この小説をどう評価していいのかいまだに分からない。


この小説に良いところがないとは思わない。

描写がとても詩的で美しい(特に直子をめぐる描写:オープニングが特に素晴らしい)。

それに人物がとても生き生きと描かれている(特に加藤緑)。


だが、全体的に見たとき、納得できないことだらけだ。

何と言ってもエンディングの、主人公とレイコさんのXXXシーンだ。

これいる?

しかもそういう流れになる必然性が全くない。


小説にはルールがある。

人間を描く以上、少なくとも人間性を反映した物語でなければならない。

なのにこのエンディングのシーンに至る流れはそれに反している。


なぜそのルールに違反してはいけないのかというと。


我々は小説の登場人物の持つ感情や考えを理解しようと努めるが

もしその人物が人間性を持っていないと、その人間が持つ

感情や考えを予想することも理解することもできないからだ。


つまりそういう小説には読者は感情移入できないどころか、

理解することさえ出来なくなる。


例えば、とある小説の中で石ころが描かれていたとする。

読者は別に「あの石ころはどんな気分なんだろう」とか考えない。

なぜなら石ころはものを考えもしないし感じもしないからである。


でもとある小説の中で人間が描かれていたとする。

読者その人間がものを考えたり感じたりするものだと考える。

なぜなら人間は人間性を持っているからである。

当然読者はその登場人物が何を感じ考えているかを推測する際、

その登場人物が人間性を持っていることを前提に推測する。


さて、その登場人物が人間性に反したような行動をとるとしよう。

そうなると、読者はただただ混乱し、理解不能状態に陥る。

先程の例で言うと、石ころだと思っていたものが人間であったり、

人間だと思っていたものが石ころだったりするわけだ。


主人公とレイコさんのXXXシーンに至る流れに

人間性を感じることができるだろうか?

もっと分かりやすく言うと、あの一連の流れは現実に起こりうるだろうか?

僕から言わせればノーである。


あのエンディングを読んだ後しばらく寝付けなかった。

これほど奇妙な読後感をこれまで感じたことはなかった。

その気持ち悪さは一体何だろうかとずいぶん考えたのだが、

その答えが以上である。

この小説はルール違反小説なのだ。


この小説に高い評価をする人は何を評価しているのだろう?

だれか分かる人、この小説をどう解釈すればいいのかを教えてほしい。