毎年恒例のサマソニに行ってきた。


人気低下とか言われながらも人が多い。


良かったのはやっぱThe Offspringかな。

知ってる曲はやはりテンション上がる。

一緒にガンガン歌わなきゃ楽しくないもんね。


一番の目当てだったNickelbackは

もうちょい予習しとけばよかった。

予習不足でそれほど楽しめなかったのは残念。


でも正直40オーバーでサマソニ行くのもどうなんだろ?


屋内のソニックステージで親子連れを見かけた。

子供がまだ1歳くらいで若い夫婦。

ほほえましかった。

正直ライブなんてどうでもいいって感じで、

ご夫婦ともお子さんとずっと遊んであげていた。


安定していていいなあと思った。

人って、一定の年齢に達するとあんな風に生きるべきなんだろうな。


てなことを考えながら少しばかり自分の生き方を反省した次第です。


そういや、ロックな生き方やパンクな生き方ってのは

僕たちの世代を大きく左右したところがあって、

カート・コバーンやシド・ヴィシャスのように死にたいっていう

今から考えるとある種のイデオロギーみたいなものが

僕らの世代のロックファンの心には巣食ってる気がする。


でも今の若者の世代にはそんな価値観は毛頭見られない。


僕たちの世代の人間はそういう若者を批判するけれども、

そもそもイデオロギーに汚染されていたのは自分たちかもしれない。


だって、あんな風に破滅的な生き方が美しいなんて、

一体誰が決めたんだろうって疑問を感じるし、

生物学的にはどう考えても破たんした考えだからだ。


それよりも自分の欲望に正直になる若者の方がより現実的だ。

彼らの金や異性に向かっていく直線的思考は極めて効率的。


生き方に美学なんて必要ないのだろうか?

なのに僕なんかは必死にその美学みたいなものにしがみついて、

ストレスフルな毎日でおかしくなりそうな頭をクールダウンさせている。


小説、映画、音楽、ゲームの中で語られる生き方の美学の数々。

それらは僕たちを惑わす麻薬のようなものなのか、

それとも生きていくうえで必要不可欠な生きる知恵なのか?


答えは、それらにはおそらく両方の面があるのだろう。

時に美学は僕たちを救ってくれることもある。

でも逆に、僕たちをある種の価値観で縛ってしまうこともある。


その危険性に僕たちは気づくべきなのだ。


ある生き方を選ぶということは、

それ以外の生き方を排除するということだ。


ある美学を信奉するということは、

それ以外の価値を認めないということ。


僕は自分に植え付けられた美学を長い間疑いすらしなかった。

それが余りにも自然に僕の体の一部になっていたから。


これからは一切の美学を脱ぎ捨てようと思う。

その後に一体何が残るのか、何も残らないのか、

見極めていこうと思う。


最後に一つ。

あらゆる人間は美学を持っていると思う。

それは、ロックなものでなくても、パンクなものでないかもしれない。

ひたすら本能的な快楽に従うというのも一つの価値観だ。

意識的に美学なり価値観を求めない人もきっと、

ある種の価値観に身をゆだねているはずなのだ