こんばんは
私が看護師2年目のときのことです。
最初に勤めた大学病院の
人間関係、
残業の多さ、
激務
に疲れてしまい、
1年半で退職することが決まっていました。
退職交渉はかなり苦労し、
それでも、何とか退職する日も決まり、
次の職場も決まっていました。
退職が決まったことで、
冷たくなる師長さん、先輩たち・・・
早く辞めたい、
もう休んでしまいたい
と、思いながら、残りの時間を過ごしていました。
そんなときに、
一人の患者さん、Aさんを受け持ちました。
その人が入院してきたとき、
独特のイントネーション、
変な語尾に
もしかして?
と思って、聞きました。
どちらのご出身ですか?
Aさんは答えました。
独特のイントネーションで。
どこやと思う?
どげんかせんといかん!!
と。
あ、宮崎だ。
もしかして、宮崎ですか?
私も宮崎なんです。
うれしくて、うれしくて、
そのときは二人で盛り上がったのを覚えています。
Aさんは、
手術目的での入院でした。
受け持ちの患者さんは毎日変わります。
それでも、たまたま手術の日も私の担当でした。
とても我慢強い方で、
手術後も順調に回復していきました。
ちょうど、Aさんの入院と重なって、
夏の甲子園が開催されていました。
その甲子園には、
私の母校が宮崎県代表として
出場していました。
そのことを、Aさんに話すと、
とても喜んでくれて、一緒に応援してくれました。
私の母校は、
宮崎では有名な野球の強い高校で、
私が在学中も、2度、甲子園に出場し、
私も応援に行ったことがあります。
私が応援に行ったときは2回とも
1回戦負けでした。
でも、その夏は、
順調に勝ち上がり、
なんと準優勝したんです。
準々決勝、
準決勝、
決勝、
と試合が進むのと同時に、
Aさんもどんどん回復していきます。
元気になればなるほど、
応援にも力を入れてくれて、
同室の患者さんたちにも、
看護師さんの母校である宮崎の高校が
今日試合だ、
準決勝だ、決勝だ、
と宣伝してくれていました。
そうすると、
覚えていてくれる患者さんが、
廊下ですれ違うときに、
今日試合だね、
応援するね!
と言ってくれるようになりました。
決勝の日、
Aさんは元気になり、
退院の日も決まっていました。
私は、ナースステーション前で、
師長さんに冷たく接されていました。
何を言われていたか、今は思い出せませんが、
とても暗い顔をしていました。
その時です。
たまたま通りかかった患者さんが、
〇〇さん!今日決勝だね、
応援するからね~
と声をかけてくれました。
ありがとうございます
と、私は精一杯の笑顔で答えました。
その後も師長さんの話は続きます。
私はまた暗い顔になっていきました。
そうすると、
今度はAさんが通りかかり、
〇〇さん!今日決勝やね!応援せんといかんね!〇〇さんは仕事やから、結果は教えるからね!
と声をかけてくれました。
私は、師長さんに冷たくされていたのと重なり、
うれしくて、
涙がでそうになったのを覚えています。
そうすると、師長さんも、
驚いたように、
みんな応援してるんだね
と言いました。
と、同時に、
まだ2年目の私が、
患者さんのほうから声をかけてもらい、
名前も覚えてもらっている
ということに、驚いている様子でした。
あの時のことは、
今でも思い出すと、
涙がでます。
とても辛かったのと、嬉しかったのと。
患者さんに救われた瞬間でした。
Aさんの退院の日、
その日も、たまたま私の担当でした。
退院するときAさんからかけてもらった言葉、
今でもはっきり覚えています。
〇〇さんありがとう。
とても楽しい入院生活やったよ。
入院するまでは、手術が不安やったけど、
〇〇さんのおかげでこんなに楽しく過ごせるなんて。
次は膝の手術があるから、それが終わったら、
また、〇〇さんに会いにくるからね。
と。
私は、また涙をこらえていました。
その当時は、辞めるまでの期間が辛すぎて、
精神的にとても落ち込んでいるときだったので、
ちょっとした嬉しい言葉が、とても心に響いて、
嬉しかったんです。
ありがとうございます。
でも、病気になって、入院で会いにこないでくださいね。
と、私も答えました。
でも、私はこの病院を辞めます。
もし、会いにきてくれても、
私は、もういません。
そう思ったとき、
少しだけ、
この病院を辞めることを辞めようか、
もう少しがんばろうか
と、思いました。
結局辞めましたけど。
今でも思い出す、
とても嬉しかった出来事です。
よかったらこちらも見ていってください
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最初に勤めた大学病院の
人間関係、
残業の多さ、
激務
に疲れてしまい、
1年半で退職することが決まっていました。
退職交渉はかなり苦労し、
それでも、何とか退職する日も決まり、
次の職場も決まっていました。
退職が決まったことで、
冷たくなる師長さん、先輩たち・・・
早く辞めたい、
もう休んでしまいたい
と、思いながら、残りの時間を過ごしていました。
そんなときに、
一人の患者さん、Aさんを受け持ちました。
その人が入院してきたとき、
独特のイントネーション、
変な語尾に
もしかして?
と思って、聞きました。
どちらのご出身ですか?
Aさんは答えました。
独特のイントネーションで。
どこやと思う?
どげんかせんといかん!!
と。
あ、宮崎だ。
もしかして、宮崎ですか?
私も宮崎なんです。
うれしくて、うれしくて、
そのときは二人で盛り上がったのを覚えています。
Aさんは、
手術目的での入院でした。
受け持ちの患者さんは毎日変わります。
それでも、たまたま手術の日も私の担当でした。
とても我慢強い方で、
手術後も順調に回復していきました。
ちょうど、Aさんの入院と重なって、
夏の甲子園が開催されていました。
その甲子園には、
私の母校が宮崎県代表として
出場していました。
そのことを、Aさんに話すと、
とても喜んでくれて、一緒に応援してくれました。
私の母校は、
宮崎では有名な野球の強い高校で、
私が在学中も、2度、甲子園に出場し、
私も応援に行ったことがあります。
私が応援に行ったときは2回とも
1回戦負けでした。
でも、その夏は、
順調に勝ち上がり、
なんと準優勝したんです。
準々決勝、
準決勝、
決勝、
と試合が進むのと同時に、
Aさんもどんどん回復していきます。
元気になればなるほど、
応援にも力を入れてくれて、
同室の患者さんたちにも、
看護師さんの母校である宮崎の高校が
今日試合だ、
準決勝だ、決勝だ、
と宣伝してくれていました。
そうすると、
覚えていてくれる患者さんが、
廊下ですれ違うときに、
今日試合だね、
応援するね!
と言ってくれるようになりました。
決勝の日、
Aさんは元気になり、
退院の日も決まっていました。
私は、ナースステーション前で、
師長さんに冷たく接されていました。
何を言われていたか、今は思い出せませんが、
とても暗い顔をしていました。
その時です。
たまたま通りかかった患者さんが、
〇〇さん!今日決勝だね、
応援するからね~
と声をかけてくれました。
ありがとうございます
と、私は精一杯の笑顔で答えました。
その後も師長さんの話は続きます。
私はまた暗い顔になっていきました。
そうすると、
今度はAさんが通りかかり、
〇〇さん!今日決勝やね!応援せんといかんね!〇〇さんは仕事やから、結果は教えるからね!
と声をかけてくれました。
私は、師長さんに冷たくされていたのと重なり、
うれしくて、
涙がでそうになったのを覚えています。
そうすると、師長さんも、
驚いたように、
みんな応援してるんだね
と言いました。
と、同時に、
まだ2年目の私が、
患者さんのほうから声をかけてもらい、
名前も覚えてもらっている
ということに、驚いている様子でした。
あの時のことは、
今でも思い出すと、
涙がでます。
とても辛かったのと、嬉しかったのと。
患者さんに救われた瞬間でした。
Aさんの退院の日、
その日も、たまたま私の担当でした。
退院するときAさんからかけてもらった言葉、
今でもはっきり覚えています。
〇〇さんありがとう。
とても楽しい入院生活やったよ。
入院するまでは、手術が不安やったけど、
〇〇さんのおかげでこんなに楽しく過ごせるなんて。
次は膝の手術があるから、それが終わったら、
また、〇〇さんに会いにくるからね。
と。
私は、また涙をこらえていました。
その当時は、辞めるまでの期間が辛すぎて、
精神的にとても落ち込んでいるときだったので、
ちょっとした嬉しい言葉が、とても心に響いて、
嬉しかったんです。
ありがとうございます。
でも、病気になって、入院で会いにこないでくださいね。
と、私も答えました。
でも、私はこの病院を辞めます。
もし、会いにきてくれても、
私は、もういません。
そう思ったとき、
少しだけ、
この病院を辞めることを辞めようか、
もう少しがんばろうか
と、思いました。
結局辞めましたけど。
今でも思い出す、
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