本日は・・・もう3年になるのですね。。。 | 我こそは海賊

本日は・・・もう3年になるのですね。。。

お昼はたわけた内容の更新をいたしましたが、本日はT橋さんこと高橋徹さんの三回忌でした。

もうお別れして3年になるのですね・・・早いものです。

 

年は前後するものの1月には長いお付き合いだったじゃじゃまるさんが、7月には田中社長が、そして今月は高橋さんが立て続けに亡くなりました。

 

いつも一緒に行動し、撮影会にも来てくれていたので本当にあまりにも突然のお別れで今なお実感がありません。

 

私が一番最初に都内の撮影会に出てきたのがもう20年以上前になりますが、その時に必ずと言っていいほど撮影会に来ている人がいて、周囲の人たちの話ですとその人はどの撮影会に行ってもいるし、サーキットでも見ないことは無いと聞かされました。

そして毎回色々なカメラを持ってきてはモデルや周囲の人達とよく話をしている独特のしゃくれ声のその人こそが高橋さんでした。

 

本当に毎回見かける人だな、色々なカメラを持っている人だなって思っていましたが後々にその人の最期までお付き合いをするとはその当時は思ってもおらず、縁とは不思議なものです。

 

彼とは色々な話があってサーキットにカメラのボティだけ持ってきてレンズを忘れたり(突然電話がかかってきてもしレンズを余計に持ってたら貸してくださいって話でした。偶然にもいつもは持って行かないレンズを何気に出かける際に持ってきたのが幸いしました)、オートポリスの帰りにファミレスでお会計した際にクマモンの携帯ストラップが売られていたので買ったら彼も買って一緒にお揃いで使っていたら女の子から「仲良し~♪」って言われたり、せっかく買ってきたお土産を全部私の車の中に忘れてしまって

結局私が頂くことになったり。。。

 

また、女の子にも顔が広くてかつての伝説のRQ達とも随分と親しく、私が会いたくても会えなかった片石貴子や吉永千夏(後藤千恵)たちとも知り合いで、個人的によく撮らせてもらったなんて言っていましたので私から見たら神でしかない人でした。

そう言うと本人は笑っていましたけどね。

 

食べ物も私と同じでマンゴーやココナツミルクが大好きでよく一緒に同じものを食べたりしていました。

服も抜刀娘ブランドが大好きで私が着ていたのを見てとても気に入って翌日にショップに買いに行き、それ以降はそのブランドで上から下まで身に纏って色々な撮影会に出ていました。

スカジャンみたいな感じでしたのでそれがそのころには彼のトレードマークになっていたようです。

 

彼と最後に会ったウチ主催の撮影会の時には偶然お互いに同じ絵柄の色違いの抜刀娘のアロハを着てきてモデル達に「色違いだけれども同じ柄だよ」って見せたら「ホント仲良しだよね」って話も出て。

でも、それが私が見た彼の最後の姿でした。

 

その後、足をまた手術すると言っていて(以前にも遺伝で足の骨が曲がる病気でしたので手術したのですが)入院をするとも言っていましたが、しばらくは色々な撮影会に出ていたようです。

私の所で出して欲しいという他社のモデルがいたので交渉して出てもらうことになり、彼も楽しみにしていたのですが8月21日の朝に体調が悪いので申し訳ありませんがキャンセルさせていただきます。せっかく組んでくれたのに申し訳ありませんとのメールが届いたので大丈夫ですよ、お大事にって返信をしたのが最後でした。

 

それ以降、メールしても電話をしても一向に出ないし返信もないでした。

きっと入院したのだろうと思っていたのですが、その間も何度か連絡を試みたものの一切音信不通で。

そして事実を知ったのが年が明けてから2日で、それは彼のお姉さんから伺いました。

 

後にご遺族から聞いた話ですと再入院の話は知らなかったとのこと。

自宅で亡骸が見つかったのも10月で司法解剖の結果は死因は不明、おそらく24日ころではないかとのことでしたので本日が命日となったとのことでした。

 

ただ、亡くなる寸前で撮影会等で彼を見ていた人たちはかなりガリガリに痩せてしまっていたとのことでした。

足の病気というのは私たちを心配させないためにそう言っていただけであって、実際は何か重い疾患を抱えていたのではないかと思います。

また、おそらく私にメールを送った直後に亡くなったようです。

2か月間も自宅で誰にも知られないままだったことを考えると本当に寂しかっただろうな、悲しかっただろうなって思って止みません。

 

女の子達にはよく色々なものを買ってきては配ったりあげたりして本当に優しい人でした。

ちょくちょく電話やメールが来てよくバカっ話をしたり、下らないことを言って笑って。

でももうそれはできない、そう実感してしまうことを認めたくない気持ちが時々出てきます。

そんなに急いで逝くことは無かったのにとふと、思うことがあります。

 

これからも彼や田中社長、じゃじゃまるさんや随分前に亡くなった中村さんたちの分まで楽しくやって行きたいし、その意志は背負っていきたいと思っています。

銭金ではなくて、大切なこうした人たちの志のために私はやり続けているということはこれからも示していきたいし、自分にも何度でも言い聞かせて行きたいです。

 

まだまだ先になるかと思いますが、いずれ私も彼らの所に行った際には色々な話をして、みんなでバカ話をして笑いたいと思います。

 

来月はS耐に行きます。

それを上から見てくれているかな?