供を育てる時間もないくらいに働かないといけないのか?
もっと親が仕事を頑張れば、アトランティス的な能力を身に付けていけば、それは果たして解決できるものなのか?
だとしたら、何で世の中にはこんなにも病人が多いの?
日本経済を成長させるため?
その日本経済はいつ、どこの“誰が”築いたものですか?
愛する子供といる時間を割いてでも日本経済を成長させないといけないものなの?
経済を成長させたとして、政治家や大企業以外の誰が喜ぶんですか?
国と国が順位を競い合ったところで、あなたが人生を幸せに生きることと何か関係がありますか?
それってどれだけ苦しい社会なの?
だって、核家族化したせいで、他に頼れる人が近くに誰もいないから、学校に預けるしかないから。
何で頼れる人が近くにいないの?
孤立することと、自立することを、はき違えていませんか?
江戸時代は、村の子供はみんな大事な村の子供として、村全体で育てていたというのにね。
あれ、“お金”ってそもそも何だっけ?
銀行のデータに「私の貯金額は○○万円」と記録されているけど、ハッキングとかEMP兵器か何かでシステムが飛べば、そのお金はどこに行くの?
億万長者が、次の瞬間には一文無しになるってこと? お金って、蜃気楼みたいだね。
お金を無くすと、「どうしよう、生きていけない!」「私は全てを失った…」という絶望の感覚に襲われそうになるけど…、
よくよく考えてみると、自分自身は何も失っていないことに氣がつく。
手足はあるし、愛する人がパッと消えたわけでもないし、太陽は暖かく、花や空は変わらず綺麗。
…むしろ、何も持たない方がスッキリしたかも?
それに、ないなら、助け合えばいいのでは?
付加価値を“得る”のではなく、“削ぎ落とす”ことに人生の極意があるのでは?
「私の財産」「あなたの子供」「あの人の土地」という風に、所有の概念が入ってきてから、人の感覚がおかしくなってきたよね?
自然界の生き物たちを見渡してみても、人間以外の鳥や魚たちはみんなお金のやり取りなんかしていないよね?
あぁ、「人間って地球で一番進んだ生き物」とか思い上がっていたけど、
実のところお金に縛られていて、何という不自由な生き方をしていることか。
自然界は、人間に“それ”を教えるために存在してくれていたのか。
なのに自然界に感謝するどころか、私たちは今、自然界を壊そうとしていないか?
自然界を破壊してまで経済活動を発展させていかないと…って、ウソだな、あれは。
人間の進化とは、ビルやマンションを次々に建てていき全てをデジタル化することではなく、
人は自然と共にあることに氣づいて、自然との調和を取り戻していくことにあるんだ。
それはお金の在り方にしても。
椅子取りゲームで奪い合うのではなく、分かち合うための循環が本質だったんだ。
「老後には二千万円が必要になる」って言っていたけど、それは“誰が”言ったんだっけ?
…メディアと政治家が言っていた。そう言っていた彼らは、神様か何かですか?
専門家? 一体、何の専門家ですか? 箱庭の外に氣づかせないための専門家でしょ?
そして彼らは、国民の命を第一に、そして真剣に考えてくれる人達ですか?
彼らは自分達の中だけで自己完結的に話を進めていませんか?
私たちの民意は、本当に反映されていますか?
海外にお金を流してばかりで、自国民を救わない政策を取っていないでしょうか?
日本人の自殺率は世界でトップクラスと聞きましたけど?
表向きは「選挙で選んだ」って言うけれど、
実際に「あの大臣が素晴らしい!」「あなたに付いていきます!」と本気で信じている人はどれくらいいますか?
支持している人はまだしも、支持しない人まで、その政治家の言うことを聞かなければ罰を与えるって、おかしくないですか?
極論、その政治家が国民に「死ね」と命じたら、政党を支持しない人も一緒に死なないといけないのですか?
だとすると、それは“奴隷”という言葉以外のどんな概念を使って表現すればいいのだろう?
…長々と語ってみたが、
こういった類の視点に着目していかないと、
いじめ… というか暴力性、そして戦争はなくならない。
アトランティス型の箱庭支配(ピラミッド社会)に囚われないで生きるためにも、こういった視点はかなり大事になってくる。
…と私は思っている。
<生きるための知恵>
話を戻して、
私は今回の記事で、「怖いです、地球の未来は暗いです」と言いたいのではなく、
善悪の対立構造に巻き込まれるのは危ないから、
不安や恐怖に煽られないための冷静な俯瞰視点が大事という話をしたいのだ。
例えば、
いつも詐欺に遭ってしまうような人が、詐欺師の手口を学びさえすれば、引っ掛かることはなくなっていく。
(ここで一番厄介なのは、「私は詐欺に遭っていた」という自覚がないこと=“奴隷マインド”による洗脳。
その氣づき・自覚がまず最初)
それと同じように、
戦争という名のお祭りも、参加する人がいなくなれば、勝手に終わる。
武器商人も、売れないものを売ることもなくなる。だって使う人がいないから。
人の命を軽んじることによって儲かっていた人達も、そのビジネスが成り立たなくなる。
(裏を返せば、彼らを儲けさせ、世界が戦争を繰り返しているのは、私たちにも原因があったのだ)
だから私は「全体の仕組みを見抜きましょう」と言いたい。
「見抜いたら、プーチンさんが死んでくれるんですか?」などという、ボケはスルーします。
その場合は、残念ながら私のブログに出会うタイミングではなかったということで。
とは言っても、
私も「全ての真実を知っています」と言えるほどでもなく(苦笑)…
むしろ何も知らないから、“詐欺師”に利用されないように氣をつけたいのである。
特に、心優しい人達は。
(私が言っている“詐欺師”とは、振り込め詐欺の話ではなく、私たちを洗脳してきた“支配者”のこと。念のため)
「私は大丈夫、大丈夫」と言っている無防備な人ほど、落とし穴に引っかかりやすいものだ。
石橋を叩いて渡る…なんてことをしていれば、一生橋を渡れない。だから悩まず、さっさと渡ってしまえばいい。
…という面も確かにあるが、自分の命を守るのは、やはり危機管理能力だ。
そもそも渡る必要のない橋もあるし、渡ってはいけない橋もあるものだ。
「こっちにおいで」と誘われて橋を渡ったら、あれよあれよとアトランティスに浸かり切ってしまうこともある。
もちろん、浸かりたい人は好きなだけ浸かってみればいいのだが。
スピリチュアルでは「怖れに囚われるな」と、よく言われるが、
その怖れとはつまり、ハイヤーマインドとは異なる“奴隷マインド”から発生したものであり、
「支配者の仕掛けた“奴隷マインド”には、くれぐれも氣をつけましょう」という、そのために疑う意識はやはり必要だ。
疑わないとこれから先、何度でも詐欺師に引っ掛かってしまうのだ。
そうしないと詐欺師は、「これでも引っ掛かるんですか? いい加減、氣づいてくださいよ」と、内心あきれてしまうかもしれない。
洗脳とは、本人に自覚がないから洗脳と言える。
洗脳に氣づくには、
さきほど長々と語ってみたように、今まで教えられてきた一つひとつを疑って見直していくことだ。
その代表例が“お金”と“教育”だ。
…あなたは、大人や社会から“何を”教わり、次の世代に“何を”教えようとしていますか?
<幻想>
ところで哲学的な話になるが、“賢い人”というのは、“何でも知っている人”を指すのではなく、
「自分は何も知らない」
「権威への依存・崇拝をしない」
「本当の正解なんて自分にはわからないから、何も信じていない」
「世界は自分が作っている幻想」
という“中庸”を保っている人である。
私は「だからバカでいなさい」と言いたいわけではなく、
インドの寓話『群盲、象を評す』(※)にあるように、多くの視点を持てるようになることだ。
一つの視点しか持てないと、他のパズルのピースが集まらなくなり、一つの偏った思い込みの世界しか見えなくなる。
「これが正解だ」と思い込んでしまうと、そのガラス張りの壁の中で満足してしまい、
その人は箱庭の外の世界を知らず、長らくその洗脳(幻想)の中で生きることになる。
つまり、
「私は無知だ。何も知らない」という、学び続ける態度を持たなければ、
パズルの絵は完成から遠ざかってしまう。
(※)群盲、象を評す
盲目な人々(何も知らない人々=私たち)が象さんの周りにいて、
それぞれに象を触れていき、「象とは、こうである」と感想を表明していくこと。
「象とは、何かザラザラしてます」「ヒラヒラしてます」「ちょっと待て、湿っているぞ?」
「象とは、家と同じくらいに大きいです」「細長いです」「尖っています、危ないです」
「優しそうです」「いやいや、怖いぞ」
このようにみんなが違うことを言い、かつ正解を言っているが、
でも象の全てを言い表しているわけではない。
スピリチュアルや自己啓発に限らず、私を含めた情報発信者により、言っていることが違っているように思えるのは、この仕組みにある。
(中には“わかったつもり”になって、それだけでお金を稼いでしまうような人もいるようだ。それはそれで別に良いのだが)
このうちの一部分だけを拾い上げて、
「象は優しそう」と思える人は、象と仲良く触れ合う人生を送る。
「象は怖い」と思える人は、象に怯えながら暮らすことになる。
だから「あなたの世界は、あなたが見ている幻想だ」と言えるわけである。
前回のブログでも触れたが、
私がもし山奥で一人生活しているような達人であれば、ウイルス騒動も、戦争も、全く関係のない話と言えるのだろう。
この今回の記事にしても、「ロシアがウクライナの侵攻を開始した」というメディアの一連の情報(幻想)を受けて、
その上で私のムー的な視点で感想を書いているものだ。
もしも私がアトランティス寄りの思考をしていれば、
「支配者様は神様だ。世界を統一するための力を手に入れてください。私はあなたの忠実な奴隷。私の全てを差し出します」という人生を体験していたことだろう…。
いつも私が言うように、これは優劣ではなく、
核となるのは「あなたはどちらを体験したいですか?」というところに尽きる。
映画『マトリックス』で言うところの、
「青の錠剤と赤の錠剤、どちらを飲むか選んでください」…ということだ。
(どちらも飲まないという選択肢もあると思うが、それは宙ぶらりんの先送りであり、どうせまた再度選ぶタイミングが来るだけでは…と私は思っている)
ところで私が“賢い人”であるかどうかは読者の皆さんの想像(フィルター)に任せるとして、
ただ私自身は未熟ながらも「賢い人であろう」と努めているつもりだ。
<目を覚まして生きる>
そこで私が思うに、
知らずに生きるのではなく(箱庭の中で終わる)、
知った上で、どのように生きていくか(箱庭の外に出る選択肢を持つ)、
が大事になってくる。
むやみに「え、支配者っていう存在が地球のどこかにいるんですか? 怖いです!」
と条件反射的に恐れるのではなく、
『幽霊の正体見たり枯れ尾花』という言葉にあるように、
怖いものも、その先の本質の部分にフォーカスをして正体を知ってしまえば、闇の存在も怖くなくなる。
世界を裏で動かしている陰謀も、闇の組織も、私は存在すると思っている。
でもだからと言って怖がるのではなく、それは大した問題ではない、ということに氣づければいいのだ。
すると「悪魔のような支配者をゆるせない、倒そう!」どころか、
「悪役をやってくれてありがとう。結構ムカついたけど、まあ面白かったです」
「闇が浮き彫りにならなければ、私の“目覚めの種”は死んだままだったかもしれません」
「潜在意識のゴミ箱の中も綺麗に出来たし、支配者さんのおかげでスッキリ目が覚めました、ありがとう」
と思えるようになる。
要するに
「部屋の中が暗いなと思ったら、その暗闇が怖いということばかり考えるのではなく、灯りをつけて照らせば部屋は明るくなるんだよ」
と私は言いたいのだが、これも斎藤一人さんの言葉だ(笑)。
「あなたは冷たい人間ですね」と言われるかもしれないが、
争いたい人達というのは、争いの体験をしたい人達なのだ。
そんな彼らに、「争いをやめろ」と言うのは自由への介入である。
(提言をするのはいいと思うが、決めるのはあくまでも彼ら自身だ)
反対に、争いたくない人に「お前たちも争え」と巻き込んでくるのは、バリバリに自由への介入なので、
「愛のない権力者に、何で従わないといけないのですか?」
「イヤです」
「私はやりません」
という選択肢が広く与えられないのは、アンフェアにも程があるというものだ。
それは、呼吸(生命)を阻害する口布や、V接種にしても同じことだ。
イヤなものを、イヤと言う。
それは自分勝手なわがままなのではなく、生きる権利として、自分の意思をしっかり持っていることだ。
私が『ドラえもん』に出てくるのび太くんだとして、
不条理にもジャイアンに殴られそうになったら、「やめてください」と言うだろう。
「お前みたいなとろい奴がいるから、俺たちの社会にとって迷惑なんだよ」
「俺はお前のためを思って、叩き直してやろうとしてるんだぜ。礼を言いな」
などと言ってくる輩は、間違いなく怖れの思考に取りつかれたエネルギーバンパイアだ。
もしくは映画『マトリックス』のエージェント・スミス。
こんな輩がこの世に存在するとは思いたくないが、
でもまさにこれと近いようなことが、現代社会で行われている。
イヤなものをイヤと言わせない。強者に従わなければ罰則を与える。
…これが“暴力”でなければ、何だと言うのだろうか?
ヒトラーのことを悪者と言いながらも、自分たち自身がヒトラーのようになってしまっていることには氣づいていない。
ロシアなりプーチン氏なり、外側の人間を責める前に、
まずは自分たちの姿を“鏡”(投影)で見ていただきたい。
そして、「やめてください」と言って、
それでもジャイアンが殴ることをやめないのなら、彼と遊ぶのはもうやめることだ。
のび太くんを本当に愛してくれる人は他にいるのだから。
それと、ジャイアンを“力”でやっつけるのはオススメできない。それではいい氣になったのび太くんが後で痛い目に遭う、いつものパターンになってしまう。
それは、ジャイアンと同じ土俵…同じ次元の領域にあるからだ。
“力に対して、同じ土俵の力で対抗する”とは、そういうこと。
理想としては、胸の内を語り合い、お互いの意識をクリーンにし、ジャイアンと心から繋がった真の友になってしまう、という上級者向けの手法もある。
これができれば“無敵”だ。
そう、“無敵”とは、全てを屈服させる暴君のような力の持ち主を指すのではない。
多少キレイごとに聞こえるかもしれないが、
敵を作り出しているのは自分なのだから、自分の内側と真に向き合えれば、敵は勝手にいなくなる。
だってみんな『愛』なのだから… という視点に氣づいた人が“無敵”と言える。
私は合氣道を学んでいないのだが、
合氣道の最強の技は、“自分を殺しに来た人と仲良くなる”ことだと言う。
だから、「敵は倒すものだ」という長年の刷り込みからも、私たちはそろそろ卒業していい頃合いだ。
<愛の連鎖>
だから、争いたくない人達まで一緒に巻き込まれる必要はないということだ。
「社会のルールだから」と言って、国や組織のために、自分を犠牲にしてロボットになることもない。
「国のため」と語る彼ら支配層は、国(=民)を守っているのではない。
国とお金と民を、自分たちの所有物と勘違いしている、彼ら自身を守っているのだ。
「国のため」「組織のため」と尽くすほどに、ピラミッドの支配構造の維持・拡大を助長していることに氣づくといい。
一時の安心感と引き替えに、それに反比例するように、恐怖や苦痛も増していく仕組みなのだから。
恐怖・不安、無価値感・罪悪感など…
その重い波動に共振せず、自分が本当に体験したかった人生を歩むことだ。
それは何も難しいことではなく、
自分の好きなこと、やりたいこと、楽しいことを体験し、
あの世に還る時には「あー、楽しかった」と思える、その記憶を積み重ねていくことだ。
日々の何と言うことのない出来事や、自分の現実に存在する身の回りの人達、地球に溢れる生命たちに感謝をしながら。
「私は、世界で苦しんでいる人達のために何もしてあげることができない…」
などと無価値感・罪悪感を発動させる必要はない。
そのように落ち込んだり悩んだりするのは、この世界にその人一人分の重いエネルギーが広がってしまうので、オススメできない。
自分の近くに怒っている人がいると、何だか自分までイライラしてくる… そんな経験は誰にでもあるのではないか?
つまり、波動は共振するということだ。
その波動の仕組みを知っているから、支配者は今まで恐怖という兵器・病で世界中を争わせてきた。
逆に言えば、
自分が幸せに生きることは、必ず誰かの幸せに繋がり、
その愛のエネルギーは世界中へ伝播していく。
組織や国のための自己犠牲ではなく、自分個人の幸せを第一に考えて生きる。
それが世界の平和に繋がっていく、ということ。
(自分の幸せを追求すること… ここには落とし穴があり、
不足感や恐怖や無価値感などから発生した“それ”はエネルギーバンパイアにも繋がることが多々あり、
むしろ幸せを求めるほどに、幸せから遠ざかるというパラドックスがあるので、この点については前回の記事も合わせて読んでいただきたい)
誰かを幸せにしたいのなら、
まず自分自身の内側に、その光を灯すこと。
私の解釈になるが…、
それが私たち“ムー”の民の役割である。
今回はやや暗めの話になってしまいましたが…、
まず「部屋の中が暗い」という認識をしないと、「部屋を明るくしよう」という意識が目覚めないものです。
私は口下手な分、物書きの能力は多少あるようなので(笑)、
種まきを兼ねて、そのツールを活かしてみたというわけです。
最後までお読みいただきありがとうございました!
ではまた次回!
大智☯