こんにちは!今日も中国語を翻訳しているささえつです。
語彙力が乏しいなぁとよく感じるのです。
テレビや本で出合った素敵な日本語はどこかにメモしておいて、
少しでも海馬に入れこんでいきたいなあと思うので、なるべくメモを取るようにしたいと思います。
手書きの方が記憶力が上がるので手で書きたい。
さて、ここ10年ぐらい、若い人は「ムリムリムリ!」って否定語を使うことがおおいですよね。
私その世代じゃないので、「ムリムリムリ!」って言葉が口に出てきません。
80後(80年代生まれ)の私にとってみれば、
誰かからの依頼を、特に、親や上司や同僚からの依頼を、
「完全否定」で逃げるというノウハウはありません。
もちろん、依頼が断れないわけではない。
でも、ちゃんと、オブラートで包むというか、
大義名分をつけて断るというか、そういう方法です。
でも、今の子供たちは、「え、マジ、無理だから!」って言いますよね。
そして、ムリという表現が、もはや否定の意味ではなく、「嫌悪感」を表す表現に昇格されているのには、
あぁ、私ついていけない表現、と思ってしまうんです。
A「●●君さ、あんな威張っといてさ、家に帰ると『ママ』とか言って一緒にお風呂入るらしいよ」
B「えーマジムリなんだけど」
このBの表現、私たちの世代は「マジキモイ」だったんですが、
今の子は多分、「ムリ」って言うんですよね。
もう「ムリ」って言われたら、完全に人間関係シャットアウトされた感が漂いますよえ。
「キモイ」はまだ、個人の好みの問題であり、人間として認められてる感がありますけど、「ムリ」だと存在そのものの否定となります。
この「ムリ」っていう表現、訳文で出てきたとき、私自然に使いこなせるのかしら??とよく思うのです。
パッと脳から顔を出してこないかもしれない。それだけ年をとったということでしょうか。
その他にも、「あざとい」っていう言葉も、ここ数年流行ってますが、
「あざとい」も80年代生まれの私たちにしてみれば、
「ぶりっこ」とか「小悪魔的」という言葉で使われることが多かった気がします。
ぶりっこにも小悪魔にもその意味にかすかな「愛情」や「可愛げ」を感じ取ることができますが、
「あざとい」っていうのは、可愛げではなく、狡さ・蛇のような聡明さ、を感じさせますね。
この、可愛げ→狡さ への変化にはどんな社会的な意味があるのでしょうか??
前述の「ムリ」もそうだけど、やはり対人関係がかなりフラットになってきているのかと感じます。
フラットになってきているから、軽々しく「ムリ!」って拒否できるのではないか。
立場の弱い女性が、媚を売ることを「可愛い」とみなしてきた社会が、
女性の社会進出が進むにつれ、男性と同等に歩めるようになったのにもかかわらず、
女性の媚びを使って、優位な男性に取り入ろうとする女性には、
「ずる賢さ」を感じずにはいられなくなってきたのかもしれません。
そもそも、「可愛い」は「可哀そう」と同義だったという話を聞いたことがあります。
弱いものを大切にするという意味が、「可愛い」と言われるのであって、
そもそも弱くないのに、「弱弱しく、可愛げのある様子をふるまう」ことには、狡さを感じるんですね。
まぁ、もうおばさんの私には、あざとさも可愛さももう関係なし。ムリムリムリ。