広島原爆投下の日 | 我こそは海賊

広島原爆投下の日

本日は80年前に広島にウラン型原子爆弾(リトルボーイ)が投下された日です。

9万人以上の人が一瞬にして灰塵と化し、延べ16万人の人が亡くなりました。

 

これら街を一つ壊滅させる驚異的な爆弾の投下について軍内部でも「一般人を巻き込むべきではない」という穏健派と「日本にここで大打撃を与えるべきだ、これは戦争なんだ」という強硬派との間で激しく議論されたそうです。

結果的に強硬派の意見が通り投下となったわけですが、民間人をここまで無残に殺害し、街を一つ壊滅するほどの破壊をもたらす行為は他国でも類はなく、今でも当時の米国軍人達は「悪いことをしたと思ってはいない。我々はあれによって早く戦争を終わらせただけ」と口をそろえて主張しています。

 

確かにそうかもしれませんが、この後の長崎への投下や東京大空襲を考えると無差別に民間人をも殺害し、戦意を削ぐ作戦そして実験台としての一つの舞台として利用されたのが現実です。

この投下によって多くのデータが集められ、その破壊規模のすさまじさを知ると同時に更なる核兵器開発=水素爆弾や劣化ウラン弾といったものの開発へと進んでいくことになります。

 

また、そのデータ収取においても実に酷い話で投下後に米軍はその情報収集のために多くの軍人を広島に派遣しましたが、放射能については全く彼らには知らされておりませんでした。

結果、派遣された米国軍人も強い残量放射能によって被爆してしまい、次々とその後遺症に悩まされ倒れて行きました。

どうも米国においては映画でもそうなのですけど放射能という概念はあまりなく、核兵器の破壊力もあまり認識されていない感じが致します。

 

米ソ冷戦時代においては両国合わせて地球を8回破壊してもまだ余ると言われるほどの核兵器を保有し、ずっと睨み合ってきました。

そうした中で核兵器は単に強いもの、全てを浄化するメギドの火として見られてきた傾向があり、それが今なお美化された形で残っているのではないかと思います。

 

ビキニという水着は有名ですが、あれはビキニ諸島で水爆実験をし成功したことを記念して米国のデザイナーが作ったものでそこに名前が由来しています。

本人たちはお祭り騒ぎですが、ご存知の通り当時、その場で操業していたマグロ漁船「第五福龍丸」の乗員が被ばくし世界時に大変な事件となりました。

(余談ですが、私はこの第五福竜丸が現在展示されている施設の仕事にも関わっております)

当然、被爆した乗組員たちは次々と体調に異変を起こし倒れて行きました。

この感覚の差が米国と日本の核兵器に対する見解の相違なのではと思います。

 

そしてこれまで本土を攻撃されて無関係な民間人を大勢失った事のなかった米国ですが、2000年9月11日に発生したテロリストによる同時多発テロで初めて本土攻撃、そして無関係な多くの民間人が巻き込まれたこと、更にその時の映像を見たイスラム圏の人達が大歓声で大喜びをしていた姿を見て少しは自分たちがかつて80年前にやっていたことと同じと感じてくれたかと思います。

そして皮肉なことにこうした「自爆テロ」をイスラム圏のテロリストたちは「カミカゼ」と呼んでおり、日本の神風特攻隊を模しているとのことで、実に複雑な心境です。

 

こうした事を踏まえて唯一の被爆国である我々日本人は同じ悲劇を繰り返してはいけない、核兵器は使用してはならないと強く誓う一方で、我が国の周囲には核兵器をちらつかせ、無断で領海や領空侵犯を平然としてくる国家や他国の人間を拉致したり国民が飢えているのにミサイルを作って打ちまくっている国家、隣国に武力侵攻し、侵略行為を正当化している国家に囲まれています。

いずれも狂った独裁者の権威国家で相手が弱いと見るとすぐに威圧行為や侵略行為をしてきます。

権威国家とはそういうものです。話し合って「あっそうですね、わかりました」という国々ではありません。

そうした狂国家に対しては使う使わないは別としてもやはり自衛手段としての核保有は致し方ないと思います。

相手も核を持っていると迂闊には手を出してこない、こうしたデタントが残念ながら今は必要な時代となってしまいました。

 

時代が変わり、核兵器への認識や戦争への認識も薄れ変わってきてしまいました。

以前ではこの時期になると戦争の悲惨さを訴えるドラマや映画をよく放送していましたが、今は殆ど無いですね。

広島原爆投下のドラマで松たか子が主演していたものが最後だったような気がします。

 

はだしのゲンや火垂るの墓なども下らないコンプライアンスを理由に放送しなくなりましたしね。

風が吹く時なども子供の時に観た時はつまらないでしたけど、今は観たい映画の一つですし。

くだらないバラエティではなくて、こういう時期にはこういったものを放送すべきですし、それをもって風化させないという

気持ちを養っていくべきです。

 

いずれにしても80年前の今日は人の手によって作られた「死の太陽」により多くの命が奪われた日です。

亡くなられた大勢の方たちのご冥福を改めて祈ります。