たかちゃん・・・
本日、悲しいことがありました。
西田敏行さんが逝去されたこともそうですが、私がこの仕事を始める前に一緒に近場ではありましたがいつもサーキットに行っていた、たかちゃんという人おりました。
その方が8年前に亡くなっていたことを知りました。
石巻の方でよく一緒に菅生や仙台ハイランド、茂木に行っていたのですが彼の方が5-6歳年上でしたがとても仲良くしてくれて写真は素人でしたので我流の私をリスペクトしてくれていて。
よく東京の撮影会に行っていて、当時私はよくお気に入りの女の子には額縁入りのW4ツ(B4)に引き延ばした写真をあげていたのですが彼も同じことをしたいのでと私に撮影してきた写真の中から良いのを選んで欲しいと頼まれ、よく選別してあげていました。
それに毎日電話をくれて、お互いにくだらない話をしていました。
夜中も何時間も電話で話をしていて、突然返事をしなくなったかと思ったら電話口の向こうでいびきが聞こえてきて・・・なんてことがしょっちゅうありました(笑)。
それでもそれは楽しい時間でした。
ネットゲームがはやり始めたころで、お互いに同じネットゲーム内で会ってみたりなんてこともありました。
そんな毎日でしたが、あの東日本大震災で一時期、音信不通になり安否が心配されていましたが、数日後に電話が繋がり生存が確認できた時は本当に安心しました。
話によると職場から家に向かうも途中で足止めを食らい、仕方なく避難所に向かったとのことで家は津波で流されてしまったものの母親は別の人達と避難所に逃げていたため助かって、合流できたとのこと。
その後、連絡をしましたら仮設住宅に入ったものの壁一枚で隣人の話し声や自分たちの話し声が筒抜けだと言ってストレスを抱えていました。
それからしばらく何度か電話をしたものの繋がらず、本日本当に久しぶりに自宅電話番号が残っていたので電話をしましたら母親が出て「もう八年も前にあの世に行ったよ」と聞かされ絶句。
風邪を引いてそこからやたら咳き込むようになり、再度医者に行くことを勧めていたらしいのですが本人は「通院しているから大丈夫だ」と言って、新しい家が出来て引っ越して間もなく亡くなったとのことでした。
元々ヘビースモーカーでいつも「胸が痛い」と言っていました。
当時、医者から心筋梗塞になりかけているのでタバコは止めないとダメだと言われていたらしいですが、「別に死んでも構わねーんだ」なんていつも私に言っていました。
きっとそれも原因の一つだったのではと思います。
8年も過ぎているとはいえ、本当にショックでした。
まさか亡くなっているとは思ってもいなかったので。。。。
中村さん、高橋さん、じゃじゃまるさん、田中社長、そしてたかちゃん・・・みんな仲の良かったそしてお世話になった人たちが次々と若くして亡くなってしまって。
何故私を置いてみんな逝ってしまうのか?
私は深い悲しみを一人で背負い続けなければいけないのか?
ただでさえ心身ともに疲弊しきっている今の状態でしたのに更に追い打ちをかけられてしまいました。
ただ、彼は高橋さんや中村さんとは交流はありましたし、じゃじゃまるさんとも面識があったはずなのできっとあの世で楽しく話をしていると思います。
私もいつ会えるかは分かりませんし、みんな待っているかとは思いますが、もう少し待っていてくれたらて思っています。
彼の母親には私の分までご焼香してあげてくださいとお願いしておきました。
たかちゃん、8年間も申し訳ありませんでした。
安らかにお眠りください。
心よりご冥福をお祈りいたしします。