カンボジアに来て少し気になっていたが、シェムリアップ内にハングル文字の看板があふれかえっていた。大きめのお土産やでは、看板にハングル文字ででかでかと文章が書いてある。一方で日本語の看板をほとんど見なかった。
ライいわく、それらの店は全部韓国人が経営しているものらしい。
韓国人がお土産屋を経営し、韓国人旅行者をツアーで連れてきてそこで金を使わせる。マーケットのものは危険だからと買わず、現地には一銭もお金が落ちていかないのだとか。
「韓国人は頭がいいよ。韓国人のお金は全部自分たちの国に戻っていく。」
皮肉交じりに彼はそう言っていた。
フォローを入れておくとシェムリアップ郊外に韓国の共支援で建設された道路を六日目に見かけたので、韓国もカンボジアに支援を行っていると考えられる。しかし上記のようなこともあってか、いまいち現地の人からは支持を得られていないようだ。
・春の旅・六日目(カンボジア・シェムリアップ)
前日よりもすこし遅く起きる(7時)
KとYと宿のテラスで待ち合わせて、朝ごはんを食べた後、レンタルサイクルへ向かう。
1台1ドル。デポジット無し。日本人はやはり信用されているんだろうか。自転車は世田谷から輸入した中古品だった。
地雷博物館を目指してアンコールの方角へ自転車をこいでいったところ、チケットの検問に引っかかる。アンコール周辺を通るには必ずチケットが必要なようだ。
地雷博物館を目指しているんだと言っても聞いてくれず、あきらめて迂回ルートを探すことに。
一旦シェムリアップの街中へ戻り、東へ自転車を走らせる。途中アンコールワットの東側へ向かう大きな道を見つけ、ひたすら北へ向かう。
途中ちょっとした休憩所を中継。前回の日記で触れたガソリンが販売されていたので、それについて彼女たちに教えたり、水を飲んだりして休憩時間をとり、さらに北を目指した。
だが、道の終わりのT字路でまた検問に引っかかる。チケなしの場合、クメール人のガイド付きでなければ通過させてもらえないい言われてしまった。自転車で行くより、トゥクトゥクの方がいいよとまで言われる始末。
かなりへこみそうになったが、また休憩所まで引き返す。
しかし、休憩地点で周りをよく見渡してみると、舗装されている道路に直角に交わる(東西方向に伸びる)未舗装の道路があることに気がつく。
手持ちの地図で確認すると、そのポイントと思われる場所から、未舗装の道をひたすら東に行くと、東バライ経由で博物館へ向かう道にぶつかることが判明した。
未舗装の道を行くということは、地雷の危険性も多少はあると考えられる。しかし、シェムリアップ近郊ならおそらく大丈夫だと判断し、未舗装の道を行くことにする。
未舗装ではあったが、周辺に多くの集落があったため使用頻度はわりと高めの道路らしく、整備もきっちりしていたため、思ったより走りやすかった。
走っている途中、子どもたちに「ハロー!」と挨拶される。嬉しくてつい、「チョムリアップスオ!」と返す。
3,4kmほど進んだところでまた、北へ延びる舗装された道路にぶつかる。この道に乗ろうということになり、北の地雷博物館を目指す。
やっぱ舗装されてるとこのほうが走りやすい。途中で地雷博物館まで~kmという看板を見つけ、ここの道をひたすら北上することにする。
東バライ内にある町で休憩。
バナナの揚げ物。Kはモンキーバナナを買って食していた。モンキーバナナはその日の非常食として役に立つ。
3人で固まっていると、警察官が近寄ってきた。例のごとく、チケットを見せろというのだ。今まで通ってきた道はバンテアイ・スレイというアンコールの遺跡に通じる道でもあり、ここの町は旅行者の中継地にもなりえる場所だったのだ。そして、ここは東バライの町で一応遺跡の敷地内であるため、建前上チケットがなければ入れないことになっているのだ。アンコールの遺跡目当てではなく、アキラーの博物館へ行くというと、かなり驚かれたが、警官もなかなか引き下がらなった。しかし、ここでKがどうにか説得して、その場をしのぐことができた。
そうしているうちに今度は、トゥクトゥクの運ちゃんたちが群がってきた。「博物館は遠いよ!連れてってあげる!」と言ってきたが、ここでもKが「I want to challenge!」と言って運ちゃんたちを追い払った。
この子...できる...!
この町を離れ、およそ30km程北上していった。
道中、道のそばにある集落にいる人々にあいさつをしながら進んでいった。自分たちが挨拶をすると快く挨拶を返してくれるのだ。
クメール人は初対面の人に対して険しい顔つきをするが、こちらが挨拶をすると、急に笑顔になって挨拶を返してくれる。今までカンボジアにはまる日本人を何人か見てきたが、この国にはまる理由もわかる。カンボジアはけして裕福ではないが、人々の心は日本人以上に豊かだと感じた。
13時頃、紆余曲折あったが、ようやく地雷博物館へ到着。お昼時なので食事をとることに。
昼食はフライドライスを食した。ここでココナッツを初めて飲む。味はちょっと薄い。
カンボジアにはいまだに内戦時に埋められた地雷が多く埋められている。この博物館のアキラー氏は地雷撤去を行う団体のリーダーで、現在も地雷撤去のためにカンボジア中を飛び回っている。ちなみに、アキラーという名前はJICAの日本人からもらった名前だそう。
カンボジアの地雷問題は現在まで続いている問題であり、カンボジアに来たからには見るべきだと感じたため、この旅で訪れることを決めた。
博物館には今まで撤去してきた多くの地雷、兵器、そして地雷によって手足を失った人たちの写真、資料が展示されている。内戦以降、子どもたちが偶然見つけた地雷で遊んでいて、爆発してしまい、手足を失ってしまうことが多く発生したらしい。そこにはそういった子どもたちの書いた絵も多く展示されていた。地雷によって子どもたちの手足がなくなり、大人たちにだかれ、血まみれになって泣いてる場面を描いた絵を見たとき、今まで見てきた写真以上の悲しさ、おぞましさを感じた。
同行した彼女たちも、黙ってその展示物を見ていた。それらを見て感じたことをシェアしなかったことを今更ながら悔やむ。
売店も併設してあったため、そこで売っていた野老康宏氏の「生と死と地雷と」を購入。売上は手足がない子どもや親のいない子どものためにつかわれるという。現に博物館の横には孤児院が併設されていた。
1時間ほど過ごしたあと、あとはひたすら自転車をこいで帰るだけとなった。
帰りは未舗装の道ではなく、さらに南下して国道と交わるところを西に向かい、シェムリアップへ帰ることにした。
途中、ゴミの多く不法投棄されている場所を見て現実を見た気になりながら、ひたすら南下していった。
行きで通った未舗装の道を過ぎたところにあったカンボジアの小学校付近でもいったん休憩。子どもたちの声が聞こえた。
帰りは舗装されている道だったためか、とても早く町へつき、街中のガソリンスタンドでアイス食べたりしながら帰った。ガソリンスタンドはわりとなんでも揃ってるので旅行者もよく寄るのだとか。
そして5時半ごろ自転車をレンタサイクル屋へ返し、宿へ帰る。
6時半に昨日一緒に飲んでいた一人旅の男の大学生(A)と待ち合わせしてるため、それまで解散ということになった。
眠かったので、一時間ほど寝てもよかったのだが、今日しかカンボジアにいられないということで、体に鞭打って、宿にある唯一の自転車を借りてキリング・フィールドを目指すことにした。
キリング・フィールドはクメール・シュシュの革命時に多くの人が連れてこられて、殺された場所だ。当時は自分のスプーンを亡くしたなどのささいなことで投獄され、すぐ死刑になったという。ここには収容所や、殺された人々の骨が山積みになって展示されている。さすがに写真を撮る気になれなかった。
ここには寺院がいくつか併設されている。そこにいる僧侶たちはおだやかな顔で祈りをささげていた。写真にある建物のなかには大きな仏が奉納されている。その前で、今後の旅の安全と犠牲者の安眠を祈り、キリング・フィールドを後にした。
A、K、Y、そして宿の管理人さん(日本語喋れる)と待ち合わせ、パブ・ストリートへ向かう。
お店でビールを飲み、ワニ肉、カエル肉、ヘビ肉、羊肉などなどの焼き肉を食した。シェムリアップ内にワニ園があるのは知ってたが、まさか食べられるとは。カエル肉が一番おいしかった。
この旅の話だけでなく、恋人などのプライベートな話を打ち解けて話していたが、一方自分は途中からアルコールにやられて若干意識盲ろうになった。2件回ったけど、2件目ではもはや寝てた。迷惑かけてほんと申し訳ない。
宿に戻り、ビリヤードをして遊んでいたが、先に就寝させてもらった。
シャワーを浴び荷物をまとめる。明日はおよそ10年ぶりのタイだ。小学生のころに訪ねたタイではノロにやられたが、今度こそタイを楽しむぞ。
六日目終