最初に言っておこう。

この著者が主張しているが、

よく聞く都市伝説の一つ、死体洗いの高額バイトは真っ赤なウソである。


少々前にブームになった「都市伝説」。
ハマった人も多いのではないだろうか。
その、時にホラーチックで、時に悪趣味で、

時に残酷な都市伝説には、我々の興味をそそる独特の魅力がある。
それは言わば、この殺伐とした日常生活にもたらされる

一服の清涼剤のようなものではないだろうか。

そんな都市伝説のほとんど全てが実は作り話であることを

説得ある語り口で説いてくれるのがこの『都市伝説の正体』だ。


都市伝説が持つ魅力は、僕が好きな実話怪談と共通のものがある気がする。
それは現実と虚構の間の世界が見え隠れするということ。

都市伝説や実話怪談はその間の微妙なファンタジーで我々を楽しませてくれる。

おそらく都市伝説も、怪談と同じように、

多くの人は疑いを持って聞いていると思う。
なのにそれが完全なフィクションであると割り切れないのは、
「友達の友達から聞いた話なんだけど」という前置きがあるからだ。
さらに「実は僕の友達の話なんだけど」となると信憑性は一気に増す。

でもその前置き自体がおそらく完全なフィクションであり、

この友達を介することによって得られる信憑性は、

実話怪談を語る際にも必要なものなのだ。

かくして僕自身も怖い話をするときには、

「僕の知り合いの話なんだけど」と前置きすることにしている

(本当は稲川淳二がしてた話だったりするにもかかわらず・笑)。


この本の中でも都市伝説と怪談に共通する要素は多くあると言われている。
なぜこんなにも人は都市伝説に騙されながらも

都市伝説を捨てきれないのだろうか?

僕が一つ提唱したいのは、ウソ検知器磨きのためではないかという説だ。


人間は社会的動物である。
そしてその中でうまく生き残っていくためには、
人付き合いをうまくやり、敵を作らず、味方を多く作っていかなければならない。
そこでコミュニケーション能力が大きくものをいう。

人との接触の中で、相手は自分を騙そうとするかもしれないし、

自分が相手を騙すことが必要な時もあるかもしれない。
そんな時必要となってくるのが、

相手の話が本当か嘘かを見破る「ウソ検知器」である。
人間社会の中でうまく生き残るためには「ウソ検知器」が必要なのだ。


ある都市伝説が事実なのか虚構なのかを見定める能力、
あるいはある虚構を他人に信じ込ませる能力、
それはいずれもこの社会で生きていくのに必要な能力なのだ。


都市伝説にはそういう能力を磨くための

トレーニングという側面があるのではないだろうか。